第二章 経験のアーキテクチャ:身体、知覚、環境
第二章 経験のアーキテクチャ:身体、知覚、環境 目的
我々はいかに世界を経験するのだろうか?
外界からの刺激は、単に脳から受動的に受け取られるだけなのだろうか?
それとも、意識が積極的に世界を解釈し、構築する能動的な過程がそこにはあるのだろうか?
現代社会において、情報技術の発展は、我々の経験のあり方を根本から変えつつある。
かつては直接的な身体経験を通じて世界を認識していたが、現代ではインターネット、スマートフォン、ソーシャルメディア、そしてVR(仮想現実)やAR(拡張現実)といったデジタルメディアを通じて媒介された経験が中心となっている。
デジタルメディアを通じた経験の増加は、直接的な身体経験の機会を減少させ、身体を通じた世界との直接的な関わり方を変化させている可能性がある。
これにより、知覚のあり方、環境との関わり方はもちろんのこと、身体そのものの経験も変容している可能性がある。
本章では、このような現代的な経験の変化を踏まえつつ、経験の根源的な構造を探求していく。
本章では、経験が身体、知覚、環境の相互作用によって構築される過程を考察していく。
特に、現象学の哲学者モーリス・メルロ=ポンティの身体論を基盤に、経験の質的な側面、すなわちクオリアの重要性を明らかにする。
クオリアとは、経験の質的な側面、つまり「感じ」を表す哲学的概念である。
例えば、赤いバラを見たときの「赤さ」の感じ、音楽を聴いたときの「感動」、コーヒーを飲んだときの「苦み」、夕焼けを見たときの感動、美味しい料理を食べたときの幸福感など、意識的な経験に伴う主観的な質がクオリアである。
赤いバラの反射する光の波長は物理的に測定できる客観的なデータであるが、「赤さ」の感じは、それを経験する個人の意識に固有の、主観的な質である。
この主観性こそが、クオリアの本質であり、物理的な測定だけでは捉えられない経験の側面を指し示している。
建築空間は、視覚、聴覚、触覚など、様々な感覚を通じて経験され、それぞれに特有のクオリアを生み出す。
高い天井の開放感、木材の温もり、静寂な空間の落ち着きなどは、建築的経験におけるクオリアの例と言える。
本章では、これらのクオリアが、建築空間の経験において重要な役割を果たしていることを明らかにする。
また、「メアリーの部屋」という思考実験を建築的な視点から解釈することで、クオリアが経験において果たす役割をより具体的に考察する。
「メアリーの部屋」思考実験は、客観的な知識が主観的な経験を完全に捉えられないことを示唆しており、経験の質的な側面、すなわちクオリアの重要性を際立たせる。
この思考実験を建築という文脈において読み解くことで、クオリアが建築経験において果たす具体的な役割を考察していく。
本章では、メルロ=ポンティの身体論と「メアリーの部屋」の建築的解釈を軸に、経験が身体、知覚、環境の相互作用を通して構築され、クオリアという質的な側面を不可欠な要素として内包することを示す。
この経験のアーキテクチャの探求は、次章において展開するシミュレーションと現実の関係に関する考察のための、揺るぎない基盤となるだろう。
以下では、経験のアーキテクチャを理解するための重要な基盤となる、メルロ=ポンティの身体論について詳しく見ていく。
2.1 身体と世界:メルロ=ポンティの身体論
メルロ=ポンティは、著書『知覚の現象学』において、従来の心身二元論を批判し、身体を世界と不可分な存在として捉える「身体図式」の概念を提唱した。
従来の心身二元論は、心(精神)と身体を別々の実体と捉え、身体は心に従属する単なる客体であると考えていた。
この考え方は、古代ギリシャのプラトンにまで遡ることができ、近代哲学においてはルネ・デカルトによって体系的に展開された。
デカルトは、「我思う、ゆえに我あり(Cogito, ergo sum)」という言葉で有名なように、意識や思考を存在の根本的な根拠とした。
彼は、物質的な身体は空間を占有し、物理法則に従って運動する機械のようなものだと考えた。
一方で、心(精神)は空間を占有せず、思考や感情といった意識的な活動を行う非物質的な実体だと考えた。
つまり、
身体は「延長(res extensa)」
心は「思考(res cogitans)」
という、全く異なる性質を持つ二つの実体として区別された。
この、心身二元論は、意識や精神といった非物質的な現象を説明しようとする試みとして一定の役割を果たしたが、根本的な問題点も抱えていた。
その最たるものが「心身問題」である。
