旦那さんの転がし方
こんにちは。
二人だけ育児をしている26歳、頑張りっこママのかなです。
夫婦お互いに両親が遠方にいるため、息子(障がい有)の育児を夫婦二人だけでしています。
今日は二人育児の醍醐味についてもうすぐ3歳になる息子のママとしてお話しさせてください。
お互いの働き方
子供が生まれてから3歳になるこの年まで主人の一馬力で家庭を支えてもらって今います。その分私は専業として家事や育児に取り組んでいます。家族になるとはどういうことか、息子が生まれて三人での生活が始まって、想像以上の孤独な家事にこんな疑問も度々頭に浮かんだ記憶があります。しかし、生きていく上でお金を稼ぐことは必要不可欠です。主人は会社勤めでコロナでリモートワークが普及しても出勤を余儀なくされる職についています。もちろん、家族の形によって働き方を見直す機会は幾度となく出てくるでしょう。しかし、現在の職場に総合的に見れば満足しているのであれば、さほどのことがない限り転職は感が和えにくいのが現実ではないでしょうか。転職でキャリアアップする働き方がどんどん主流になっていても、一馬力で働いているとなかなかその決断は難しいものです。主人が仕事のため家にいる時間が限られるということは、息子とも触れ合う時間がないということです。そんな限られた時間の中を充実させるために私がしたことについてお話します。
二人だけ育児って実際どうなの?
両親が遠方にいて誰も頼る相手がいない場合、一定期間の間は夫婦のどちらかい方がおうちで子供と過ごし、もう一方が働きに出る構図に寝ること多ですよね。幼稚園に通うようになる満3歳になるまで。もしくは、両親が共働きであると入りやすい保育園に入所する母や父の育休明けまで、期間はことなれど、多くの場合で一馬力を要する期間は出てきます。その一定期間の過ごし方はいろんな面に置いて大事ですよね。子供との愛着形成の時間でもありますが、目まぐるしく成長する子供の要求に対応する試行錯誤の時間でもあります。多忙を極める時間であることは間違いありません。そんな期間を多くの人は夫婦のどちらか一方が一人で担うことが多いのが現状です。うちも例外ではありませんでした。里帰りこそしましたが、息子と三人で暮らせるようになるということは、夫婦で必要な分野を分担して家族を作っていくことを指します。
夫以外頼れる相手がいない事は、正直とても疲弊する要因かと思います。
鳴き声を聞いて、
「泣いているね。お腹すいたのかな?」
笑い声を聞いて、
「何に笑ったんだろうね?」
すやすや眠るお顔を見て
「かわいいね。」
赤ちゃんの些細な行動一つ一つに少しの会話を挟めるだけで育児は孤独ではなくとても幸せな時間であることを再認識することができるのに。
近くに一緒に赤ちゃんを見守れる大人がいないだけで心が急に寂しくなるのはあなただけではないはずです。だって、こんなに幸せな時間なんだのも、誰かに共有したいじゃないですか。そしてその相手が大好きな旦那さんであれば余計に嬉しいですよね。私も同じことをよく考えていました。
しかし、生きるためにはずっと三人で同じ時間を同じ空間で過ごすなんて難しい話です。ましてや、旦那さんもその状況はママ以上に感じ取っているかもしれません。帰ってきて子供の話を聞くたびに。ああ、その瞬間見たかったな。自分もお仕事に行かずに一緒に子供を見ていたい、と。
二人だけ育児で私がしたこと
(その1)
孤独な育児もそう感じてくれているパートナーの気持ちがわかるだけで救われる気がするのは私だけでしょうか?
うちはそんな旦那さんじゃない。子供に無関心。そう感じられているママさんも、一緒に育児がしたいからこその感情ですよね。人間を育てるなんで未経験からすればよくわからなくて苦労が伴うのも当たり前なんですから。その、寂しい感情をうまく旦那さんに伝えることが、もしかすると育児の孤独から自分を救う一つの解決策になりうるかもしれません。
私が二人だけ育児で気にかけたことは以下の通りです。
もし、日中携帯に連絡しても支障がない相手なら、
・リアルタイムの子供の状況を写真付きで送る
・かわいい瞬間の動画も送る
帰宅後には、
・子供の寝顔を見ながら今日会ったことを話す
・相手に送った写真や動画を一緒に見ながらそのことについて話す
赤ちゃんの行動や、それがどんなふうにママは思ったのかをできるだけ詳しくパパに話します。
最初は、聞いてるのか聞いていないのかよくわからなくても。ママが楽しそうに笑いながら、時には落ち込む様子で。ママの表現の自由さは、パパもまるで日中一緒に過ごしたかのような感覚になるでしょう。
(その2)
次がもっとも大事なことになります。
それは、
赤ちゃんに対して→パパ今ごろお昼かな?
