見出し画像

必修で「探究を課す」ことをどう考えるべきか?(探究モードへの挑戦)

死にアカウントのようになっておりましたが、久々に投稿します!この間も色々な本を読んだのですが、今ひとつビビッとくるものがなく,,,というのは言い訳です、すみません。投稿していない間もフォローやいいねくださった皆様、ありがとうございます。

本日の本

もはや教育行界の流行語大賞とも言える"探究"。中央省庁で政策立案にかかわる方や、有識者として教育政策に関わる大学関係者がそれぞれの立場から探究を語る、というのが本書の特徴である。表紙にある寄稿者の名前を見れば、ある程度業界に精通している人であればおなじみの顔ぶれである。

探究について色々と書かれているが…

さて、前述のように本書は200ページ以上にわたり探究について延々述べられていく。その上で最終章では、第6章までの各寄稿者の意見をを整理しながら、下記をまとめていく。

1.探究が必要になる時代認識
2.探究の意味合い(目的,内容,方法,主体対象,場所,時期)
3.探究に求められる資質能力,知性
4.探究を機能させる条件

終章 SDGs時代の探究モードの拡充に向けて

各章・各著者の寄稿は興味深いものばかりで、なかなか骨太に読むことができる。一方、終章は上記4つの観点で各著者の意見を整理しているのだが、それはもうごった煮のようなまとめになっているのである。そして本書の終わりは、この4観点の整理(ごった煮)のあとに「探究には多義性がある」として、「1.手法としての探究 2.目的としての探究 3.権利としての探究がある」と述べられ、1ページまとめが入り、終わる。

あなたの考える「探究の①定義 ②目的 ③成立条件」は?

記載の論調でお察しかもしれないが、要するにこれだけ政策立案に関わったり影響があるであろう方々の発信を読んでも「探究とは何か?」がよくわからないのである。わからないと言うより、「解釈は人による」というのが正しいのかもしれない。

その上で、第5章の白井俊氏の寄稿は興味深く読んだ。曰く、探究の定義、探究の目的、探究といえる成立条件の共通見解がまだ(社会に)ないという指摘である。共通見解がないのにこれだけ探究がブームのようになっているのは、既存の教育へのアンチテーゼが強いのではないか、という考察も大変興味深い。

たしかに、「あなたは探究の定義をどう考えているんですか、目的をどう考えているんですか、どうなれば探究が成立するといえるんですか」と聞かれてすらすらと、しかも異論がほぼ出ないように答えることは極めて難しいように思う。

"公教育として課す探究"に、どこまでを求めるか?

もう一つ、読後に残る疑問がある。それは学習指導要領の中に探究を位置付けることで「公教育として課されることになった探究」にどこまでを求めるか?という点だ。これには①生徒の成長や到達をどこまで求めるか?②学校・教員の教育活動にどこまでを求めるか?という両面の視点があるが、どちらにしても曖昧な状況にあるように思う。

もちろん、「やれる子はどんどんいこうぜ」的な学びだと思うし、「探究での成長なんて検証(定量化)できないでしょ」的な意見が出ることも最もだと思う。だとすれば、そういうものとして公教育として明確にすべきだし、「探究、どこまでやる?」が現場に委ねられるのであれば生徒⇆教員間では明確にしたり、時に合意おくべきだと思うのだ。

政策側が求めると「探究せよ」にしかならない苦しさ

改めて明確に記載したいのだが、私は探究的な学びはより推奨され、普及するべきと考える。事実、プロフィールに記載している立場から、全国の学校の探究活動をサポートする機会も多い。ここまで本書の感想からネガティブな記載を続けてしまったが、こうした書籍が全国の教育現場の議論を後押ししてほしいとも願う。それでも思うのは、上記の「政策側が求めると『探究せよ』にしかならない苦しさ」だ。第6章「UNESCOと人づくり」内に下記の記載があった。

「内発性」なしの「学び」と「協働」では、その自立発展性、学びの深さ、協働の強さを確保することが難しい

第6章 UNESCOと人づくり

学習指導要領という学校教育の大綱に入ることで、「探究的な学び」は全国の教育現場へ広がっていく。一方で、例えば「総合的な探究の時間」の必修化に代表されるように、あくまで「制度として、探究せよと強いている」ことに大人側はもっと自覚的になるべきではないか。もちろん、「探究的な学び」の機会を制度化することで、大きく成長する生徒も多いだろう。一方で、あくまで"外発性が強い中で"探究的な学びを推奨していることに、より注意を払う必要があるように思う。

探究マインド、探究スキルを持った若者を
社会は受け入れられるか?

本書はあくまで"教育"にフォーカスし、探究モードへどう学びを変革するか、様々な意見が述べられている。たしかに前述のように定義が曖昧だったり、留意すべき点があったとしても、探究的な学びは推奨されるべきだし、その機会から大きく成長する若者も増えるだろう。

では、大人側はそうして成長した若者、つまり探究マインド、探究スキルを持った若者を受け入れられるのだろうか?例えば各企業は、そうした若者のマインドやスキルを受け入れ、最大限引き出すような文化や制度があるだろうか。学校での授業では探究心全開、でも社会に出たら指示命令に潰される。そんな姿は誰も望んでいないだろう。

あくまで教育の観点から探究を考察する本書。ただその先には、社会として探究マインドや探究スキルを持つ若者の力をどう尊重し、引き出し、活かすか、と言う議論が必要にも思う。


ここまでお読みいただきありがとうございます。
是非ご感想など伺えれば幸いです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?