「心身問題」とは、非物質的な心(精神)がどのように物質的な身体に影響を与えるのか、あるいはその逆がどのように起こるのかを説明できないという問題である。
この問題に対する代表的なアプローチとして、
「相互作用説」(心と身体は相互に影響を及ぼし合うとする説)
「平行論」(心と身体は並行して起こるが、相互作用はないとする説)などが提唱されたが、これらのアプローチもそれぞれ問題点を抱えていた。
相互作用説は、非物質的なものが物質的なものに因果的な影響を与えるメカニズムを説明することが困難であり、平行論は、心的現象と物理現象の間に見られる密接な対応関係を偶然の一致として説明せざるを得ないという問題を抱えていた。
現代の認知科学や哲学では、心と身体の関係を「創発」という概念で捉えようとする試みも存在する。
これは、意識や精神といった心的現象が、脳という物理的なシステムの複雑な相互作用から創発的に生まれるという考え方である。
メルロ=ポンティの身体論は、このような創発的な視点と親和性が高く、心と身体を切り離せない一体のものとして捉えることで、心身問題の根本的な解決を試みていると言える。
彼は、心と身体を別々の実体とみなすのではなく、身体は世界と相互作用する主体的な存在であり、意識や知覚も身体を通して世界と関わる中で生まれると考えた。
2.1.1 身体図式
身体図式とは、身体が世界の中でどのように位置し、どのように行動するかについての、暗黙的かつ実践的な知識である。
それは、単なる身体の物理的な構造の表象ではなく、身体と環境の相互作用を通して形成される動的なものである。
我々は、意識的に考えることなく、歩く、掴む、見るといった行為を、身体図式に基づいて無意識的に行っている。
身体図式は、反復的な経験を通して「習慣」として身体に刻み込まれていく。
例えば、自転車に乗ることを覚える過程は、何度も同じ動作を繰り返すことで、身体にバランスを取るという習慣を形成する過程と言える。
この習慣が身体図式の一部となり、無意識的な行動を可能にする。
身体図式は、過去の経験に基づいて形成され、未来の行動を予測し、計画するために用いられる。
先ほど提示した自転車の例からもわかるように、身体図式は単なる静的な表象ではなく、経験を通して絶えず変化し、更新される動的なプロセスである。
他にも、テニス選手が新しいサーブの打ち方を習得する際には、何度も練習を重ねることで身体図式を修正し、より効率的な身体の使い方を身につけていく。
この過程は、身体図式が経験を通して絶えず変化し、更新されることを示している。
また、病気や怪我によって身体機能が変化した後にリハビリを行う過程も、身体図式が変化し、適応していく例と言える。
身体図式は状況に応じて変化する。
暗い場所では視覚情報が制限されるため、触覚や聴覚といった他の感覚情報に意識が集中し、身体図式が変化する。
さらに、道具を使用することで、身体図式は拡張される。
例えば、ハンマーを使うことで、ハンマーが手の延長のように感じられるようになるのは、身体図式が道具を取り込んで拡張された結果である。
2.1.2 知覚と運動の不可分性
メルロ=ポンティによれば、知覚は単なる感覚情報の受容ではなく、身体の運動を通して行われる能動的な行為である。
我々は、身体を通して世界に働きかけ、世界からの反作用を受けることで、世界を経験する。
例えば、道を歩くとき、我々は足の裏の感触、周囲の風景、聞こえてくる音などを同時に経験する。
これらの感覚情報は、身体図式に基づいて統合され、一つのまとまった経験となる。
この知覚と運動の不可分性こそが、身体が経験において果たす重要な役割を示している。
従来の知覚観では、外界からの刺激が感覚器官を通じて脳に伝達され、そこで処理されるという受動的な過程として知覚を捉えていた。
従来の知覚観では、目はカメラのように外界の情報を捉える受動的な器官と見なされていたが、メルロ=ポンティは、目は身体の一部であり、頭や首の動きと連動して能動的に外界を探る器官であると考えた。
現代の認知科学では、このような知覚観は「行為知覚」という概念として発展している。
行為知覚は、知覚が単なる感覚情報の受容ではなく、身体の運動を通して環境を探り、情報を獲得する能動的な過程であると捉えている。
メルロ=ポンティの知覚論は、このような行為知覚の先駆的な洞察と言える。
知覚は運動を伴い、運動は知覚を導く。
例えば、何かを掴むという行為は、視覚による対象の認識と、手の運動が連動して行われる。
2.1.3 世界内存在
メルロ=ポンティは、人間を「世界内存在」として捉えている。
