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もしも不老不死の薬があったら?高橋留美子作『人魚シリーズ』を読む

高橋留美子『人魚シリーズ』を一気に読んだ。
『人魚の森』『人魚の傷』『夜叉の瞳』の全3巻。
クローゼットの奥の方に仕舞い込んでいたコンテナBOXを整理していたら見つけてしまった。
気付けば日が沈むまで一気読み。
片付けはまた週末までお預けだ(笑)


主人公の湧太は人魚の肉を食べて不老不死の体になってしまった。
望んでそんな体になったのではなく、500年以上も年も取らずに生き続ける不幸を描いているのだけど、高橋留美子の作品にしては笑いの部分もなく重苦しい内容になっている。

自分が愛した周りの人間たちは皆年老いて死んでしまう。
仲間も持てず、一箇所に定住することも出来ずにさ迷うだけの日々。
怪我をしても傷はすぐに癒えてしまい、殺されても痛みや苦しみは味わっても決して死ぬことはない。
次第に湧太は死ぬことばかりを夢に見て、もう一度人魚の肉を食べると死ぬことができるという言葉を信じて、人魚を捜し求める旅に出る。

主人公の湧太は不老不死の呪縛に苦しむのだけど、この作品では湧太の苦悩を通して、誰にも公平にいずれ死が訪れる、だからこそ生きることが尊く光り輝くということをテーマにしている。

『死』は常に隣り合わせにありながら、どこか謎めいている。
誰も死んだらどうなるのかなんてわからない。
自分がどんな死に方をするのかも、想像とは違う形でこの世と別れを告げるようになるかもしれない。
死の瞬間には走馬灯のように自身の人生を垣間見るという。
三途の川では先に逝った肉親たちが迎えに来るとか、そうした都市伝説的なものは、単に死を迎える瞬間の痛みや苦しみから逃れる為の方便なのか?
不老不死に憧れを抱くのは、死んだら全てお終い。無に帰すと思うから。
輪廻転生という思想があれば不老不死を手に入れようなんて思わないかも?
死んだ先の事を誰も確認(確信)できない、『死』を意識下に置いても意識できない(実感できない)事柄だから、その不安や恐怖で「死にたくない」と思うからかもしれない。


長男が3歳の時、おじいちゃん(主人の父親)の死を垣間見て不安定になってしまった。
その時私は3歳の幼児相手に必死に『死』を解らせようとしていたのだけど、長男は納得できないまま、大きくなっていく不安と恐怖にすっかり怯えてしまった。
おばあちゃん(主人の母親)が他界した時、5歳になっていた長男に、『死』の背中合わせになっている『生』を示してみた。
すると『死』への恐怖は消えないものの、一筋の光が差したように希望を抱けるようになった。(ように見えた)笑

この漫画もそんなことが言いたいのかな?!
~もしも不老不死の薬があったら?~
不老長寿の薬なら引く手数多なんだろうけど、不死の薬となると飲む人はどのくらいいるだろうか?





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