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大洗迷宮案内 大洗文学全集 第4巻

 始発の鹿島臨海鉄道に乗り大洗駅で降り立ち、快晴の五月の空のまぶしく降り注ぐ朝日を受けながら久しぶりに訪れた町を、ともすれば小走りでもしたくなる気持ちをぐっと抑えて、一歩一歩確かめるように歩いておりますと、
「おはようございます!」
 大抵散歩をしている方々に声をかけてもらえます。老若男女の別なく、みなさん快活にとても自然な口調で、
「お、おはようございますッ」
 つられてこちらも、かろうじて挙動不審寸前で踏みとどまって、上ずった声極端な早口で返すことができます。
 でもあの日、爽やかな挨拶をくださったみなさんごめんなさい。実はあの時の私は、大洗の地で流された血の痕跡を求めるなんていう物騒なこと考えていたんです。

 トラベルミステリ、旅情ミステリなんていう言葉があります通り、ミステリ――推理小説、探偵小説と旅は切っても切り離せません。
 思えば太平洋戦争後最初の名探偵金田一耕助を主人公とした一連のシリーズが岡山を舞台とした「本陣殺人事件」からはじまったところからも、それは約束されていたのかもしれないのです。
 そのミステリの舞台として、大洗が登場する本も実はいくつか存在しています。さすがに昔から有数の海水浴場・漁師町として知られていることはあります。
 それで、今回の大洗探訪で、まわれる分はその著作の痕跡も追ってみたいと思った次第でありました。

 そのミステリではじめに挙げる作品は松本清張「巨人の磯」(1970)です。のっけから大物です。

 法医学者清水泰雄は学会の帰り道、ふと趣味の考古学の関心も手伝い大串貝塚がほど近い大洗に宿をとることにした。ところが身を落ち着けて夜の散策に出た先で、かつての神話時代の巨人伝説を彷彿とさせる、大きく膨張した水死体を発見するのだった。

 小中学校の歴史なんかでも習う『風土記』の、現茨城県部分を書いた「常陸国風土記」の「那賀の郡」の個所では、大串近辺には巨人が住んでいて、このあたりの丘に腰掛けて近くの海岸――ですからまさに大洗の浜にまで手を伸ばしてハマグリを取ってはむさぼり食べていて、その貝殻が積もって貝塚となったと記されています。

 大洗というロケーションから、海岸に流れ着くまでに大きく膨張した溺死体とこの巨人伝説が結びつけられて展開していくのは、流石に詩情とリアリスティックな眼差し双方を併せ持つ清張らしさ満点という感じがします。
 特に主人公が夜の散歩に出かけた先で死体を発見するまでのくだりには清張趣味が炸裂しています。

 幽暗な沖に滲むように浮かぶ白筋の波頭は海に映えた極光(オーロラ)かと思われた。鳥居の立つ岩礁の下で、砕ける波がまるで夜の海底から次々と白雲を湧き上がらせているようであった。

 磯の岩の上に立つ鳥居と聞くと、大洗を知る方でしたらピンとくるでしょう。大洗磯前神社の神磯の鳥居に違いありません。
 日もすっかり落ちた後の、足場の危ういあのあたりを散策し、遥かな沖から続く海の情景に馳せた思いを次のように描きます。

 まことに綿津見の暗くも深き冥合の奥所(おくが)、常世の魂が底なる宮居から波と風の音に乗って言告ぐがごとく、その韻律は巫女の誘いにも似ているようだった。黒暗々とひろがった黄泉の海を、後方(しりえ)の丘の上から巨人の影が死神の如くに見下ろしているようでもあった。

 夜陰にあたりが包まれる様子を巨人の影にすっぽりと覆われた想像と重ね、時間と空間の連続と飛躍に身も心も遊ばせていた直後に亡骸が発見されます。

「ほら、向うの三角形の大きな岩と、こっちのでこぼこの四角な岩との間だ。波の上に黒く動かないのは頭を見せているだけの岩だが、白い泡の中に揉まれて浮いたり沈んだりする黒いのは人間だよ」

