#9 セーフティーネット
小学3年のお正月。
祖母は馴染みの信金さんにお願いして
私と妹の通帳を作った。
前回の記事で自分の育った家庭について書いてしまった。(本当はもっと計画的に書きたかったが、気分に従ってみることにした)
これからも書くだろう。
時系列もすっ飛ばして。
今日もちょっと書きたくなったので、書いてみることにする。
小学3年生のお正月。
いや正確には1月6日とか7日くらい。
しめ飾りが外れたくらいの頃。
祖母(母の母)が私と妹(当時小3)に通帳を作ってあげると言い出した。
たくさんもらったお年玉を貯金しなさいという。
特に欲しいものもなかったので
言われるがままに通帳を作り、貯金をした。
ただ、私と妹の名字の印がない。
まあまあ珍しい名字なので、近所の文具屋さんにもない。
結果、母の旧姓を名字として登録することになった。
今でこそ本人確認が厳しいが、当時はゆるゆるだったので出来た話。
そこから高校3年まで、ひたすら貯金した。
高校3年の受験費用は、その口座から自分で払った。
第一志望の大学に受かって、いざ入学金を払うことになり、私は自分の口座から入学金を払った。
そして現在に至る。
昭和の後半から平成へ。
そして気づけば令和。
おつかれ自分。
よく頑張ってるよ。
最近、ふと気づいたのが、
酒乱の父は日々の飲み代を小さな家電店を営む家の手提げ金庫から抜いていくような人だった。
もしかして、小学2年生までの私のお年玉は、生活費の補填に充てられていたのではないか?
毎月の手形が落ちなくて、母に自分の実家に金を無心させに相当な回数借りに行かせたと、後々祖母から聞かされた。
見かねた祖母が、孫がお年玉の搾取に遭わないように貯金をさせたのではないか。
通帳も印鑑も祖母が管理だったし。
あくまでも仮説だが。
祖母が亡くなってから気づいたので、確かめる術がない。
そういう意味で
母方実家と祖母は私たちのセーフティーネットだった。
それなりに拗らせ人生ではあるけれど、
祖父の厳格さと本物思考(さよなら宗谷に出て来た祖父)
祖母の愛情と美味しいごはん
叔父(母の弟)の朴訥とした優しさを
たくさん浴びることができたから
今生きていられるのかもしれない。
しかし
そんな家庭に育った母が
なぜ共依存だめんずメーカーになり
酒乱の父と結婚したのかは、謎。
それはそれで母方実家の
私にはわからない家族の病理があるのかもしれない。
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