人生の総括2024 上

ふりかえった 

生まれた

田舎に生まれた
母は結構若くして私を産んでくれた
父は5つ上、事故で片目が見えていない
普通の家庭

2歳 引っ越し ばあちゃんが同居する

団地にお引越しする
ばあちゃんが離婚して家に引っ越してきた
(ここらへんの記憶はまったく無い)
じいちゃんとの最後の記憶。東京へ消えていった。

3歳 幼稚園入学

3歳4歳はまじでピュアピュアな普通の子供だった気がする
あまり記憶が無い

5歳 先生が大嫌いになる

自閉的なところがあり、一人で遊ぶ事が多かった
幼稚園の先生になりたてほやほやの担任が、
心配してくれていたのだろうが、
一人で遊んでいた私にプロレスの技をかけてきた
苦しかったのと、いきなり力強くスキンシップを取ってきた為
かなりのトラウマになった 以降先生が大嫌いになった
この時に完全に確立してしまったのが
馴れ馴れしい人間、変な優しさをくれる人間が無理になった
 

5歳 弟が産まれる

5つ離れた赤ちゃんが産まれた
すごく覚えているよ 
おかあさんが入院して生まれるまで
ばあちゃんとお父さんと過ごしてたんだけど
公文とかの宿題をやってさみしさを紛らわしていた

電話がかかってきて、男の子だよと言われた
実は母親と女の子だった時の名前を決めていて
おなかにいた時もその名前を呼んでいたので
あらぁと思った けどそんなの関係なく嬉しかった

だけれど、母親が弟の子育てがかなりしんどそうで
ビクビクした毎日を送っていた
恐らく睡眠不足で鬱になっていたんだと振り返ると思う
ベビーカーを壁にぶつけて反動で戻ってきたベビーカーを
また壁にぶつけて、戻ってきたらぶつけて
ソファに寝転がりながら弟をそのモーションで寝かせて
地獄のような光景だった
ご近所さんに音響いてたんじゃないかなぁ
常にイライラしていたような記憶があるなぁ

6歳 冤罪 やってないのに

ある事件がおきた
同級生の上靴が無くなったのだ
先生は被害にあった子が犯人を知っているといったので
クラス全員の前で、犯人の名前を言わせた
「◎◎ちゃんです(私の名前を言った)」
わたしはやっていない、意味が分からなかった
先生に廊下に呼び出されて問い詰められた
必死にやってないことを説明したけれど
信用してくれていない感じだった

公開処刑のような状況を作り、犯人を名指しで言わせる
先生になった歴が浅いから今となればしょうがないのかもしれないと思う
だけれど、それは、被害者の子も、私にとっても、かなり傷のつく
間違ったやり方だったと思う

これ以降本当に先生が無理になった
先生は信用しちゃいけないと思う事件だったね

事実というものは空虚で、意味が無い
虚偽の言霊でその空間を騙せるのなら
その方が楽に進むのかなと、そう思うようになってしまったわ

6歳 歌を馬鹿にされた

音楽が好きだった 
それを表現するのも好きだった
皆に聴かせるのも恥ずかしくなかった
よく閃いたメロディをサンタから頂いたキーボードで弾いていた

当時缶コーヒーのFIREというCMソングが流行っていた
ファイヤーって繰り返し歌ってる曲なんだけど知ってる?

スティービーワンダーの曲なんだけど
この曲がすごい好きで
でも英語だから、空耳で歌ってたんだよ
それを聞いた父親にすごくすごくすごく馬鹿にされて
その日から人の前で歌う事は無くなったし
音楽を聴くという行為すら出来なくなったね

繊細すぎたんだわ 自分の表現できる事が一つ制限された

6歳 入院

弟は結構病弱だったので入退院を繰り返していた
アレルギーだったり、感染症だったり。
ちょうど弟が感染する風邪?みたいなものになって
嘔吐がとまらず入院になった
私もウツって入院になった
母親は大変だったと思う
この時、小児科の病棟を見たときに、心臓が飛び出るほど衝撃を受けた
初めて見る、奇形を持った子、髪の毛の無い子、頭がものすごく大きい子
現実を初めて見た 

7歳 小学校入学

新しい生活が始まった
入学式では保育園組もいた 新しい環境
まだ能天気
悪口言われても平気だったな

8歳 壁

2年生になると、みな行動を共にするペアやグループが出来上がっていた
わたしはそれとなく女子のグループに紛れてはいたが
壁を感じた 特に仲のいい子はいなかった でも平気 

9歳 いつメン

3年生にあがると初めてのクラス替えがあり「いつものメンバー」が形成された。
仲の良かった子が転校するという事もあった
その子はちょっと家庭環境が複雑で、今思えば、周りから敬遠されていたようなこともあった気がする
でもわたしはその子が面白くて好きだった
波長が同じだったのかも