これは、人間は世界から切り離された存在ではなく、常に世界の中に存在し、世界と相互作用しているという考え方である。
我々は、身体を通して世界と繋がり、世界の中で意味を見出していく。
メルロ=ポンティが言う「世界」とは、単なる物理的な空間ではなく、我々の身体的な行為や知覚を通して意味づけられた「環境」である。
環境は、我々の身体的な動きや知覚を制約し、あるいは促すことで、我々の経験に大きな影響を与える。
建築空間は、まさにこのような環境の具体的な現れの一つと言える。
ある場所に初めて訪れたとき、我々は周囲の環境を手探りで探索し、身体図式を更新しようとする。
この探索の過程を通して、その場所の空間的な特徴だけでなく、素材の質感、音、匂いなども経験し、その場所の意味を構築していく。
世界は、身体を通して経験される意味のネットワークであり、身体は世界の中で意味を生きる存在なのである。
我々は、身体を通して世界と繋がり、世界の中で意味を見出していく。
この世界との繋がりは、特に建築空間において顕著に現れる。
建築空間は、我々の身体的な動きや知覚を制約し、あるいは促すことで、我々の経験に大きな影響を与える。
以下では、このような世界内存在としての身体が、建築空間においてどのように経験を構築していくのかを考察していく。
2.1.4 身体化された認知との接続
このメルロ=ポンティの身体論は、現代の認知科学における
「身体化された認知(Embodied Cognition)」の理論と深く共鳴する。
「身体化された認知」は、認知が身体の経験や環境との相互作用によって形作られるという考え方であり
・Lakoff and Johnson『Metaphors We Live By』
・Varela, Thompson, and Rosch『The Embodied Mind』
などの研究によって広く支持されている。
身体図式は、この身体化された認知の具体的な現れの一つと捉えることができる。
身体化された認知の理論は、メルロ=ポンティの洞察を現代の科学的知見で裏付けているだけでなく、身体図式では十分に説明できなかった現象、例えば、道具の使用による身体性の拡張や、社会的な相互作用による認知の変化などを説明することができる。
道具の使用による身体性の拡張は、身体図式が単に身体の物理的な構造の表象ではなく、環境との相互作用を通して変化する動的なものであることを示している。
ハンマーを使うことで、ハンマーが手の延長のように感じられるようになるのは、身体図式が道具を取り込んで拡張された結果である。
これは、身体図式が単なる身体内部の表象ではなく、身体と環境の境界が曖昧になるような、より包括的なシステムであることを示唆している。
また、社会的な相互作用による認知の変化は、我々の認知が孤立した個人の内部で完結するものではなく、他者とのコミュニケーションや共同作業を通して形成されることを示している。
他者との会話を通して新しい概念を学んだり、共同作業を通して新しい技術を習得したりするのは、社会的な相互作用が我々の認知に影響を与えている例と言える。
このような社会的な相互作用は、我々の身体図式にも影響を与え、他者との関係性や社会的な文脈を考慮した行動を可能にする。
これらの知見は、建築空間における経験を理解する上でも重要な意味を持つ。
建築デザインは、人々の身体的な動きや社会的な相互作用を考慮することで、より豊かな経験を創造することができる。
階段の手すりのデザインは、単に安全性を確保するだけでなく、身体的な動きをサポートし、快適な移動体験を提供することができる。
また、広場や共有スペースのデザインは、人々の交流を促進し、コミュニティの形成に貢献することができる。
このように、身体化された認知の視点から建築デザインを捉えることで、単なる物理的な空間設計を超えた、人間中心の、経験に基づいたデザインが可能になる。
さらに、身体化された認知の理論は、身体図式では十分に説明できなかった現象、例えば、メタファー理解における身体の役割なども説明することができる。
「議論に決着をつける」という表現は、物理的な行為である「決着をつける」を抽象的な議論に適用したメタファーであるが、このようなメタファー理解には、身体的な経験が重要な役割を果たしていると考えられている。
身体化された認知の理論は、メルロ=ポンティの身体論を現代の科学的知見で裏付けるとともに、経験に関するより包括的な理解を提供してくれる。
そして、これらの知見は、建築空間における経験を理解する上でも重要な意味を持つ。
