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自己と向き合う、その先にある気づき【エッセイ】

自分の行いを省みる。
これはとても素晴らしいことだと思う。自分では何気なくやっていた行動や思考が他者とは異なることに気づける。
その気づきにより、自分の成長に繋げる機会を得ることができる。

しかし、口で言うほど簡単ではないとも思う。
やはり過去の自分に向き合う行為はできれば避けたいのが人間の心理だろう。
向き合ってしまえば自分の良くない部分がどうしても目に入ってしまうのだから。

自分のエッセイを読み返していてそのように感じた。
「あーここ分かりにくいな」
「この辺は同じことを言っているだけだな」
「もっと読者に共感してもらえるような表現があったはずでは?」
などなど、本当に目を背けたくなるような内容が多かった。

特に気になったのは自分のエッセイには閉塞感が付き纏っていることだ。
どのエッセイを読んでもどこか先行きが見えず、苦しみもがき悩んでいるような感想を持った。
自分自身ですら感じるのだから読者はより感じていたことだろう。

エッセイは性質上、どうしても心の内面が投影されてしまう。
そのせいで自分の陰鬱とした思考が滲み出てしまっていた。

人間性はそうそう簡単に変わることはない。
これは皆さんを同じことだと思う。
であればこの閉塞感と上手に付き合っていくことが鍵になりそうだ。

ではどうするか。
ただ閉塞感が出ないようにするだけでは自分の個性を消してしまっているだけのような気がする。だからしたくない。
であれば選択肢は1つ。
閉塞感の表現を磨くことになるだろう。

限界まで磨いた個性は他者には真似できない自分の強みに進化する。
根拠は正直無いが信じてみることにした。

自分のことは意外とわからない。
できるだけ多くの人に楽しんでもらえるようにそういったネガティブな要素は削っ出来ていたつもりだった。しかし、出来ていなかった。

ポジティブに考えれば、だからこそ自分と向き合うことで気がつくことができた。
自分に向き合うことは避けたいことだが見返りもある。

閉塞感を使いこなしてみせる。
これが明日からの課題だ。



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