 神磯の鳥居近辺は今でも多くの岩が突き出て、寄せる波が砕けて打ち上げる姿を目にすることができますが、こうした光景はかつては大洗の海岸で広く見られたとのことで、清張は大洗磯前神社の神磯の鳥居に見渡す限り続く磯辺、そこに古代以来の巨人伝説という古今の名勝を神秘的なロケーションを作り上げるパーツとして利用し、溺死という非常にリアルな死のシチュエーションと対照させて互いを印象づけさせたのでしょう。

 大洗という土地の幻惑性を趣向として採用したのが清張だとすると、観光地の平穏さに重点をおいて利用したのが笹沢佐保でした。
「木枯し紋次郎」の原作者であり、『人喰い』で日本探偵作家クラブ賞(現日本推理作家協会賞)を受賞した笹沢らしい、人の心身の動きに重点の置かれた長編ミステリ『泡の女』(1961)がそれです。

(現行版は右の徳間文庫となります)

 東京地方統計局に勤める木塚夏子は、職場の同僚でもある夫達也、そして小学校校長の父重四郎との三人で世田谷に暮らしていた。平凡な家庭の平凡と思われていた日常は、けれども唐突に、父が大洗海岸の松林で縊死体となって発見されたという報告を受け、さらに夫がその殺人容疑を受けて拘束されたことから崩壊してゆく。

 清張の「巨人の磯」よりも十年早い本作は、戦争はさすがにひと昔以上前の出来事としながらも、全編を通してそこからの動乱期を経てようやく訪れた平穏とだからこそあそこに戻りたくないという雰囲気が根底に漂っていて、主人公の見せる現在の落ち着いた状況への執着とそれを求める焦燥を読者にも身につまされるように伝えてきます。
 ただ、時代は高度経済成長期がはじまったばかりの、日本の景気も気概も高まりつつある状況でもあり、生命を脅かされる危険のない平穏は同時に国内の経済戦争の狂騒が併存していることで成り立ってもいます。
 そういう時代状況のなかで、本来ならば肉体的にも精神的にも安らげるはずの観光地である大洗で、父親の死体が発見されさらに夫がその殺人の容疑を掛けられて拘束されてしまうというギャップが大いに読者にインパクトを与えます。

 水浜線に乗り換えて、大洗に着いたのは十二時前である。
 遊園地の子供電車の駅のようなホームに降り立つと、黒に近い紺色の海が見えた。電車は大洗の町中を通り過ぎて、大洗海岸の山の上まで来ているのだ。
 駅を出ると、広い砂利道だった。海岸沿いに旅館やホテルが散在している。道の下はなだらかな崖になり、その斜面に松林が広がっていた。松林の切れるあたりから白い砂浜が続き、海中へ突き出た黒い岩が海を受けとめていた。

 死体発見現場へと向かう描写ですが、1961年当時はまだ現在の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は通っておらず(1985年開業)、引用文にもある水浜線こと茨城交通水浜線が乗り入れていました。

 水戸駅を出発して涸沼川を渡り大洗の町に入ってくるあたりは鹿島臨海鉄道とあまり変わりはないのですが、水浜線はそこからさらに町中を通り、磯浜、大貫、曲松、仲町、東光台と各駅を経て、大洗キャンプ場と大洗ゴルフ倶楽部の南、わかる人でしたら民宿浅野丸さんの前と言った方がわかりやすいでしょうか、そこを抜けて海が見えてくるあたりまで進んだところ、大洗山口楼さんの前あたりがかつての大洗駅でした。
 大洗磯前神社よりまだ向こうですね。しかもここが終点ではなくゴルフ場を突っ切り、祝町、願入寺、そして海門橋と駅は続いており、那珂川にまで達していました。

 この水浜線は廃業が1965年とのことなので、後期の沿線状況を伝える貴重な描写かと思えます。

『泡の女』本文によりますと、主人公は水浜線大洗駅からいったん海へ向かい大洗海岸に出て、そこでふり返ったところにある山村暮鳥の詩碑のある松林を遺体発見現場と見なしていますので、大洗ゴルフ倶楽部の南側ということになりそうですが、別の個所では刑事からの説明として「今朝、大洗ホテルの増築現場へ来た大工が、海岸の松林でお父さんの縊死死体を発見したんです」ともありますので、その説明通りだとするともっと大洗磯前神社寄りで、清張の「巨人の磯」の現場近くということになりそうです。

