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大好きな君へ


私は伝えたい。この一瞬一瞬の感情を忘れたくないから。

今元気に大笑いをしながら毎日を楽しく過ごす息子くんへ。
生まれてきてくれてありがとう。私たちをパパとママにしてくれてありがとうと心からそう思う。

遺伝子の異常を持っている君はとても特別な存在なの。
たとえ生まれてきた瞬間におめでとうと言われなかったとしても。
周りの感情なんてどうでもよくて、
私たちが息子くんを笑顔にできればそれでいいはず。

もちろん先のことを考えると人一倍世間様に頼って生活することになるだろうけれど、生まれてきてくれたことはみんなと同じくとっても嬉しいことなの。それに君は遺伝子が上書きされてもなおママたちの元に頑張ってたどり着いてくれた偉業をなあい遂げたんだよ。まだ2歳なのに、大人の私以上に十二分に誇らしいものを持って生まれてきてくれたね。

君の笑顔を見るたびにホッとして。君が声を発するたびに感激して、君が成長するたびに喜び合って。パパとママの中心にはいつだって息子くんがいる。
三人で一緒に暮らせることが第一目標だった君は見事に、君無しではいられない家族の一員になってくれたね。

99.9999…..%の試練をくぐり抜けて、0.0001…..%の軌跡を掴んでくれてありがとう。どれだけ周り道をしても、ママは君のママだしパパは君のパパだよ。

あの日あの時抱いた感情もたくさんの思い出も、全部君が教えてくれているね。ママ業向いていないっておじおじしちゃう時もあるけれど、息子くんがかけてくれる苦労はママとパパの2度とない人生にの瞬一瞬の彩を描いてくれているのを知っているから。人生振り返った時のたくさんのプレゼンとを息子くんからもらっているから。どうか、この先もこんなママとパパだけど、私たちの息子でいてね。

そして、たくさんたくさんママとパパを困らせてください。私たちからのお願いね。




この記事を読んだくださった方、さまざまな感想があると存じますが、誹謗中傷はご遠慮いただければ幸いです。

息子は障害を持っています。本文にありました
”もちろん先のことを考えると人一倍世間様に頼って生活することになるだろうけれど、”
についてですが、もちろん公的支援の対象であり、皆さんの税金によって支えていただいている部分はありますので、迷惑おかけすること承知の上であることを触れさせていただきました。この場をお借りして再度感謝申し上げます。

息子に疾患があるとわかってから、障害ってなんだろうと幾度となく考えてきました。どこか”障害”の呼び名に違和感があったもので(現在は”障害”→”障がい”の名称に変更していることは承知済みです)、指定難病に当たることもあり、息子の説明が必要な時は、”病気”と呼称することがよくありました。

なぜでしょうか。病気という方が自分の気持ちが少し楽になるのは。病気と聞けば、「じゃあ、治るの?」「あら、かわいそうに。」「治療法はあるの?」など、同情の声や、予後に注目できる言葉が思い浮かびます。そして、障害と聞けば、これから先にハンディキャップを背負いながら生きていく様子を想像するでしょう。病気という言葉は、息子はいつかは治る可能性があるという私の思考の逃げ道になったんだと思います。

決して息子という存在は悪くないのに、こんなことを考えてしまう親で申し訳なくなりますが、現実を受け止めて、自分なり足で立っているためには少々の思考の偏りも致し方ないと今では思います。なので当時の自分を責め得るのことは気づいたらやめていました。いろんな葛藤があっていい。だって人間ですもんね。そのいろんな葛藤や感情を耳を傾けることができるかが、その先の自分という人を形成していくのかも知れない。そう考えると、ママがこんな感情を持ったらいけない。そんママまはママ失格だ。私はダメなママだ。なんて思う人が少しでも減るのかも知れないと感じています。


健康な子もそうでない子もみんな大事な命であり、そんなかけがえの無い命に
平等に関わり合える世の中になりますように。

そんな願いを込めまして、息子くんへの私たち親なりの気持ちを記してみました。

息子には毎日「大好きだよ」「生まれてきてくれてありがとう」と伝えています。きっと息子くんに伝わると思いますし、伝わっていると確信しています!(笑)


最後まで読んでくださった方、長い間お付き合いありがとうござしました。
よろしければコメントもお待ちしております。気軽にお話しできれば嬉しです。


頑張りっこママのかなでした^^



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