パパは今お仕事中だね。
パパは私たちのために頑張ってくれているね。
パパが帰ってきたらこんなことしてもらおうね。
パパに対して→パパの写真見てこんな反応していたよ。
きっとパパのお顔見れて嬉しかったんだね。
まるでパパに会いたいって言っているみたいだったよ。
次の休みはパパと何したいか一緒に考えてくれてたよ。
パパには、赤ちゃんがパパを必要としていることを伝える。そして、赤ちゃんにはパパの存在の大きさを伝える。
孤独な育児で終わってしまはないためには、こんなことが大事なのかもしれません。
よく、ママがパパをみるめで子供のパパを見る目は決まるといいますよね。
心の成長もあるので一概には言えませんが、少なからずママのパパを見る目は子供にとってパパとの関わり方に重要な判断材料になると私も思います。
せっかくの夫婦。一緒に子育てをしていきたいと望むのであれば、子供に嫌われるよりも好かれている方が取り組みやすいのはいうまでもないでしょう。その土台作りはをママの目線ひとつで変えられるのであれば今一度自分のパパに対しての目線を見直してみるのは秘策かもしれません。
パパに対してもそうです。自分は必要な存在なんだ。家族の笑顔は自分も頑張っっているから成り立つことなんだ。そう実感する機会があれば、パパ自身も疲れて帰ってきた家で会社とのギャップを感じることは減るかもしれません。ここで重要なのは、やはり、赤ちゃんの気持ちをパパに代弁することです。ママの感想はまさしく物事を的確に指し示すことはできますが、赤ちゃんの気持ちを聞けるとしたらもしかするとママの言葉以上に嬉しさは増すかもしれません。
赤ちゃんの行動一つ一つに、
・まるで〜と言っているみたいだったよ。
と、パパのことを指し示す内容の話をしてみるんです。
赤ちゃんに話す時も、パパに話すときも。共通するのはパパを強調することです。
(私がよくする言い回し方法)
・「息子のお口の動きがパパってしているみたいだったよ。」
・「パパに抱っこされて嬉しそうだね。」
・「パパとのお風呂はとっても気持ちよさそうだね。
ママの時そんな顔しないもん!笑」
・「〇〇の寝顔、まるでパパおかえりって言っているみたいだね。」
などなど、あげればキリがありません。笑
私も最初は一人でする育児が孤独で、どれだけその状況をパパに理解してもらえるか悩みました。悩みながらも赤ちゃんのことはパパに話したいので毎日話していくうちに、数回に何回かで私の話に対してのパパの反応がいい時があったんです。振り返ってみるとその話の中にパパという単語が出てくる時でした。赤ちゃんとママの時間なのに、そこにあたかもパパもいたかのように感じ取れる。そう感じ取れると他人事ではなく自分ごとのように話を聞けますよね。疲れているパパを非難するつもりありませんが、きっと自分も関係する話であることを再認識すれば藩士を聞いてもらいやすくなるのかも知れませんよね。そのことに気づいた私は毎日の会話でパパという単語をパパにも赤ちゃんにも使うようになりました。
今でもそのいい癖は残っています。流石にパパには、私の言い回し方がパパを引き寄せる大袈裟なものであることを薄々感じ取られている気はするのですが。笑
しかし、一の出来事をに想像をのっけて10にして言っているだけなので全く嘘を言っているわけでもありません。何はともあれ、これで丸っと家族がいい雰囲気になるんですから止められません。
ママの言葉でパパも嬉しくなる→一人じゃないってママの孤独感も薄まれば→パパに対するママの目を見て子供もパパを要求する→パパの育児参加が容易になる
こんな好循環。試してみたくありませんか?
