玄人の知識で素人の視点を持つ
顧客目線、と言うけれど本当にお客様の立場で物事を見れてますか、という話。
自社のマーケティングを考えたとき、必ず一度インストールしなくてはいけないのが『顧客目線』。
消費者の立場に立ったときに、提供者側との感覚のズレを失くし、顕在化されていない潜在ニーズを掘り起こさなければならない。
この提供者側と消費者の目線を行ったり来たりと往復していると新しい仮説が発見できることがある。
しかし、このときに知識のバランスとして提供者側の商品やサービスのマニアックな知識を事前に入れ過ぎてはいけない。意識が提供者側に引っ張られてしまうからだ。
そうなると、こんなに性能のいいもなのだから売れるはずだ、というマインドに重心がかかってしまう。
このマインドは開発者や立案者がとことん掘り下げて持っていればいい。
ニーズを掘り下げる人間はサラッと触り程度理解しているに留めておこう。バランスはもう一方の消費者側にもとる必要があるからだ。
先日新聞にVRで大人が子供目線を経験すると、いかに自分が無力で守られている存在かを確認できる、といった記事に目が留まった。
子供の感覚ではなく、成熟した大人として改めて子供目線になるだけでどれほどの気づきがあるだろうと思った。
ここでポイントなのは、大人の感覚を持ちつつ、子供の目線にたったことである。子供の経験値では大人ほどの感覚は持ち合わせていない。よって、感覚的には無力だったり、守られている、といったことはなんとなく感じているだろうが、当たり前すぎて表面化していない。
先ほどの提供者と消費者の目線も同じことが言えるのではないだろうか。
お互いの目線は当事者として普段の常態化に過ぎず、感じていることは潜在的には持っているが、意識をしなければ当たり前すぎてわざわざ語るに足らない事実になってはいないだろうか。
この語るに足らない当事者の事実こそが顕在化されていない潜在ニーズという利益の源泉と言っていいだろう。この双方のギャップがあればあるほど商品としての価値が高くなる可能性があるのだ。
だからこそ顧客目線をインストールする際には提供者側の知識は入れ過ぎてはいけないのだ。
実際に対象顧客にアンケートやインタビューする機会があるとこちら側で予想していた回答とのギャップに驚かされるだろう。
素人目線の玄人になるには常にこうあるべき、などの固定観念という枠は持たないようにしよう。すでに出来上がった商品のシナリオやメーカーが提示したセオリーはあえて疑った方がいい。熟考されているものもあるが、いがいと提供者側に重心を置いた仮説に基づいていることも多い。
とはいえ、100%の顧客目線になることは不可能だ。ある程度の仮説ができあがったらテストマーケティングや実際に顧客に提供して声を聞いてみるのもいい。そうして精度の高めたものでも世の中に出してみるまでは本当のポテンシャルはうかがい知れない。
まずは玄人思考のこうあるべき、一方的なスペックの知識、などの感覚は一旦外してしまおう。顧客VRを装着したつもりで今一度、真の顧客目線を再インストールしてみてはいかがだろうか。
ある程度の顧客の真相が理解できるまでは自身の持つ知識や常識はひとまず蓋をしてしまおう。偏った情報は真の価値を見えにくくしてしまう。