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2つのラブレターが教えてくれたひとつのこと
"ブルーハーツのさ、ラブレター、聴いて。"
ぽつっと、メールが届いた。
まんま、本心だから。
と。
たったそれだけの、短いメール。
もう、20年も前の話。
*
恋人ではない。
ねじれた、でも、何よりも大切だった人からの最後の言葉は、甲本ヒロトの歌声と共に、鮮やかな思い出の1ページとなっている。
そう、決していい思い出話などではない。
だからこの最後の一言が、もっと多くの言葉で飾られていたら。
メールじゃなくて、電話だったら。
今頃きっと、遠く古びて色あせた写真のように、ぼんやりとした思い出になっていただろう。
メールの送り主が目の前から消えた後だって、折々で登場人物が変わりつつ、様々な事が起こった。
とんでもなく衝撃的な出来事だって、ものすごく嬉しかったことだって、他にある。
それでも鮮やかな思い出として今でも残っているのは、もちろん、若さゆえの青さとか、甲本ヒロトの切ない歌声のチカラだったりとか、いろんなものが作用しているから。
でも何よりも、この最後の言葉はあまりにもキザで、あまりにもずるかった。
サヨナラの代わりに残された、このメールの文字一つ一つに潜むあいまいな優しさとか、ずる賢さとか、いろんなものもはっきり分かっているのに。
何故か、すーっと
真綿が水を吸うように、すっと
何の色も、一瞬の抗う余地も、無駄な感情もなく
私の真ん中に、ここまでの彼との日々がくっきりと刻み込まれた。
もう、1ミリも身動きができなかった。
これも青さ故、なのかもしれないけれど。
*
恋愛に限らず何だって、気持ちや想いの伝え方は、簡単なようで難しい。
期待したり狙いすぎると全然外したり。
受け取る側の心もちで変わってしまったり。
あれこれ考えすぎはよくないから基本軽いスタンスでいるのだけど、大切なことほど上手くはいかない。
どんなにSNSが発達して、どんなに便利なツールが出来ても、目に見えない「人の想い」を伝えるっていう根幹は変わらないから、この悩み苦しみはいつまでも消えない気がする。
事あるごとに、「大切なことは面と向かって、ちゃんと言葉で話しなさい」と母から教えられた。
当たり前といえば当たり前のことだけれど、きっとこれは時代と共に形を変えていくものなのかもしれない。
これからの未来は、今よりもっとネットや何かの媒体を介して人と接する世になるのだろうし。
AI技術がもっともっと進んで、アプリか何かが人の感情を秒で読み取り、変換し、効率的に伝えてくれるのが当たり前になるかもしれない。
今まででさえ、私自身、大事なこと全てを面と向かって話して伝えてきたって訳じゃない。
正直、言葉で話すことは大切なことほど苦手だ。
数字に託してポケベルを鳴らしたり、既読マークなんて便利機能のない携帯メールに、山のような感情を残してきた。
でも。
今までがどうであれ、この先の伝えかたの形がどうなっていっても変わらず大切なのは、やっぱり伝える側の人間の心もちとか熱量、なんだろうと思う。
もちろん、受け取る側のアンテナとの相性みたいなものもあるだろうけど。
声にせよ、文字にせよ、視線にせよ、システムにせよ。
形や媒体はなんだっていい。伝える技術が必要な時も勿論あるだろうが、そこにどれだけの"体温"をのせられるか、なんだと思う。
*
いま、私の目の前には7歳の小さな彼がいる。
きっともうしばらくしたら、この手を少しずつ離れて、自分の選んだ世界へと一歩ずつ旅を始める彼なのだけれど。
今この彼に私から伝えたい事は大切な事ほど、回数や言葉の多さやではなく、ハグしながらゆっくりと話すひとことの方がすんなりと伝わる気がする。
まあこの場合、物理的なぬくもり効果というのも勿論あると思うが、上手く伝わらないときは大体、無駄に理論的だったり、自分に余裕がなくて言葉数が多くなる時。どこか体温が伴っていない言葉を、矢継ぎ早に発しているだけの時だったりする。
本能の塊の子供には、小手先の事など通用しない。
彼らは、大事なものを理論じゃなくて本能と心で感じとり、まっすぐダイレクトに返してきてくれる。
ハグをして、目を閉じて、呼吸を整えてー
一つ一つの言葉をゆっくり伝えていくと、体のこわばりが解けるのと代わるように、伝えたい言葉が入っていくのが、背中に回した手のひらから伝わってくる。
そして逆に、彼が伝えたかったことも、素直に真っ直ぐ伝えてくれる。そこで気付かされる事の方が、自分が伝えたいことよりも大切だという事も多々ある。
*
大人になると、本能だけであれこれするのは容易じゃない。だから伝えることに難しさを感じてしまうのかもしれない。
今こうしてnoteという海で、内から溢れる想いを精一杯の言葉に、ひねり出した文章に託して浮かべていると、そんな難しさをずしりと感じてしまう自分がいる。
けれど結局、ぐるぐると空回りする頭でっかちな考えは意味をなさないことが多くて。
ただ素直に、思いのままに伝えればいいのだ、とも思う。
それが、例えばやたらキザだと思われても。
本当に伝えたい、まっすぐな本心なのであれば。
きっとかつての彼のメールは、ずるさの陰にある本心だったのだと、今は思う。
少なくとも、あの曲の最後のワンフレーズは。
久しぶりに1人きりになった土曜の午後。
トイレに張られた、覚えたての文字で書かれた小さなラブレターを見ていたら、不意にブルーハーツが聴きたくなって、そんな事を思った。
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