「絆」がなにもないところに生まれているのはアメリカ的な価値の再生をテーマにするイーストウッドらしい
最初からネタバレだが、この作品の評価をどう言おうか悩んでしまう。尊厳死について自分の意見が定まっていないので、単純に良かったと言っていいのかわからない。ただ映画としては、人間の在り方を重く問いかける重厚な作品で、さすがのクリントイーストウッド監督、主演だと思う。僕は、イーストウッドが好きなのに、この作品をなかなか見れなかった。なぜなら、重すぎるのがわかっていたので、仕事で余裕がない中でなかなか挑戦できなかったんですよね。オールタイム最強鬱映画。これに匹敵するのは『ピアノレッスン』か?と思います。
この作品のペトロニウス的見所は3点。
以下3点は、尊厳死という主要なテーマからすると、枝葉であり表層の部分なので、これを無視しても物語は理解できるし、メインの軸は体感できると思います。
しかしながら、クリントイーストウッドの大きなテーマが、「アメリカ的価値とは何か?」であることからすると、アメリカ人であれば、ベースとして知っている感覚を理解することは、この作品の深さを体感するのに良い補助線となると思います。
1)フランキーとマギーがアイルランド系アメリカ人でカトリック教徒である意味は?
アメリカの映画を見るときに重要なのは、登場人物のルーツ、人種等の情報です。特に説明なく描かれるので、アメリカ人以外の人は、言語化して理解しないと、その射程距離が全然わからなかったりします。ルーツや人種の話は、ストレートに差別や社会階層や分裂と結びついているので、なかなか明確に説明しにくいんですよね。日本でも在日朝鮮人の問題や、被差別部落やアイヌに始まって、そういったセンシティブな部分を、ことさら言語化は映画や表現の中でしない場合も多いでしょう。
この映画も、わかる人には、フランキー(クリント・イーストウッド)とマギー(ヒラリー・スワンク)が両方ともアイルランド系であることがプンプンに濃厚に匂わされている。フランキーは、ゲール語を勉強していて、これはアイルランドの古語。この時点で、かなりアイルランド系として誇りを持っていることがわかる。教会に毎日向かうところからも、アイリッシュでありカソリックの敬虔な信者であることも伝わってくる。
このアイルランド系アメリカ人であり、カソリックであるという情報で、アメリカに住んで、これらの人々と交わって生活したことがある人は、濃厚にイメージが共有されるんです。特にカソリックが自殺を禁じていることが、最終的な尊厳死に関わる選択の中で、これらのタブーを越えてさえ、この二人が強い意志を持ったことがわかってくる。アメリカは、宗教色の強い社会なので、彼らの葛藤が、深く重いことがのしかかってくるんです。
2)日本人が知らないアメリカ:マギーの故郷がミズーリ州オザーク台地であること
マギーの故郷が、アメリカ中西部のミズーリ州オザーク台地(Ozark Mountains)であり、彼女は「いわゆるトラッシュ」だと説明しているシーンが最初に出てきます。
これは、アメリカの中でも、スコッツ=アイリッシュ(Scots-Irish)、アルスター=スコッツ(Ulster-Scots)などと呼ばれますが、これらアイルランド系の人々が、移民した後に、沿岸の豊か土地からどんどん山側の内陸部のアパラチア山脈やオザーク台地に追われるようになっていき、それらを侮蔑的な差別意識を込めてヒルビリー(HILLBILLY)=田舎者と呼んでいるんです。ヒルビリーの意味合いは、「丘に住むスコットランド」の人々というニュアンス。えっと、わかって欲しいのは、すでにステレオタイプ化したイメージなので、本当にスコットランド系かどうかは関係なく、そういった歴史的な差別の積み重ねのイメージなんです。
ちなみに、2025年発足の第2次ドナルド・トランプ政権の副大統領JD ヴァンスさんが、自伝『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(2016)で、アパラチア地方で育ったことを書かれていて、この辺りは現在のアメリカを理解する上で必須だと思います。
映画でも、ロン・ハワード監督により『ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌』(2020)として世に出ています。この辺りは、私のYouTubeの物語三昧チャンネルでも説明しています。