建築デザインは、人々の身体的な動きや社会的な相互作用を考慮することで、より豊かな経験を創造することができる。
2.2 建築空間における身体的経験
建築空間は、まさにこの身体と環境の相互作用が顕著に現れる場である。
建築家は、素材、形状、光、音などを操作することで、人々の知覚や行動、感情に影響を与える空間を創造する。
建築空間は、人々の行動や知覚に対して様々な「アフォーダンス」を提供している。
2.2.1 アフォーダンス
心理学者ジェームズ・J・ギブソンによって提唱された「アフォーダンス」とは、「環境が動物に対して提供するもの、すなわち、動物が何かをするために環境が提供するもの」(Gibson, 1979)を意味する。
これは、環境の客観的な性質と、知覚者の身体能力や意図との関係によって規定される。
例えば、階段は誰にとっても「登る」というアフォーダンスを提供するが、足の不自由な人にとっては「登る」というアフォーダンスが低下し、手すりがより重要なアフォーダンスとなる。
また、同じ階段でも、急な階段は緩やかな階段とは異なる身体的な努力を要求し、異なる経験を生み出す。
アフォーダンスは、ギブソンの言う「直接知覚」を通して知覚される。
これは、知覚が感覚情報の処理ではなく、環境からの直接的な情報抽出であるという考え方である。
我々は、環境の中に存在する情報(例:ドアノブの形状、大きさ、位置など)を手がかりに、それが提供するアフォーダンス(掴むこと)を直接的に知覚する。
この知覚は、過去の経験を通して形成された身体図式によって支えられているが、意識的な推論を必要としない。
アフォーダンスは、行動を促すだけでなく、感情や意味の経験にも影響を与える。
例えば、広々とした空間は開放感や自由といった感情を、狭い空間は落ち着きや親密さといった感情を喚起する。
建築空間は、様々なアフォーダンスを提供している。
光: 明るい光は視覚的な注意を引きつけ、活動的な気分を促すかもしれない。逆に、暗い光は落ち着きや休息を促すかもしれない。光の差し込み方は、空間の雰囲気や奥行き感を変化させ、ドラマチックな効果を生み出すこともある。例えば、ステンドグラスを通して差し込む光は、教会などの宗教建築において神聖な雰囲気を作り出す。
音: 静寂は集中や瞑想を促し、反響は空間の広がりを感じさせる。環境音(例えば、水の流れる音や鳥のさえずり)は、自然との繋がりを感じさせ、心地よさや安らぎをもたらす。例えば、滝の近くで水の音を聞くことで、涼しさや清涼感を感じる。
素材: 木材の温もりは触覚を通して心地よさや自然さを感じさせ、金属の冷たさは清潔感や現代性を感じさせる。素材の質感は、視覚だけでなく触覚を通して経験され、空間の雰囲気を大きく左右する。例えば、畳の部屋では、足の裏に伝わる柔らかい感触や、い草の香りが、独特の落ち着きをもたらす。
空間の広さや形状: 広々とした空間は開放感や自由といった感情を、狭い空間は落ち着きや親密さといった感情を喚起する。高い天井は畏敬の念や荘厳さを、低い天井は親近感や落ち着きをもたらす。例えば、大聖堂の高い天井は、神聖な空間であることを強調し、訪れる人に畏敬の念を抱かせる。
動線: 通路や階段は身体の移動を誘導し、空間の構成や繋がり方を経験させる。迷路のような複雑な動線は探検心や好奇心を、直線的なシンプルな動線は効率性や明快さを感じさせる。例えば、庭園の曲がりくねった小道は、散策する人の好奇心を刺激し、様々な発見を促す。
2.2.2 アフォーダンスと身体図式の相互作用
アフォーダンスは、身体図式を通して経験される。
環境が提供するアフォーダンスは、身体図式に基づいて解釈され、意味づけられる。
例えば、階段を見たときに、我々はそれが「登る」ためのものであることを知覚するが、これは過去の経験を通して形成された身体図式に基づいて、階段が「登る」という行為を可能にするものであることを無意識的に理解しているためである。
身体図式は、アフォーダンスを知覚し、それに基づいて行動するための基盤となる。逆に、環境との相互作用を通して、身体図式は変化し、更新される。
新しい種類のドアノブに出会ったとき、我々はそれをどのように操作すれば良いのかを試行錯誤しながら学び、身体図式を更新する。
また、車椅子に乗るようになった人は、それまでとは異なる身体図式を構築し、車椅子での移動に適したアフォーダンスを知覚するようになる。
この相互作用は、経験を固定的なものではなく、ダイナミックなプロセスにしている。環境の変化や身体の変化に応じて、アフォーダンスの知覚や身体図式が変化し、新たな経験が生まれる。
