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時代背景が違えば同業でも違う競技となる
大きな流れで同じ職種として捉えていても、時代が違えばルールや制約も違うので比べるに値しない、という話
ある現場で長く付き合いのある協力業者の社長と話をしていた。
一通り、仕事の打ち合わせの要素を含んだ話をしたあと、唐突に社長から先日うちの父が訪問した際の話を挟んできた。
「大きな仕事を請負うらしいじゃない。会長に聞いたよ」会長とは父のことである。数年前に退職し、あまりにも時間を持て余すということでパートという形態で週に数日働いてもらっている。
父を頼ってくる仕事もチラホラあり、その相談のため訪問したそうだ。時間があるものだから、相談のついでに油を売りに馴染の業者を表敬訪問することが一つのライフワークとなっている。
そして社長の話は続く。
「でも言ってたよ、息子に抜かれたって」
おそらく現在の年商やこの度受注した大型案件の工事金額をもとに言ったのであろう。
父がそういったことを気にしていることに驚いたのだが、そもそも時代背景も違うし、表向きの業種は同じでも中身はまったくの別物であるからして、私の方は過去のことを指標にしたことはほとんどない。
父の当時は父のやり方が1つの正解であったのだろう。高度成長期という時代背景もあり、商売は順調そのものであっただろうし、やればやるほど成果も感じられた時代であったと想像する。
しかしながら、そのやり方にも陰りが見えはじめる。バブルが弾け、長い不況とともにインターネットの登場というゲームチェンジを余儀なくされる市場の変換期に上手く乗ることができなかったのである。
過信していた過去の成果が出たやり方をゴリ押しするが、売上げは年々減少し、市場の混乱の最中、建設業界の末端では金に困った業者による売掛金の踏み倒しや計画倒産、夜逃げなどのカオス状態が展開される。
気がつけば赤字垂れ流しの債務超過、売上げの見込みもない瀕死の状態。
その経緯から改善を重ね、何とか危険水域は脱する状態までに持ち直してきたが、目指した目標は会社を生き返らせるということだけで、過去の記録を更新しようなどとは考えたこともなかった。
以前、必要に駆られて決算書を漁っていた際に、バブル期の過去最高の売上げを計上したものを確認したころがあるが、あまりに時代背景が違うということもあって、参考になる気がしなかった。
どれくらい参考にならないかといえば、ファミコンのスキルで今のオンラインゲームをプレイするくらい無理ゲーで、ゲームという表面は変わらないが内容はまったくの別物で、比べようにも対象物は初代スーパーマリオブラザーズとフォートナイトくらいの差があるのだ。
どちらが熱狂させられるか?という軸で考えたとき、どちらもその時代では正解だったと思うし、陳腐化していくという意味では、そこで進化の歩みを止めてはいけいということになるだろう。
人は多かれ少なかれ過去の成功体験にしがみつく生き物だ。成功を目指すのは悪いことではないが、そこをゴールとして設定してはそこを頂点にやがて後退していくのだ。
だからこそ、自己記録更新の精神で成功に浸ってはいけない。父の話で忘れかけていた教訓を思い出すこととなった。
過去を思い返し懐かしむのは父の年齢ほどになってからとしよう、それまであと30年何を積み重ねられるだろうか。
成功は最低の教師だ。
優秀な人間をたぶらかして、失敗などありえないと思い込ませてしまう。
ビル・ゲイツ