これらを補助線として読んでおくと、日本人が理解できない、知らないアメリカがよくわかると思います。おすすめです。ちなみに、日本人の在米経験者は、西海岸のサンノゼのシリコンバレーやロサンゼルス、東海岸のニューヨークやボストンなど大都市でしかも沿岸部に集中しているので、「この内陸部の田舎や郊外の感覚」というのは、一般的な日本人にはほとんど伝わっていないと、いつも思います。『Tiger King: Murder, Mayhem and Madness(2020)』などもおすすめです。ほ、本当にこんな人がいるのがアメリカの普通なの?って驚いて腰が抜けること請け合いです。アメリカに住んでこのあたりがわかっている人ならば、ああいるだろうなーって思うんですけどね。
アメリカの南部や中西部の風景や空気感を理解していないと(一般の日本人の両海岸や都市部のイメージとは全く異なる南部などの肌感覚)いくつものアメリカ映画が全く誤読している可能性があります。
ヒットしたオリヴィア・ニューマン監督の『ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)』 (2022)の南部の男たちのDVっぷりが本当に酷いんですが、アメリカ南部の家父長主義の強烈さを知らなければ、なぜこのような家族になるのかが全然わからないと思うんですよね。
さて、話を戻します。この田舎者という揶揄には、かなり深い差別ニュアンスが込められていています。この辺の差別の感度がないと、この映画の感覚が理解できません。アパラチアやオザークの山岳地帯に追いやられて、閉鎖的な共同体を作ったアイルランド系の人々は、貧乏で移動ができなくて、排他的になり、近親結婚を繰り返しているというイメージで、このイメージで連想しするのは、『13日の金曜日』のジェイソンの姿です。日本で、閉鎖的な村に閉じ込められて殺人事件が起きるみたいな類型の話があるじゃないですか。あれと同じ感覚です。
これらのアイルランド系、山岳地帯の閉鎖的ムラ社会、貧困のループみたいなのを合わせると、レッドネック(Rednec)と呼ばれたりします。これも差別用語ですね。南部の強い日差しの下で野外労働する白人は「首すじが赤く日焼けしている」ので、こう言われます。そのほかには、ホワイト・トラッシュ (White Trash) ですね。これが最初に、マギーを説明するのに使われているのですが、ただ単に「クズ」とか「社会の底辺」といいたいわけではなくて、こういう差別ニュアンスが背後にあるんです。
『ヒルビリーエレジー』などの小説や映画を見ていれば、マギーの家族が、ストレートに、これにあたるようなクズな人々であるのは、あまりに典型的です。もう最初の説明で、「マギーがいわゆるトラッシュ」ってやつだという説明がされている時に、既に家族とかも酷いんだろうなというのは、アメリカ人ならすぐ連想しちゃうはずなんです。
最近だと、アメリカのわかりやすい閉鎖的なムラ共同体の恐怖は、アメリカの田舎娘を演じさせら天下一品のジェニファー・ローレンスの出世作『ウィンターズ・ボーン(Winter's Bone) 』(2010)ですね。これは、素晴らしい傑作なので、超おすすめです。少し前なら、これらの類型のおすすめは、アーミッシュの共同体を描いたハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック 目撃者(Witness)』(1985)とか、シドニー・ポワチエ主演の『夜の大捜査線(In the Heat of the Night)』(1967)などの映画史に残る傑作がありますね。
このあたりのアメリカ中西部ミズーリ州オザーク台地やトラッシュというキーワードだけで、ああ「そこから逃げてここにきたんだな」というのが、一発でわからないと、マギーの持つ孤独や苦しみが全くわからない平坦なものになってしまうんですよね。
ちなみに、こういう苦しい土地から、「どこへ逃げ出しか」というと、基本的に、あたたかい南カリフォルニアです。だから、舞台が、ロサンゼルスなんですね。逃げて逃げて逃げて、田舎から出てきた人なんです、マギーって。この辺アメリカに住んでいると、わかりやすくみんな西海岸に来るので、本当に実感します。
この辺を理解するには、ネットフリックスのドラマシリーズ『オザークへようこそ』(2017)などもおすすめです。
この辺りが、すぐ連想されて、マギーが中西部の苦しい貧しい土地から逃げてきたけど、貧困が酷すぎて教養もなくて、どうにもならないループにハマっているホワイト・トラッシュ (White Trash) であって、ルーツにオザークがあるってことで、家族こそが毒親のトラウマ製造装置であることが背景に重くのしかかっているんですね。
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