お天道様は見ている、という感覚
都内一等地のコインパーキングに車を停め、現場に向かった。
最大料金の設定がなされていないパーキングであったが、他は満車だらけ、約束の時間に遅れるわけにもいかないし、かかっても2時間程度だろうということで料金を確認せずにその場を離れた。
結局その日の仕事は予想より手こずり、3時間半が経過してコインパーキングへ戻ってきた。1万円近く、もしくは1万円超えてる?などとドキドキしながら自分の停めた車の番号を押し「清算」のボタンを押した。
「・・・。」
「ん?」
機械が反応しなかったので、もう一度同じ動作を繰り返した。
やはり反応がない。
番号を間違えたかと思い、確認するが、番号は合っている。
もう一度トライをしながら車を眺めていて気がついたのだ。
ロック板と呼ばれる板が上がっていない、何の間違いだろうか、通常なら車を駐車した際に反応してロック板は上がるのだ。そのロック板が上がったタイミングから料金が課金されていくのだが、課金がなされていないらしい。
ロック板は上がることによって車が乗り越えられない、つまり料金を払わず逃げてしまうのを防止している。がしかし、目の前の光景はおそらく1万円前後の課金がなされていたであろう車両は、ロック板も機能していないことからそのまま発車しても問題ない状態である。
一瞬良からぬことが頭によぎったが、私ももう立派な大人。誰も見ていないからといってそのまま行くわけにはいかないと、料金を支払う機械に記載している電話番号に電話を入れたのだ。
かくかくしかじか、訳を話すとあろうことか「料金は結構ですが、参考までにお車の車種とおおよその入庫した時間を教えて頂けませんでしょうか」というではないか。
そして、出庫後に機械の裏に置いてあるカラーコーンを置いとくように指示され、なんだか申し訳ないような気持ちでパーキングを後にした。
帰りの車中、あのまま電話もせず離れていたらきっとモヤモヤした気持ちと、どこからかカメラで確認されていたのではというドキドキした気持ちをしばらく引きずることになっただろう。
こうした当たり前だが、誰も見ていないところでもなるべく正しく振舞おうとする姿勢においては、いい人ぶっているつもりではない。商売に必要な姿勢と考えているからだ。
商売をしていく中で何度も不正行為ができてしまうじゃないか、という場面に遭遇する。
誰にも言わなければとか、バレなければという会社のお金を扱う立場だからこそ自分を律することで保たれる場面が多々あるのだ。こんな小さな会社のことを誰が指摘するだろう、という気持ちで不正を働いてしまう経営者は多い。
はじめは出来心のつもりでも、罪の意識は次第に薄れ、そのうち平気で会社のお金を私物化するようになってしまう。正攻法で利益をあげる大変さに比べたら、不正に懐に入れる行為は簡単であるがゆえ、クセになりやすい。
商売の本質は社会に価値提供をした代価として利益を得ることだ。不正を働いて得ることが染みついてしまうと、懐を潤すこが頭の中を支配し、社会に目を向けることは少なくなっていく。
お天道様が見ている。
スピリチュアルなことではなく、姿勢として自身を律する意味でも意識しておきたいところ。悪事がバレることがなくとも、重ねれば重ねるだけ自身の姿勢に歪みが出る。
その歪みこそが最大の損失、一事が万事、小さなことであろうと意識して姿勢を保とう。
とはいえ、駐車料金が免除され「ラッキー」と心の中で小さなガッツポーズをとってしまったことはここだけの秘密である。
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