この身体図式とアフォーダンスの相互作用は、経験が単なる環境からの刺激に対する受動的な反応ではなく、身体と環境の能動的な相互作用によって構築されることを示している。
2.2.3 建築デザインにおけるアフォーダンスの操作
建築家は、アフォーダンスを意図的に操作することで、人々の行動や知覚、経験を誘導しようと試みている。
例えば、美術館では、作品を鑑賞しやすいように、適切な照明や空間の広さ、動線などがデザインされており、これらのデザインは、鑑賞者が作品に集中し、深く考察するためのアフォーダンスを提供していると言える。
照明は作品の細部を照らし出し、視覚的な注意を誘導し、空間の広さは鑑賞者が作品から適切な距離を保てるように配慮されている。
また、動線は作品を順番に見て回れるように設計されており、鑑賞体験全体が意図的に構成されている。
商業施設では、顧客が店内を回遊し、様々な商品に触れるように、意図的に複雑な動線や魅力的な展示空間がデザインされている。
これらのデザインは、顧客の購買意欲を高めるためのアフォーダンスを提供していると言える。
商品の配置、照明、音楽、香りなどが組み合わされることで、顧客は特定の行動(例:商品の手に取る、購入する)を促され、特定の感情(例:購買意欲、満足感)を経験するように誘導される。
しかし、アフォーダンスの操作は、人々の自由な行動を制限する可能性も孕んでいる。
特定の動線に人々を誘導するデザインは、人々の自由な探索を阻害する可能性がある。
そのため、建築デザインにおいては、アフォーダンスの操作が倫理的に適切かどうかを慎重に検討する必要がある。
さらに、建築デザインが意図しないアフォーダンスを生み出す可能性もある。
ある場所に人々が集まりやすいという偶発的なアフォーダンスは、設計段階では予測されていなかったにもかかわらず、完成後に自然発生的に生まれることがある。
このような偶発的なアフォーダンスは、人々の行動や空間の使い方に影響を与え、新たな意味や価値を生み出すこともある。
広場の隅にできた小さなスペースが、人々が集まって休憩する場所として自然発生的に使われるようになったり、建物の壁にできた段差が、人々が腰掛けて話をする場所として使われるようになったりする。
これらの偶発的なアフォーダンスは、建築空間が人々の生活や文化とどのように関わっているのかを示す貴重な手がかりとなる。
2.2.4 アフォーダンスの知覚と文化
アフォーダンスの知覚は、文化や個人の経験によって影響を受ける。
例えば、日本では畳の部屋で靴を脱ぐことが一般的だが、他の文化圏では靴を履いたまま室内に入るのが一般的である。
これは、畳の部屋という物理的な環境が、文化的な習慣と結びつくことで、「靴を脱ぐ」という特定のアフォーダンスを強く喚起するようになった例と言える。
つまり、文化は単にアフォーダンスの知覚に影響を与えるだけでなく、環境自体が提供するアフォーダンスを形成する力を持っている。
また、同じ空間でも、異なる文化的背景を持つ人々は、異なるアフォーダンスを知覚する可能性がある。
ある文化圏では広場は市場や集会所として使われることが多いかもしれないが、別の文化圏では単なる通過空間として認識されるかもしれない。
このように、アフォーダンスは客観的な環境の性質だけでなく、文化や個人の経験によって意味づけられ、経験される。
2.3 経験の質:クオリアとクロスモーダル知覚
前節までで、経験が身体、知覚、環境の相互作用によって構築されることを明らかにしてきた。
しかし、経験は単なる物理的な情報処理の過程だけではない。
同じ物理的な環境にいても、人によって異なる経験が生まれるのは、経験には主観的な側面、つまり「感じ」が存在するためである。この「感じ」を表す哲学的概念が「クオリア」である。
2.3.1 クオリアとは
クオリアとは、経験の質的な側面、つまり「感じ」を表す哲学的概念である。
赤いバラを見たときの「赤さ」の感じ、音楽を聴いたときの「感動」、コーヒーを飲んだときの「苦み」、夕焼けを見たときの感動、美味しい料理を食べたときの幸福感など、意識的な経験に伴う主観的な質がクオリアである。これらの経験は、物理的な情報(光の波長、音の周波数、化学物質の組成、風速など)だけでは完全に記述することができないだけでなく、言葉や概念によっても完全に捉えられない。
「赤さ」の感じを言葉で説明しようとしても、それはあくまで間接的な表現にとどまり、実際に「赤さ」を感じている経験そのものを伝えることはできない。
