「映画を撮る」授業、学生監督とのインタビュー【名画座のいま】
早稲田松竹は、学生街にある名画座だ。
普段はロードショーの終了した作品や過去の名作映画を中心に、二本立てで上映している。
そんな松竹が、早稲田大学とコラボしたのが今回の企画「W-cinema はじまりの映画たち」。
学生が撮った映画が名画座で上映された。
早稲田大学には「映像制作実習」という授業がある。
是枝監督をはじめ、映画のプロフェッショナルの指導のもと、学生たちが企画を立てて撮影に挑む。
選考をくぐり抜けて上映に至った4作品の中で、特に心に残った作品があった。
基幹理工学部3年(当時)の竹内羽香監督による『誰かの栞』だ。
『誰かの栞』は「なくなるもの」を描いている。
高円寺のある古本屋がひっそりとなくなっていく話だ。
世界からは日々、いろいろなものが消えていく。人も、物も、場所も、なくなってしまうのは悲しいことだ。
それでも映画を見終わったとき、明るい気持ちになったのが不思議だった。
「なくなる」という切実なテーマを扱いながら、『誰かの栞』が明るく穏やかな作品になっているのはなぜだろう。
竹内監督に話を伺った。
世界の中で「何かが残る」としたら
そもそも竹内監督が映像制作の授業を取ったのは、「ゼミの必修だった」という理由からだ。
それでも他の受講生のサポートと、講師陣の詳細なフィードバックに後押しされ、創作に真摯に向き合った。
『誰かの栞』は小学6年生の翔太が主人公だ。
翔太は、祖母が一人で営む古本屋が近いうちに閉店してしまうことを知る。
そんなとき目を留めたのが、古本に挟まった「誰かの栞」だった。
この作品は、翔太が集めた栞を一つひとつ本に挟み、店頭に並べた場面で終わる。
日差しの中で、お客さんを見守る翔太の表情は明るい。
古本には前の持ち主の痕跡が残されている。
マーカーが引いてあったり、メモが書かれていたり、栞が挟まっていたり…。そのような痕跡から、会ったことのない誰かに対して思いを馳せることができる。
古本屋という「場所」も同じだ。
たとえ閉店を迎えても、誰かに思い出してもらうこと、想像してもらうことによって何か残るものがあるのではないか、と竹内監督は話してくれた。
話を聞きながら、腑に落ちた部分があった。
「物」がなくなっていくのは早い。でも、記憶は「物」それ自体より長く残る。
色々なものがなくなってしまう世界で、何か続いていく存在があるとしたら、思い出や想像する力、つまり「心」ということになるのかもしれない。
そんなことを静かに考えさせてくれる映画だった。
「誰か」という関わり方
『誰かの栞』について、もう一つ気になったことがあった。
それはこの映画が、主人公の翔太と本を手に取る「誰か」の関係を描いていることだ。
映画も、マンガも、小説も、近しい他者との人間関係にスポットを当てた物語が多い。例えば、友人との衝突や恋人との和解がドラマを生み出していく。
それに対して『誰かの栞』は、翔太と不特定多数の「誰か」の物語だ。両者は干渉しないし、直接言葉を交わさない。両者の間で劇的なことは起こり得ない。
一見、このような関係からは何も生まれないように思われる。だから、友人や恋人ではなく、「誰か」としてしか関われないのは寂しいことではないのだろうか。
なぜ、「翔太/本を手に取る誰か」の関係性に着目したのか、竹内監督に聞いてみた。
言われてみれば、劇的な出会いというのは現実的じゃない。
私たちが日々経験するのは、道ですれ違うとか、ネットでつぶやくとか、本を手に取るといった、なんてことない「わたし/誰か」の関係だ。
でも、そういう日常の関係から世界は広がるのかもしれないと思った。
続けて竹内監督は、映画館という空間が好きだと話してくれた。
現実から逃げたいと思ったとき、見知らぬ人と一つの画面を見つめ、一、二時間じっとしている。その空間に没頭している間は気持ちが楽になるという。
映画館で映画を見ている人たちは直接言葉を交わすわけではなく、ただそこにいるだけだ。
それでも「誰かと共に、同じ空間にいるんだ」ということを想像することによって、自分の中で世界が広がり、強張った心も癒される。
そう考えると、名無しの「誰か」同士であるのは、決して寂しいことではないのかもしれない。
話を聞きながら、そんな他者との関わり方もあるんだと改めて確認する思いだった。
さいごに
『誰かの栞』のラストシーンでは、翔太が栞を挟んだ本を店頭に並べる。
その表情は、「誰か」が本を手に取ってくれること、古本屋の記憶がその人の中に残っていくことを期待しているように見える。
そして、私がこんなふうに記事を書いているのも、期待しているからだというような気がしてきた。
映画を撮るのも、何か書くのも、名前も知らない「誰か」がいてくれるからかもしれない。
だから最後に、もしここまで読んでくれた人がいるとしたら、ありがとうございます。
あなたのことを想像すると、明るい気持ちになれます。
取材を受けてくださった竹内さん、本当にありがとうございました。
(文・とり)