 このあたりは流石に執筆から六十年以上経っていますので正確な特定は難しそう、というよりは作者にしても現実の舞台にそれほど作品を寄せていないようにも思えます。
 個人的には海原広がる光景を静けさのうちに望みつつ、内心に狂おしい情念の渦巻く作品の内容的に、より海辺に近い方がマッチしているように感じます。

(丘陵から下りてきたあたり、左手が大洗海岸で向こうに神磯の鳥居が見えます)

 清張の「巨人の磯」がロケーションの持つ歴史ロマンとパズル的なミステリのリアルの対照を楽しむ作品とすれば、笹沢佐保の『泡の女』は大洗のロケーションの明媚さと登場人物の心情のよどみのギャップを鑑賞する作品となるでしょう。

 大洗磯前神社の神磯の鳥居と大洗海岸ときましたら、もう少し足を伸ばしてみたくなります。

 そこで斎藤栄『犬猫先生推理旅行記』収録の「悪女の口の中」(1986)の出番となります。

 先祖伝来の秘術で動物と会話ができ意思疎通可能な高校教師犬猫先生こと大苗吾郎と、その教え子であり下宿先の大家でもあるモッペル君――小山田基夫、そこにペットのスージーとトミーという犬猫を加えて、時にぶつかり合い時に助け合いながら、出くわす難事件を解決してゆくシリーズ作品です。
「悪女の口の中」はその内の一編で、冒頭休暇を利用して魚語の研究を兼ねて大洗水族館へと向かう場面が登場します。

 この水族館は、巨大なもので、魚の種類は三百五十種類、一万五千尾もいる。中でも、犬猫先生が目的としている大円柱水槽には、三千尾の魚が、ぐるぐると回遊していて、その景観は実に素晴らしい。このほか、世界最大の魚といわれる五メートルのピラルクを飼育している巨大魚水槽というのもあった。

 大洗水族館は現アクアワールド茨城県大洗水族館――通称アクアワールドですね。
 那珂川沿いに建てられ、ひたちなか市を目の前にする大洗の北端に位置します。
 この作品が発表された当時は「海のこどもの国大洗水族館」が正式名称で2001年まで営業していました。
 現在の飼育数が580種68000点(公式サイト発表)ということですから、名称だけでなく内容でも隔世の感があります。

 当時でも日本最大級の水族館が、はたしてどう物語に絡んでくるのか。動物語を話せる先生との掛け合いも非常に楽しみなんですが、ところが実際の事件が起こるのは出掛けている間に留守にしていた鎌倉にある主人公たちの家で、大洗水族館ばかりでなく大洗自体が登場するのも冒頭のみでして、言ってみたら主人公のアリバイの保証のために利用されたという感じがなくもありません。

 でも、今回、3作品ではありますが、ミステリの舞台となった土地という意味で大洗を見てみたものの、文字通りの五月晴れの好天に恵まれたというのもあるでしょうが、広い大空をいただき寄せては返す波を横目に見つつ潮騒を耳にしながら海岸を歩いていますと、なんとも場違いな思いが強まってきました。

 殺人事件の舞台に大洗は似合わないな。

 なんていう当たり前で身も蓋もない感慨が今さらながらに湧いてしまいました。
 おそらく松本清張も笹沢佐保も斎藤栄も同じような気分になったんじゃないでしょうか。
 紹介しました「巨人の磯」も『泡の女』も被害者は外部の人間で、物語も大部分は大洗外で展開していきます。「悪女の口の中」にいたっては事件自体大洗とは無関係です。もちろん大洗の人はまったく事件に絡んできません。
 この穏やかな土地に住まう人々に、殺人事件という人間の情念の奔流を背負わせるのに忍びなかった。
 だから死体だけを放置するという形に落ち着いた。
 そんな執筆動機だったんじゃないかなと思えてもきます。

 いや、それはそれで物騒極まりないかもしれないんですけど。

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