この言葉や概念によって完全に捉えられない性質こそが、クオリアの非概念的な性質であり、その本質的な特徴の一つである。
赤いバラの反射する光の波長は物理的に測定できる客観的なデータであるが、「赤さ」の感じは、それを経験する個人の意識に固有の、主観的な質である。
この主観性こそが、クオリアの本質であり、物理的な測定だけでは捉えられない経験の側面を指し示している。
建築空間は、視覚、聴覚、触覚など、様々な感覚を通じて経験され、それぞれに特有のクオリアを生み出す。例えば、高い天井の開放感、木材の温もり、静寂な空間の落ち着きなどは、建築的経験におけるクオリアの例と言える。
本章では、これらのクオリアが、建築空間の経験において重要な役割を果たしていることを明らかにする。
2.3.2 「メアリーの部屋」の建築的解釈
このクオリアの概念を理解するために、「メアリーの部屋」という思考実験を建築的な視点から解釈してみよう。
「メアリーの部屋」とは、哲学者フランク・ジャクソンが提唱した思考実験で、色彩に関する物理的な知識を全て知っているメアリーという科学者が、白黒の部屋に閉じ込められ、色を見る経験をしたことがないという状況を想定している。
メアリーは、光の波長や脳の視覚野の働きなど、色彩に関するあらゆる物理的な情報を知っている。
しかし、彼女が初めて赤いものを見たとき、彼女はそれまで知らなかった「赤さ」のクオリアを経験する。
この思考実験は、物理的な情報だけでは経験の質的な側面を捉えきれないことを示している。
この思考実験を建築空間に置き換えて考えてみよう。
メアリーは、様々な建築様式、素材、色彩に関する物理的な知識を全て知っているとする。
彼女は、建築の歴史、構造、力学、色彩理論などを完璧に理解している。
設計図を読み解き、建築空間の寸法や素材、光の入り方などを正確に把握することができる。
しかし、彼女は一度も実際の建築空間を経験したことがない。
もしメアリーが初めて、例えば安藤忠雄の「光の教会」を訪れたとしたら、彼女はどのような経験をするだろうか?
彼女は、コンクリートの質感、十字架の形に切り取られた開口部から差し込む光の神々しさ、静寂の中で響くかすかな反響音、そして空間全体を包み込むような独特の空気感など、物理的な知識だけでは捉えきれない、独特の感覚として経験するだろう。
彼女は、コンクリートの組成や光の波長、音の周波数などを知っていたとしても、実際にその空間に身を置くことで初めて経験するクオリア、つまり「光の教会」がもたらす独特の「感じ」を経験するのである。
2.3.3 クロスモーダル知覚とクオリア
建築的経験は、複数の感覚が統合された「クロスモーダル知覚」の場である。
光の教会では、光の視覚情報だけでなく、コンクリートの冷たさを感じる触覚、静寂の中に響くかすかな反響音、そして空間全体を包み込むような独特の空気感など、複数の感覚が同時に刺激され、神聖な雰囲気という経験を形作っている。
このようなクロスモーダルな知覚は、「メアリーの部屋」では考慮されていない、建築的経験の重要な特徴である。
クロスモーダル知覚は、複数の感覚情報が統合されることで、単一の感覚では得られないクオリアを生み出す。
「光の教会」における神聖な雰囲気というクオリアは、光の視覚情報だけでなく、コンクリートの冷たさを感じる触覚、静寂の中に響くかすかな反響音、そして空間全体を包み込むような独特の空気感など、複数の感覚情報の相互作用によって生み出されている。
それぞれの感覚が独立して経験されるのではなく、互いに影響し合い、統合されることで、より豊かで複雑なクオリアが生まれるのである。
ある素材の視覚的な質感と触覚的な質感が一致しない場合、我々は違和感を感じることがある。
これは、視覚と触覚という異なる感覚情報が統合され、一つのクオリアを形成しようとする際に矛盾が生じるためである。
ル・コルビュジエのサヴォア邸も、建築と経験の関係を考える上で興味深い事例である。
サヴォア邸は、「ピロティ」「自由な平面」「自由な立面」「水平連続窓」「屋上庭園」という5つの要素によって構成されており、これらの要素が組み合わさることで、独特の空間体験を生み出している。
特に、水平連続窓から見える周囲の風景は、室内にいながらも自然との一体感を感じさせ、訪れる人の知覚に大きな影響を与える。
サヴォア邸では、水平連続窓から見える風景だけでなく
1.室内の素材の質感:木材の温かみや、金属の冷たさ
2.風の通り抜け:窓を開けたときに感じる風の感触
3.周囲の環境音:鳥のさえずりや、木の葉のざわめき
