そうなんです。 わかってるんです。 でもどうしたもんだか、 想像やら創作の機能が停止 したままで、一向に再起動しません。 11月30日までまだあと数日ありますから、 もしこの間に血の巡りが良くなったら、 これを削除して何か披露します。 二度目のゴマカシ、 次は使えぬ。 嗚呼。 👼
10月の中頃から、にわかに、言葉が出てこなくなった。周りで起きたことや頭に浮かんだことなどを的確に表現するための言葉や文章が浮かばないのだ。 なんかショックなことでもあったかな。 思い浮かばないな。水戸黄門じゃないが、 「もう少し様子を見よう」弥七。 言葉にできないもどかしさを措いておいて、まァ誤魔化してと言った方がいいか、 ジャムの老舗「アヲハタ」の不思議を書いて、引っ込みます。 「アヲハタ」のジャムの瓶のフタが、自動的に閉まる、というのをご存知だろうか? 昨日
「暑さ寒さも彼岸まで」 東京は彼岸の中日を境に、急転直下で秋になった。やることが極端で、品がない。 今年の夏は長すぎた。甲子園球場で延長十八回まで闘い抜いたかのようにもう、へとへとである。高校球児なら一晩寝たら翌朝は元気に飛び起きるだろうが、毎日のように妻に腰を踏んでもらっている情けないぢいさんと化した余は、一朝一夕には復活し得ない。それで八月は「へろへろ」をテーマにして顔つなぎに特化した矮小な駄文を掲載して誤魔化した次第である。 まあ、とにかく、秋になったのだから、食
立秋を過ぎてもまだまだ暑い日が続くのは毎度のこととて、今夏は尋常ならざる高気温とまとわりつく様な湿気に苛まれて体力と気力を奪われた儘、いまだに縮小再生産のように耗弱し続けているようだ。 つい先日、こんなへろへろな我が身を立て直さんと鰻の蒲焼きの威勢のいいサイズを食べたのだが、弱った身体にゃクスリが強すぎたか、あわれなるかな我が身の足しになる前に体外へ排出されてしまった。 そんな訳で、現状、此処へ何か書こうにも、へのへのもへじすら書けそうもない。今、書いているではないかと
今夏の猛暑で体調不良に陥り、アタマが沸いて(頭にわいた、のではない)自動書記的に拵えた稚拙俳句三撰 夏バテや ゲテモノ食べて 輪をかけて 夏盛(さか)る 身は堪えかねて 痩せ細る 食欲や 夏季休暇かよ すぐ戻れ #痩せて尻が軽くなった #体が浮きそうだ
他人を羨むと云ふこと、そのものが 己を大切にせぬことと同義である
いま読んでいる本の中に、 「日本海の拡大と伊豆弧の衝突ー神奈川の生い立ち」というタイトルの新書がある。 「神奈川の生い立ち」とあるが、歴史学的或いは民族学的に神奈川県がどう成立したか、ではなく、地学的にどういう経過で日本列島が生まれ現在の形になったのか、という話で、その中で神奈川の地質などについて特にページを多く割いているのである。だから話はジュラ紀辺りまで遡る。 … 実は今回述べんとするのは、今読んでいるこの本そのものついてではない。 この本を含む「有隣新書」という
今日の、渾沌と大差ない程の多様化に適合し、衝突や混乱、無秩序等を回避するだけでなく互いに承認しあいそれぞれが「豊か」に生きる事ができる言葉やコミュニケーション手段を われわれは発明し確立する事は可能なのだろうか 伝統的な意思疎通手段は変移に対応できず窮地に陥っている様に思われる
(前句) おやしらず もはや無いのに なぜ痛む おやしらず 抜けた隙間に 水の滲む おやしらず 頭痛顎痛 もう知らん 抜歯して 一と月経つのに お粥食ひ ………………………… とかなんとか呻いているうち、 おやしらずの抜歯手術から一と月余り経過した。 臓物の手術ではないからと甘く考えていたが、とんてもなかった。歯茎に埋伏し頑固に固着している歯を骨まで削って摘出する手術だったのだから、相当な荒行を経験した点ではほぼ同等であったかと、今更ながら認識を改めている。
【おやしらず抜歯その後】 抜歯後約3週間、本日抜糸 まだ幾らか痛むが直に収束するだろう この間只管お粥や蒸しケーキ等で繋ぎ不足を某ゼリーで補った 意外に助かったのが高齢者用のレトルト食品、食材が小さく刻まれていて食べ易かった あゝこの解放感 歯の大切さが、痛い程分かった
全身麻酔を施され、何だかわからないうちに抜歯手術は終わった 暫くは朦朧としていて何も感じなかったが、麻酔がキレてきて徐々に痛みが増してきた 奥歯が使えないから副菜が食えずひたすらお粥だけ啜ってる 微熱や頭痛も続き、ガッタガタなのに、今日退院 こんなんで街で生きていけるのかな⋯
これを押すと バッハのメヌエットが 流れる仕掛けになっている これが、ほぼ途切れることなく やみくもに鳴っている 始終、誰かが押している 今も鳴っている やはり音楽は、生演奏がいい #入院
ついに本日、入院 明日、おやしらず抜歯手術 今まで病院てのは見舞いに行く所だた それがまさか自分が入院する羽目になるた、思いもよらず 昔、母の入院、手術に付き添ったが、 病室から手術室に向う母が放った叫び 「もう、どうにでもなれ!」 を、私も叫ぼう
今年の元日も、至極「普通に」起きた。 普段からほとんどテレビを見ないし、新聞もとっていない。新年を迎えたとてやはりテレビのスイッチを入れる挙動には至らない。初詣にでかける殊勝な心がけもなく、新年の誓いもない。なんという不了見か。 とはいえ神棚には正月飾りを施し、門柱には簡便な門松を括り付けてある。朝食の雑煮とミニサイズのお節料理を食べると、ああ正月なんだなという意識がようやく巡ってきた。 「季の巡りの悪い男」だ。 腹がくちて落ち着いたところでポストを開けに行く。年賀状
one of the 桜並木 today #大泉学園町 #練馬区 #桜 ダメな腕とダメなカメラの相乗効果
学校も会社も、3月が年度末、というところが多かろうと思う。 個人的に、3月はあまり好きではない。とりわけサラリーマン時代は、年度末の業務(決算等)と新年度の業務(準備)が併行してしんどかった。 併行で閉口。 ドタバタ齷齪書類山積み。 非番日出勤も随分やった。 そんな時期であった。 3月はまた「別れ」の月でもある。 何年かに一回、妙に別れの多い年が巡ってくる。 昇進、転勤、退職が重なるとお別れ会だらけになる。トラウマになるくらいに大変に寂しい気持ちになる。