「神奈川主義」有隣新書

 いま読んでいる本の中に、
「日本海の拡大と伊豆弧の衝突ー神奈川の生い立ち」というタイトルの新書がある。
「神奈川の生い立ち」とあるが、歴史学的或いは民族学的に神奈川県がどう成立したか、ではなく、地学的にどういう経過で日本列島が生まれ現在の形になったのか、という話で、その中で神奈川の地質などについて特にページを多く割いているのである。だから話はジュラ紀辺りまで遡る。

 実は今回述べんとするのは、今読んでいるこの本そのものついてではない。
 この本を含む「有隣新書」というシリーズについてである。
 この本自体は、内容に興味があり買ったのだが、有隣新書というものは、初めて手にした。
 何と、この新書、驚いたことに、「神奈川県」に偏重した、というより神奈川県に関するものしか無いようなのだ。こんな「新書」は聞いたことも見たこともない。
 この本の一番最後のページに、有隣新書(既刊)が出ている。その一部をご覧あれ。

「相模のもののふたち」
「横浜のくすり文化」
「相模湾上陸作戦」

 一目でタイトルが神奈川関係だらけなのがわかる。
「メール・マティルド」は、有隣堂のHPによれば、
「明治5年、初の来日修道女として横浜に到着し、孤児の救済・女子教育など、サン・モール修道会の精神に則った事業に力を尽くした」
人物、ということである。

「今村紫紅」は、明治~大正に活躍した日本画家で、横浜出身だそうだ。(ウィキペディア)

「東慶寺」は、北鎌倉にある、鎌倉時代の弘安8年(1285)に開創された臨済宗円覚寺派の寺院。(「東慶寺」HP)

 てな具合で、隅から隅までずぃーっと、神奈川かながわカナガワ。
 いや、地域にこだわることは、おのれを知る意味でも重要だし、日本或いは世界を思考するに拠って立つ基盤を理解しておくことは必須のことではないか。その意味でこの新書と有隣堂という出版社はその指向が正鵠を射ており、また極めて重要な発信をしていると思われる。
 しかしまぁ、よくぞこんな面白い新書に巡り会ったものよと、自分を褒めてやりたい。
 長々しく書き連ねてしまい、恐縮千万、だが、ついでにダメ押しとして有隣堂の思いを転載しておこう。すみません。
 でも、ホント、この意志、素晴らしい。

「有隣新書刊行のことば」
 
国土がせまく人口の多いわが国においては、近来、交通、情報伝達手段がめざましく発達したためもあって、地方の人々の中央志向の傾向がますます強まっている。その結果、特色ある地方文化は、急速に浸蝕され、文化の均質化がいちじるしく進みつつある。その及ぶところ、生活意識、生活様式のみにとどまらず、政治、経済、社会、文化などのすべての分野で中央集権化が進み、生活の基盤であるはずの地域社会における連帯感が日に日に薄れ、孤独感が深まって行く。われわれは、このような状況のもとでこそ、社会の基礎的単位であるコミュニティの果たすべき役割を再認識するとともに、豊かで多様性に富む地方文化の維持発展に努めたいと思う。
 古来の相模、武蔵の地を占める神奈川県は、中世にあっては、鎌倉が幕府政治の中心となり、近代においては、横浜が開港場として西洋文化の窓口となるなど、日本史の流れの中でかずかずのスポットライトを浴びた。
 有隣新書は、これらの個々の歴史的事象や、人間と自然とのかかわり合い、ときには、現代の地域社会が直面しつつある諸問題をとりあげながらも、広く全国的視野、普遍的観点から、時流におもねることなく地道に考え直し、人知の新しい地平線を望もうとする読者に日々の糧を贈ることを目的として企画された。
 古人も言った、「徳は孤ならず必ず隣有り」と。有隣堂の社名は、この聖賢の言葉に由来する。われわれは、著者と読者の間に新しい知的チャンネルの生まれることを信じて、この辞句を冠した新書を刊行する。
  一九七六年七月十日  有隣堂


「有隣新書」


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