なども、経験を構成する重要な要素となる。
これらの要素が相互作用することで、サヴォア邸は単なる建物ではなく、豊かな経験の場となる。
これらの要素が組み合わさって生まれる、サヴォア邸特有の雰囲気、つまりクオリアは、写真や図面だけでは決して伝わらない。
実際にその場に身を置き、様々な感覚を通して経験することで初めて、サヴォア邸の真価を理解することができるのである。
2.4 建築的経験の多層性
建築的経験は、単一の解釈に還元できない多層的な性質を持っている。それは、普遍的な人間的ニーズと、個々の経験や文化的背景との複雑な相互作用によって形作られる。本節では、建築的経験の多層性を、普遍性と個別性、場所の感覚、そして建築デザインにおける意図と経験の乖離という三つの側面から考察していく。
2.4.1 普遍性と個別性
建築空間は、普遍的な人間的ニーズを満たすようにデザインされる。
快適さ、安全性、機能性、美しさなどは、文化や時代を超えて共通する人間の欲求と言える。
適切な広さや採光、換気などを考慮することで、人々は快適な空間で過ごすことができる。
耐震性や防火性などを考慮することで、人々は安全な空間で生活することができる。
また、素材や形状、色彩などを工夫することで、人々は美しいと感じる空間を享受することができる。
しかし、これらの普遍的なニーズを満たすデザインが、実際にどのように経験されるかは、個々のユーザーによって異なる。
同じ空間でも
1.異なる身体的な特徴:身長、体格、運動能力、感覚過敏の有無など
2.異なる文化的背景:異なる文化圏では空間の使い方が異なる
3.異なる過去の経験:過去に住んでいた家との比較、特定の場所での記憶など
これら個別の要素を持つ人々は、異なる経験をする。
広々とした開放的な空間は、一般的には自由や開放感を与えると言えるが、閉所恐怖症の人にとっては不安感や圧迫感を感じさせるかもしれない。
また、同じ素材でも、ある文化圏では神聖な素材として扱われるかもしれないが、別の文化圏では日常的な素材として認識されるかもしれない。
日本では木材は伝統的に建築に用いられてきたため、木造建築には温かみや親しみを感じる人が多いが、木造建築に馴染みのない文化圏の人にとっては、単なる古い建物と感じられるかもしれない。
このように、建築空間は一定の普遍的な経験を生み出す可能性を持っているが、その経験は常に個々の身体を通して解釈され、個別的なものとなる。
つまり、建築的経験は、普遍性と個別性の間の緊張関係の中で生まれると言える。
2.4.2 場所の感覚
建築空間は、単なる物理的な空間ではなく、人々に特定の感情や記憶、意味を喚起する「場所」としての側面を持っている。
「場所の感覚」は、個人の経験や文化的背景と深く結びついており、建築的経験の重要な要素と言える。
幼い頃に遊んだ公園や、家族と過ごした家などは、個人的な記憶や感情と結びつき、「特別な場所」として記憶される。
また、神社や寺院などの宗教建築は、その歴史や文化的象徴と結びつき、神聖な「場所」として認識される。
「場所の感覚」は、過去の経験や記憶と結びつくことで、個人のアイデンティティや所属意識を形成する。
故郷の風景や、母校の校舎などは、個人のアイデンティティを構成する重要な要素となる。
建築デザインは、「場所の感覚」を創造または破壊する力を持っている。地域住民の記憶や文化を反映したデザインは、人々に帰属意識や愛着心を育むことができるが、周囲の環境や歴史を無視したデザインは、人々に違和感や疎外感を与える可能性がある。
古い街並みを保存し、活用した商業施設は、地域住民や観光客にとって魅力的な「場所」となるが、周囲の景観を無視した高層ビルは、地域の文脈を破壊し、人々に違和感を与える可能性がある。
建築空間は時間とともに変化し、異なる世代の人々によって異なる経験を生み出す可能性についても考慮する必要がある。
かつて最新技術の象徴であった建物が、時を経て歴史的建造物となり、過去の技術や文化を伝える役割を担うようになる。
このように、建築空間は時間と経験を通して意味を重ね、「場所の感覚」を育んでいく。
2.4.3 建築デザインにおける意図と経験の乖離
建築家は特定の経験を創造することを意図して空間をデザインするが、実際に経験される内容は、個々のユーザーによって異なる。
この「意図」と「経験」の乖離は、建築デザインにおいて重要な課題と可能性を提起する。
