NYに行って考えが変わった話
NYから帰ってきて3日経ったんだけど
思った事を此処に書いておこうと思う
動画で表現できない感情が残っててさ
結論としてまず、物の見方が変わった
タイトルにもある考え方もそうだけど
行かなきゃきっとわからなかったかな
元々友達に会うためにNYに行ったんだ
6月に来日したBadMaryってバンドの
前座として僕らのバンドも演奏をした
BadMaryのメンバーはすごくいい人達だったし
ツアースタッフの人達ともメチャ仲良く話せて
そのノリの延長で僕はNY行きをその場で決めた
ノリとは言え円安の昨今(1ドル142.72円)
軽い気持ちだけでと渡米できる物価では無い
だが、しかし!!😎
僕には目標があるんだ
三年前に立てた目標が
それは、海外で歌を歌うこと
カッコいい理由なんて無くて
あの伝染病が世界を覆ったあの時
人生のやり残しを無くすと決めた
そこからガムシャラに続けてる事と
やめてしまった目標があるんだけど
海外で歌うと言う事は今も残ってる
最初は誰も相手にしてくれなかったけど
少しずつ周りに人が集まってきてくれて
今年の正月に初めてスペインで
アニソンを歌う機会に恵まれた
この時は僕一人だけだったけれど
今度はバンドメンバーと行きたい
僕の戯れとも思える発言が
だんだん形になってきてる
夢を叶えるとか照れ臭いからさ
目標をクリアしていく感覚かな
話は逸れてしまったが
目標に関係する事なら
僕の行動は比較的速い
NYの友達ができたのなら
NYで歌うチャンスもある
じゃあ行きますか!?
そんだけの事なんだw
さて、そんな理由でNYに行ってきた
その時の動画はコチラにアップしたよ
だから此処では動画の中に
出さなかった事を話したい
動画の内容は僕の失敗だとか
アクシデントを前面に出して
敢えて綺麗な世界を演出した
最初はそんなつもりじゃなかったな
NYに着いたばかりの僕は浮かれてて
ヤバそうな地域でハシャいだ動画を撮って
危なそうな人達の写真を選んだりしていた
言い出したらキリがないけれど
ジャンキーはそこら中にいたし
電車の中で喚きながら物乞いをする人や
タイムズスクエアでぶっ倒れて寝てる人
チャイナタウンではボッコボコの車の上で
飛び跳ねている青年の動画を撮ったりした
そういう動画を出せば
跳ねやすいと思ってた
でも結論から言うと、ヤメた
そーゆー内容を発信はしない
理由は友達との会話の中で
芽生えてきた気持ちだった
BadMaryのツアースタッフをしてた「ロ二」
彼女に会うために僕は今回アメリカに行った
最近転職をした彼女は仕事でも
プライベートでもかなり激務で
引っ越し準備の真っ最中だった
そんな中、少ない時間を調整してくれて
僕に会いにきてくれて本当に感激したな
彼女は少し日本語が話せるけど
ずっと会話できるほどじゃない
僕も少しは英語が出来るけど
いわゆるカタコト程度だった
だから僕らは翻訳アプリを片手に
一生懸命お互いに伝えようとした
その中で彼女は日本の事を褒めてくれた
「日本はとても綺麗
思いやりがある国」
そんな感じの内容だったと思う
僕はアメリカの強さと
日本の情けないとこを
拙い英語で言ってみた
すると彼女は首を振りながら
「ニューヨーカーは自分たちの街が
どう思われているかわかっている」
そんなニュアンスの事を言った
その時はあまり深くわかってなかったが
それが引き金になり考えが生まれてきた
自分の街がどう思われているか
僕もリアルに考えた事があった
僕は名古屋出身だが
思い入れは特に無い
生まれ育った地域で
家族が住んでいる街
その程度でしかないんだが
そんなドライな僕でもなお
地元の事を悪く言われた時には
何故か心を抉られる感覚がある
10年前、九州から名古屋に出稼ぎに来た
まだ二十歳になりたてくらいの女の子に
「名古屋はどうだった?」
と聞いてみた事があった
返答はこんな感じだった
「正直がっかり、もっと都会かと思ってた」
どう思うかなんて彼女の自由だし
素直に率直な意見を言ってくれた
でも、
普段地元愛など無い僕も
この時怒りを覚えたんだ
そりゃそうだよな
自分のアイデンティティが
否が応でも地元にはあって
人生の幾分かが詰まってる
絶賛こそ求めずとも
否定されれば悲しい
ロニの言葉からそんな事を思い出したんだ
そして、僕は考えを変えた
バズる内容とかどうでもいい
そんな興味本位で友達の街を
バカにした様な表現はしない
僕の表現はジャーナリズムではないし
問題提起や議論をしたいワケではない
エンターテイメントに徹してもいないし
マーケティング理論もよくはわからない
ただNYで友達に会ってきた
それだけの事で充分素敵だし
その延長がある未来にしたい
そう思えただけでも
NYに行って良かった
でもね、もう一つプレゼントがあったんだ
ひとしきり会話した後に
僕らは夜の街を散歩した
正確に言うとロニが僕を
駅まで連れてってくれた💦
その時、僕らの会話は全て英語だった
でも僕の頭の中にはいくつか
日本語として残っているんだ
コレ、伝わるかな?
例えば彼女が僕に
「チャイナタウンの近くに
泊まってるんだよね?」
そう尋ねた言葉は日本語として
ハッキリ僕の頭の中に残ってる
記憶としては間違っているのだろう
でも感覚としてそう認識してるんだ
外国語を話せる人には普通かもしれないし
単に僕がそう感じただけの事かもしれない
以前4ヶ国語話せるバンドメンバーが
こんな事を言ってたのを思い出したよ
「言語ごとに変換した事などありません」
そいつはスペイン人なんだけど
日本語で話をしていてる時にも
日本語 ⇔ スペイン語
という変換はしていないのだと
えーー!!😱 と思った
僕は今まで全て日本語から変換していたからさ
でも同時に、
だから英語が話せないのかな、とも思った
英語圏で長く暮らすとある日、
英語で夢を見る様になるという
バイリンガルやトライリンガルの子達が
色んな言語をゴチャ混ぜで話してるのも
変換とかいうバイアスが無いからかもな
そのへんの感覚の事、知ってたら誰か教えてくださいw
この経験で僕の言語に関する思い込みが消えた
必ずどこの国の人とも会話ができる様になる!
そして何語だろうが歌って伝える事ができる!
そんな風に感覚が変わったんだ
だから本当に行って良かった!
大袈裟かもしれないけれど
人生観や価値観が変わった
そんな旅だったと思ってるよ
来月は韓国の友達に会いに行く
また新しい経験ができるんだな
今から楽しみだ!!
それじゃまたね!!
僕のバンド、ペルチェロのYouTube動画です!
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