2024年の振り返りとして、あえて「Fragile」を語りたい
今週から2024年の振り返りnoteを書いていきたいと思います。まずは「リトグリの曲」というテーマで振り返ろうと思ったとき、
「2024年のリトグリ曲、ベスト3は?」と考えましたが、しっくり来ませんでした。
ちなみに”自分的ベスト3”をいうなら
1位:Break out of your bubble
2位:アカペラメドレー2024
3位:Memories
です。
でも違うんです。"ベスト"を言いたいんじゃない。それは今僕が感じている「2024年のリトグリ曲」として感動を伝えたいポイントじゃない気がする。
今年を曲で振り返るなら、「『Fragile』という曲を歌った」ということがとても大きな出来事だと思っています。
僕なりにとらえた「Fragile」という曲をリリースした意味をあらためて考えて2024年のまとめ①としたいと思います。
リトグリの音楽とは何か
そもそもリトグリの音楽とはなんでしょうか。
これまで一般的に語られていることとして
・ハーモニーを大切にし、アカペラにも取り組む
・モータウンミュージックをルーツにしている
・応援歌である
というような特徴があると思います。
今回はこの「応援歌である」ことを深ぼっていきたいです。これまでのリトグリの曲は元気づけられる、励まされる応援歌がたくさんあります。そしてそれらは実際に応援歌としてスポーツのタイアップなどにも使用されてきました。
Google AIのGeminiに「リトグリの曲で応援歌的な意味を持つ曲をいくつか教えてください」と質問すると以下の3つが出てきました。
・応援歌アカペラメドレー
・ECHO
・いつかこの涙が
他にもVIVA、I Believe、今この瞬間を、あたりは応援的なメッセージが強いと思います。
一応ですが、応援歌アカペラメドレーはこれですね。
また、スポーツ系のタイアップとして採用された実績としては以下の通りです。(抜けていたらご指摘ください)
一方で、僕は以前にBobがリリースされたときにXでこのようなポストをしました。
予想外に多くのいいねをいただき驚きました。同じことを感じる、という方が多かったのかな。
このポストで言いたいこと。
リトグリは徐々に新しい応援の仕方、新しい応援の対象を見出していっているのでは、と思うのです。
そして僕は「Fragile」のリリースがこの「新しい応援」の方向性の宣言になったのではないか、と考えています。
これまでの応援
先ほどあげたような、「ECHO」「いつかこの涙が」「VIVA」「I Believe」など
の方が「応援歌らしい応援歌」だと思います。
「応援」を調べると
とあります。
応援というのは
・前を向いている
・進んでいる
・励まし合う仲間がいる
のを前提にして、「もっと力強く」「もっと大きく」進んでいく、成長していく、そういう目指す姿があるものだと思います。
他にもあげたらキリがないくらい、素晴らしい歌詞たちだと思います。
青春みたいなものを共有できる仲間を感じるし、励まし合うことの力強さ、それが力になっていく素晴らしさを感じます。
「+1のパワーを+10に」
「+10のパワーを+100に」
そんな力強さを感じる曲だと思います。
それは当時のリトグリの若いパワー、そして実際の努力と躍進が根拠となり、こういう歌を出すのが自然だったと思います。そして主なファン層も10代の同年代が多く「青春の力強さ」みたいなものがとても共感を得られたのだと思います。
新しい応援の形
ポストにも書いたとおり「君といれば」から「新しい応援の形」について考えていました。むしろこれは「応援」と言わない方がいいかもしれません。
さきほど挙げた、応援されることの前提
今の自分の生活に置き換えてみてください。
すんなりうなづけるなら、それは本当に素晴らしいと思います。
でも、これってみんなが当たり前に意識できることでしょうか?
まったくそんな風になれないときはありませんか?
人によっては「前向きになりたくない」とさえ思うときもあるでしょう。
そんなときに「前向きになろうよ」「進もうよ」「仲間と励まし合おうよ」が果たして適切なんだろうか?
