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顧客創造は本音で意見をぶつけ合う

新しいニーズの発想を社内で練り上げるとき、最大限に悲観した本音をぶつけ合うといい。なぜなら消費者の心理はいつも本音だからだ、という話。

新しいサービスや商品のプランを練る際に心掛けることがある。

希望的観測や私情を挟まない、という事だ。

新しく考えることには、はじめから過度な希望がのっかりがちだ。こうだったらいいな、こうなればこんなに儲かるな、といった具合でワクワク感が先行してしまう。着想としては問題ないが、このまま悲観的な視点があいだに挟まらなければただの夢物語である。

それはあくまでもこちらの都合に過ぎず、この発想から、こうすればお客様にきっと喜ばれる、という着地はきわめて危険である。

新規プランの悲観的視点をすっ飛ばした『希望的観測発想の希望的観測着地』は絶望的結末を迎えることがほとんどだ。

『楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する』とは、京セラの創業者、稲盛和夫氏の言葉だ。

この悲観的に計画する、というフェーズを本音でぶつけ合う必要があるのだ。成功体験も失敗体験も含めたさまざま事象の中で、一切の私情を挟まずに、顧客とのやり取りの本質を抽出する。

ここは計画段階なので意見に矛盾や不合理、不適格なことがあって全然いい。むしろ荒削りでも本音からくる意見でなければ本質的なニーズにはたどり着けないと思うからだ。

本音から出る本気の意見には熱がある。そして無難さがない。この場合、実行案を話し合っている段階ではないので歪な意見をぶつけ合いながら研磨され、それらしい形になっていくのだ。

消費者は情けでお金を払ってはくれない。時間をかけてよく考えたプランだから、とか、一所懸命努力したからといって財布を開いてくれるほどやさしくはない。欲しくないものは欲しくないのだ。

だからこそ本当に欲しいと思う価値を創造しなければ意味がない。

そして消費者が本当に欲しいと思う価値が中途半端な議論で見つかるわけがない。

なのでこの手の議論の際にはこれでもか、というほど『それって本当に欲しいかな?』と、話の腰を折る。言われた方はイラっとするが、何度も浴びせられる否定的な意見にもめげない麦の様なプランしか本質的な価値には近づけない。

研磨され、やっと形になった新しいプラン。驚くことにこのプランを研磨する作業にエネルギーを使いすぎたのか、大事に温めてしまうケースが往々にしてある。

愛着のある儲けの種に他ならないが、どんな優れたプランでも世の中に放り出してみなければ真価を問うことはできない。

稲盛氏の言葉の最後は、楽観的に実行する、である。

リリースが決まったならあとはあれこれ考えず、泳がせてから考えよう。起こる前からあれこれ心配するのは杞憂ということだ。

本音でぶつけ合った意見が人の気持ちを揺さぶる価値になる。議論の場は本音が出やすいような演出が必要である。




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