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【やっとけ】タイミングなんていつ何時失うかわからない

やるべきタスクにおいて「機が熟したら」「来月から」などのタイミングを見計らっていると、思わぬ事態でそれを失う可能性がある、という話

先月にやらかしたギックリ腰がようやく完治して日常生活を取り戻しつつある。

今回は発症からじつに3週間弱と長引いたのも加齢による筋力の低下などが原因だった。



今朝は3週間ぶりに書斎にこもり、途中であった課題に取り組んだのだが、この課題だって本来は年内に終わらせて、2025年に向けて明確な方向性を示すためのタスクであった。

なんとも中途半端なスタートを切ったのだが、今回の教訓として“やるべきことは前倒しで取り組む”ということを肝に銘じた。



自身の都合から着手のタイミングを見計らっていると、思わぬアクシデントで先延ばしになる可能性がある。

さすがにそのアクシデントがギックリ腰というのはレアケースかと思うが、仕事においては突発的な案件が差し込まれたり、トラブル対応などは日常的に起こり得ると思うのだ。



先延ばし程度ならまだしも、そのタスクごといつの間にかどこかへ行方不明になるケースだってある。

わたしは課題にも鮮度があると感じている。

鮮度が落ちると取り組む姿勢のモチベは下がり、本来なら処理すべき課題も「まあいいか」という自己都合で大した問題ではない、という扱いにしてしまいがちだ。



確かに仕事をしていれば物理的に取り組む環境を整えられない場合もあるが、着手できない理由のほとんどは自身の気分的なものではないだろうか。

ならば気分が乗ろうが乗らまいが、とりあえず着手一択で進めてしまうのがいい。

動き出してしまえば何らかの形にはなるし、仕事ができる人ほどこうした着手した中途半端なタスクをいくつも同時進行している。



わたしも今回の一件は課題が何だったのか行方不明になりかけたほどブランクをあけてしまった。

3週間日常生活に支障をきたすのは致命的ということで、今年から予防プロジェクトとして新しい習慣を加えることにした。

ただ振り返ると着手までの油断がなかったわけではないことから、思い立ったが即着手、は今年こし強化していこうと思う姿勢である。

着手がタスクの一番の難関。そこをクリアすればほとんど終わったようなもの