人は、そんなに強くない場合もある。
この社会で生きていると、ときには少し先の未来すら描けないときだってある。マイナスな自分から、どうしたってすぐには起き上がれないときはある。
現実の社会を生きる僕たちにとって、輝かしい応援だけが正解ではないのだと思います。
10th Anniversary Liveの2日目。
アンコールでの結海のMC。
Youtube映像には含まれていませんが、重要なことを言っていました。
Youtubeの映像に続きます。
そしてBreak out of your bubbleを歌ったのです。
僕の解釈では
だと思っています。
そして、その間にちょっとなんともいえない感じで存在するのが、「透明な世界」「生きなくちゃ」あたりな気がしているんです。(この曲が好きな方、あやふやでごめんなさい。でもだからこそわかってくれる気もしています・・・)
僕が語るのは野暮ではありますが、リトグリもさまざまな困難を経験し、そこから「君といれば」が生まれました。そして多くの人がこの曲に共感し、感動して、名曲となりました。それはたしかに、当時の芹奈さんの大変な状況やガオラーの皆さんの芹奈さんへの想い、他4人への想いからくるものが強かったと思います。
でもきっと、この曲の可能性はそれだけではない。
そのときのリトグリに限った事情だけではなく、あの歌詞が多くの人の自分の体験に響くものであったから「君といれば」は名曲になったのではないでしょうか。
もう少しいうと、時代も変化する中で、メインのファン層も年齢重ね、「君といれば」で歌われるような困難を感じやすい年齢になったということもあると思います。
10代の頃は仲間を持ちやすいし、目標に向かって進みやすい。でも20代になって、社会にでると、仲間と呼べる人と出会いにくかったり、仲間だとしても学生時代に感じていた”仲間”とは何かイメージが違ったり、その中で進むことが難しい、という状況に陥りやすい。そんなイメージを持つ方は多いのではないでしょうか。
ときに自分の心が完全に折れてしまったりしたとき、リトグリのこれまでの応援ソングたちが「眩しすぎる」「今の自分には受け止めきれない」と感じるときもあるのかもしれません。
だからこそ、繰り返しになりますが「君といれば」はあれほどまでに輝いたのだと思います。そして、だからこそ言いたいのは、「あの場限りの歌にするのはもったいない」ということです。
そういう意味でUNLOCKツアーで「君といれば」を再演したことはとても意味があるものだったと思うんです。そしてそれを提案したというミカはとても勇気があり、聡明だと思います。
しかしこれは「君といれば」を再演だけでは終わりません。”こういう歌”を今後どう歌っていくか。
これからリトグリを聞いてくれるメイン層は、たぶんリトグリと同い年の層だと思います。先の見えない、不安定な現代だからこそ、そんな社会を生きていく上での困難に寄り添う「新しい応援歌」を模索していくことに意味があるのでは…
その第2弾が「Fragile」だと思ったんです。
そして、第2弾を出すということは「こういう歌を今後も歌っていくよ」という宣言だったと思うのです。その直前の「君といれば」の再演と、その直後の「Break out of your bubble」のリリースとセットで。
だから、この一連の流れが来たとき、僕は
「あ、これからはこういうテーマも歌っていくぞ、ということなんだ。これがリトグリの「新しい応援の形」なんだ」
と感じました。
そう考えると、2024年のリトグリは新しいテーマに挑戦してくれた年なのだと思います。これは今後のリトグリの歌を考える上で、とても大切なテーマだと思います。なぜなら、全然違う個性を持ちながら、さまざまな困難を経験し、乗り越えたグループだからこそ、このテーマを歌うことの深さが生まれると思うからです。
2025年に向けて
これまでの応援歌をやめてほしいわけではありません。むしろ、これからも大事だし、新しい曲も出してほしい。スポーツ関連とのタイアップだってしてほしいし、現に進んでいます。チームとして力を発揮するリトグリに、仲間同士で励まし合い、もっと強くなっていく、そんか希望を感じさせてくれる応援歌は今でもピッタリだと思います。
でもやはり、2024年にfragileから感じさせてくれたこの流れは、挑戦し続けてみてほしいです。きっと多くの人にとって大切な歌が今後も生まれると思います。
先ほど、「10代は比較的仲間の存在を感じやすい、進みやすい、一方で20代は難しく感じることが多い」と書きましたが、あくまでも「そういう場合が多い」ということ。10代でも壮絶な孤独を味わう人もいるだろうし、20代後半でも学生のように青春し仲間と進んでいる人もいる。だからこそ、いろんな年代、いろんな状況の人にリトグリの歌が届いたら素敵だと思います。
美しいハーモニーと、情熱的で多彩な、6人バラバラの歌声は、いろんな人の心に触れられる、そんな可能性をまだまだ秘めているはずですから。
2025年も6人の歌に期待しています!