もちろんママの心の健康が優先です。少しの余裕がないとできないことかも知れません。私たちもこの段階に行くまでに数々の喧嘩(気持ちの述べ合い)をして涙を流してきました。
それでも、孤独感を埋めることはできずにモヤモヤする時期もしっかりありました。
それでも、家族が家族でありたいと願うのなら、その行為事態も意味がないものではありませんよね。ぶつかりあえるということは相手のことを考えている証拠ですもんね。ぶつかり合う必要がない家族だっているでしょう。その場合でも、より楽しく育児をするためには、家族みんなの笑顔があってこそだと思うんです。
どんな家族の形があっても、改善したい気持ちやより良くしたい気持ちは人生のうテー時において常に出てくる課題なのかも知れません。
そんな時に、相手を変えようと行動を起こすよりも、まずは自分があできることをしてみると今より好転できるのかも知れません。
自分がきつい時は相手につい求め過ぎてしまいますが、一旦自分に目を向けてみませんか。
その中で必要な喧嘩があっても今より良くなるために必要なことです。喧嘩ができるいてがいてよかった。それくらいに思えるようになるともっと人生がカラフルに見えるかも知れませんよね。
赤ちゃんとお世話する人にとっての生きやすい毎日は自分の考え方で作れるかも知れません。
二人だけ育児で辛いこと
それはまさに、頼れるのが相手だけということ。お互いにすべきことをしながら育児をすることはとても大変なことです。お互いに息抜きができずにぶつかりあったり、今ある幸せに気づけなくなる時が一度や二度、もしくは長期にわたって訪れる可能性があります。しかし、そのぶつかり合いは不幸な行為なのでしょうか?
二人だけ育児の楽しいところ
これはまさしく、二人で子供を育て上げている事実があるということ。大変な時期も一緒に乗り越えて、泣いて笑って試行錯誤しながら家族になっていく過程は何にも変え難いです。もちろん、頼れる人が近くにいるのであれば甘えていいと思う。それは逃げでもなくて自分を守流ための選択なのですら。ただ、もしも頼れる方が近くにいなくて親としての子育ての責任に押しつぶされそうな時は夫婦で会話をしましょう。会話ができないと嘆く場合もあるかも知れません。その場合に夫婦でぶつかり合うことも、男女の違いを認識する点においてとても大事なことだと思います。
何はともあれ、休日には三人でしたいことをして、家族の思い出があっという間に増えていくのは孤独な環境だからこそとても幸せでまた頑張ろうと思えるきっかけにもなるのかも知れません。
子供の寝顔をパパと一緒に眺めるとき。
食卓を家族全員で囲めるとき。
泣き続ける子供を変わりばんこに抱っこしたり。
料理をするときに楽しそうな二人の声がお風呂場から聞こえてくる時。
子供が寝て、疲れたと言いながら夫婦で晩酌する時。
激務の中でも、パパの息子を見る目がとても愛おしそうな時。
よく言いますよね。あの頃が懐かしいって。
人生の大変な時をすすんでいく過程はとてもきついですが、振り返れる頃には大変だった毎日がどれだけ充実していて幸せな思い出になっているのか気付かされるはずです。
大変さは人生においての彩になる。そんな考えを持つとますます今の環境に感謝できるのかも知れません。
これから先の選択について
今回は、孤独な育児も経験した私の体験も交えて、二人だけ育児へ向き合う考え方のヒントをお話させていただきました。
現段階では、今の生活にとても満足しています。しかし、転勤族でもなく、地元も同じ話たち夫婦がわざわざその環境から離れて暮らす必要性も問われてくるのも正直な話です。今は良くても、これから共働きになるときはさらに柔軟に子供に対応するために考えなくてはならないことは出てきます。ましてや、障害を抱える息子との生活は、この先もっとたくさんの人の頼りにならざるを得ない可能性は否めません。なので、もちろん、どんな状況においても夫婦二人だけで家族を作っていく選択をされる方も多くいらっしゃるでしょう。子供もことを一番に考えながら生活環境を考得ていきたい。それができる環境であればそう考えるべきとの気持ちをもちつつ、もしかしたら両親に近いところに引っ越すかも知れません。
どちらにしろ、今、家族三人で過ごす時間はとても貴重な時間であることを度々再認識しながら、もっと笑い声が増える家族になるように夫婦お互いに互いのこを考えた言い回しや行動が送れるために、自分の健康も保っていきたいと思います。
noteに私の気持ちを交えて物事への考えを発信できることは私の一番のリラックスになっています。
拙い文章を最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。
もし私と違う視点をお持ちでしたら共有していただきたいです。この投稿も、どなたかの生きるヒントになれば嬉しです。
以上、長くなりましたが、頑張りっこママのかなでした^^
パパを上手に転がして、時には転がされましょう♪
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