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『中庸』の作者である子思子の言葉には、 「天が人間にかくあるべしとしてその本質を定められ…
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645年から大化の改新があったとされています。中大兄皇子が即位し天智天皇となり、大きな変…
中大兄皇子と藤原鎌足が画策し、蘇我馬子の孫、蘇我入鹿が暗殺された事件です。 (軽皇子関…
最近聖徳太子はいなかったという説があるが本当はどうなのか。10,000円札のモデルにもなった人なのにいまさらそんなことを言われても困るでしょう。そして現在の小中学生にとっては覚えていいのか悪いのかわからない。いったいどっちなの?という疑問に真面目に答えてみたい。 現段階で言えるのは、 当時「聖徳太子」という名前の人はいなかった ということです。シンプルな話で、厩戸皇子(うまやどのおうじ)、豊聡耳皇子(とよとみみのおうじ)、のちに上宮聖王、聖徳王、法大王(のりのおおきみ)
こんばんは。 前回に引き続き、条坊制から考える古代の都について今回は古代の遷都について考…
崇仏派と廃仏派の戦いである丁未の乱(ていびのらん)。これにより物部守屋が破れ、衰退した…
古代史で触れなければいけないのは物部氏と蘇我氏です。 仏教が伝来してきて、国として仏教を…
そもそも歴史書って何なんでしょうか。 日本の古代の歴史書の成立経緯を見てみましょう。 …
ではどのように歴史と触れ合えばよいのか?個人的にはあまり気にせずに、漫画や武器、物語や…
8/17はインドネシア独立記念日です。 1945年8月15日。 日本の敗戦から2日後、インドネシアはオ…