ある建築家は、人々が集い、交流する場を創造することを意図して広場をデザインするかもしれないが、実際にその広場がどのように使われるかは、地域住民の生活様式や文化、あるいは偶発的な出来事によって大きく異なる。ベンチを多く配置した広場は、人々が座って休憩したり、会話したりする場として意図されたかもしれないが、実際にはスケートボーダーの練習場として使われるかもしれない。
また、ある建築家は、自然光を多く取り入れた開放的なオフィスをデザインすることで、従業員の創造性や生産性を高めることを意図したかもしれないが、実際には日差しが強すぎて仕事に集中できないという問題が生じるかもしれない。
この乖離は、建築デザインの限界を示すと同時に、人々の創造性や多様性を引き出す可能性も秘めている。
建築家は、ユーザーの多様性や偶発的な出来事を考慮し、柔軟で適応性の高い空間をデザインすることが求められる。
様々な使い方に対応できる多目的スペースを設けたり、ユーザーが自由に空間をカスタマイズできるような仕組みを導入したりすることで、意図と経験の乖離を小さくすることができる。
しかし、完全に乖離をなくすことは不可能であり、むしろその乖離から新たな意味や価値が生まれることもある。
意図しない使われ方をされることで、空間に新たな魅力が発見されたり、地域住民の生活に根付いた独自の文化が形成されたりする。
2.5 まとめ
本章では、経験が身体、知覚、環境の相互作用によって構築されることを明らかにした。
メルロ=ポンティの身体論を基盤に、「身体図式」という概念を通して、身体が世界と繋がり、世界の中で意味を見出していく過程を考察した。また、建築空間を例に、環境が提供する「アフォーダンス」が身体図式と相互作用することで、我々の経験がどのように形作られるのかを分析した。
さらに、「メアリーの部屋」という思考実験を通して、経験の質的な側面、すなわちクオリアの重要性を強調し、経験が単なる物理的な情報処理ではなく、主観的な「感じ」を含むことを示した。
特に、以下の点を明らかにした。
身体は世界から切り離された存在ではなく、常に世界の中に存在し、世界と相互作用している「世界内存在」であること。
「身体図式」は、身体が世界の中でどのように位置し、どのように行動するかについての、暗黙的かつ実践的な知識であり、経験を通して変化し、更新される動的なプロセスであること。
環境が提供する「アフォーダンス」は、身体図式を通して知覚され、意味づけられることで、我々の行動や経験を方向付けること。
経験は単なる物理的な情報処理ではなく、主観的な「感じ」、すなわちクオリアを含むこと。そして、クロスモーダル知覚を通して、複数の感覚情報が統合されることで、より豊かで複雑なクオリアが生まれること。
建築的経験は、普遍的な人間的ニーズと、個々の経験や文化的背景との複雑な相互作用によって形作られる多層的な性質を持つこと。そして、建築家の意図と実際に経験される内容との間には乖離が生じる可能性があること。
これらの考察を通して、経験が単なる客観的な現実の反映ではなく、身体、知覚、環境の相互作用によって構築される主観的なものであることが明らかになった。
この経験の構築性という視点は、次章で考察する「シミュレーションと現実」の関係を理解する上で重要な基盤となる。
もし経験が常に構築されたものであるならば、シミュレーションにおいて「身体性」を完全に再現することは可能なのだろうか?もし不可能であれば、その限界はどこにあるのだろうか?
次章では、シミュレーション技術がもたらす新たな「現実」の可能性と、それに伴う課題を探求する。
特に、シミュレーションが現実をどのように模倣し、あるいは異なる経験を生み出すのか、そしてシミュレートされた経験が現実の経験とどのように異なるのかを考察する。
本章で議論した「身体図式」と「クオリア」の概念は、シミュレートされた経験を分析する上でも重要な手がかりとなるだろう。
例えば、VR空間において、現実世界と同様の身体感覚や知覚経験を再現することができれば、より没入感の高いシミュレーションが可能になるかもしれない。
しかし、クオリアのような主観的な「感じ」を完全に再現することは、技術的に非常に難しい課題である。
また、シミュレーションが提供する経験が、現実世界の経験とどのように異なるのかを理解することは、シミュレーション技術の適切な活用を考える上で重要である。
シミュレーションは現実世界では危険な状況や不可能な状況を安全に体験することを可能にするが、同時に、現実世界との乖離によって、倫理的な問題や社会的な問題を引き起こす可能性もある。
次章では、これらの問いを通して、シミュレーションがもたらす「構築された現実」の可能性と限界を明らかにしていく。