読書記#1 「土偶を読む」
僕の本棚に長らく積ん読となっていたこの本をようやく読む時が来た。
一年に数回、縄文ブームが僕に訪れる。この本を買ったときは、正直自分の中では違うブームの時だったのだけど、知り合いが読んだと紹介をしていて、ものすごく面白そうだったので、ひとまず手元に置いておかねばと思い、急ぎ購入したのだった。それから1年、全く触れずにいたのだ。
昨年は縄文が熱かった。
映画「掘る女」が上田と小諸で上映された。
クラウドファンディングで支援をしていたが、すぐには長野では公開されず、待っていたら、農繁期に突入。上田での上映は逃してしまったが、小諸の上映会で見ることができた。ちょうど舞台にもなっていた長和町も自宅からすぐの場所でもある。(まだ行けてないけど)
発掘調査をしている女性たちの現場を追ったドキュメンタリーだった。
足元を掘ると、そこには古代に繋がる世界が広がっている。そんなこと想像だにしなかった。特に長野は土偶や土器など縄文時代の遺跡が数多く発掘されている。
さらに、近所に採掘現場があって知り合いのご縁で見学させてもらうことができた。「埋甕(うめがめ)」という、遺体を埋葬するための石器がその現場で採掘されていた。数万年前の人が作った、埋めたモノがそこにある。縄文を感じた瞬間だった。
さて、「土偶を読む」は非常におもしろかった。
土偶自体が何を模して作られていたのか。
通説では、人間、特に女性や妊娠している女性をモチーフにしていると言われている。しかし、どうみても人のように見えない造形も土偶には含まれていて、そうした造形がなぜあるのか、説明がつかなかった。
人のようで人でない土偶がなんなんなのか。
著者が独自に解読していく様子はミステリー小説のようでドキドキする。
そして、裏付けもまた丁寧にされていくことで、その新しい説が本当のように感じられるのだ。
しかし、考古学の立場では、この本で紹介されているような説は受け入れられづらいようだ。その、学問特有の縦割りの実態をスイスイと飛び越えて解説していくのが気持ちいい。なんのための考古学なのか、考えてしまう。
お米農家の僕としてはやはり「結髪土偶(けっぱつどぐう)」の解読が一番興味深かった。僕は縄文人の気持ちになってお米への祈りを捧げるために、結髪土偶は作らねばなるまい。あの紋様を作るのがいかに複雑で大変なものか、そして焼き上げる時にはどんな苦労があるのかを体験したいと思う。