9歳 好かれない年下

クラブ活動という選択授業があった
初めてのクラブ活動はバドミントンを選択した
上学年も一緒に活動するのだけれど
同じチームを組んだ先輩に色々言われ
一緒に試合したときも私が下手すぎて
常にため息つかれてたわぁ
同じクラスの子がもう一人チーム内に居た
その子への愛情が凄かった・・・
人気者だったんだなぁすごく可愛がられていた
無愛想で不細工な自分は嫌われていたなぁ
確かに母親からはずっと可愛げが無く無愛想だと言われていた
納得

もう1つ記憶にあるのが
委員会だね
ここでもため息つかれてたね

これで完璧に年上が怖くなり
視界に極力入れないようにしていた

10歳 インターネットの世界へ

各家庭でパソコンを持っているのが一般的になり、
インターネットが普及し始めて、みんなが利用するようになった
わたしもインターネットにのめりこんだ
みんなとメール交換をしたり、チャットをして
こんな世界があるのかとすごく楽しかった
学校から帰ると夜までずーっとネット。
親が共働きで、ばあちゃんはパチンコに行っていたので
一人だったから気楽にネットを使っていた
毎日のお風呂洗いで月500円のお小遣いをもらい
ちゃおを愛読。別冊もちゃんと購入し楽しく読んでいた。
太鼓の達人、トリビアの泉、ワンナイ、ココリコミラクルタイプ
たくさんの娯楽があり、良い記憶しか無い

このころ毎週土日は醤油チャーハンを作り食べていた
おいしかった、

11歳 クラス替え キャラ変

二年おきのクラス替えがやってきた
みんなとはすぐに打ち解けた 嫌な年上も中学へ上がり
すごく気が楽になった
周りの子たちはみんなテンションが高くて
合わせるのに必死だったけれど
なんか別人になって接すると、違う世界にいるみたいで
楽しくなっちゃって、今までのキャラとは違う自分だった
上から違う自分を見下ろしてるようなそんな毎日だった
いつの日からか、自分が謎になった

11歳 何かが壊れた

毎日が楽しかった
けど子供は純粋で従順 ダメな意味でも従順
良いこと悪いことが分かっていなかった
みんなで暴走した、いじめだ、喧嘩だ、恋愛だ、
悪いことしてみよう、大人の世界を覗きたい、体験しよう
アホだわ

ある日、学校の行事で地域の会館で行われた舞台を見に行く
その帰り、学校まで集団で徒歩での帰路
今日の午前中まで仲良く毎日一緒に行動していた子が
話しかけても返事をしてくれない

確実に無視している え、なんか悪いことしたっけ・・・

急にやってくるんだよね シカト

わかるよ 流れは。 どっかでみんな口裏合わせしてんだよ

いついつからシカトね これでみんなスタートすんの

家に帰って考えたよ これ始まったわ
次のターゲット私に変わったんだ どうしよう

案の定、次の日、自分の席に着くなり
後ろにいた女子たちから「きも 死ねや」
急に始めるよね 怖いわ

そこから胃が死んでたね
あの胃の痛みは今でも覚えてるし、あれほどの痛みを感じたことないね
気にしないようにしてたけどさすがに参ったね

みんなの机に死ねって書いてるのにわたしだけ何も書かれていない
私を犯人にしたてようとしてたのかな?????こわ

学芸会でハブられたのも強烈に記憶にのこってるわ
係り決めでハブられたんだよな
その時に母親が買ってきてくれたお昼のお弁当を
一人パクパク食べてたんだけど
悲しくて涙出そうになったわ

もちろん親になんてそんな事言えないし

やられた方はずっと覚えてるってこうゆうことか

でもわたしはまだマシな方だった
他の子は上靴に画鋲入れられてたりした

11歳 復讐

そもそも私も性格的に歪んでいたのだろう

たとえばみんなで悪い事をして先生に怒られると
みんなの足を引っ張りたくないので
やってませんと嘘をついていた
(幼稚園のトラウマやね)
真実なんて言葉一つで嘘になると思っていた
先生の怒りなんてこっちには関係ないし、信用もしてない大人の言葉を
素直に受け入れる事が出来なかったわ
だけどみんなピュアだったわ 正直に自分たちがやったと自供
私だけ否認 そりゃあみんな何でアイツだけ?は?となるわな

そういうとこだったのかなぁ そりゃあいじめられるわなぁ
この時にパーソナリティは確立されたと思う
歪んでるわ 素直な人間になりたい

嫌われていたけれど、一部の人達とは仲良くしてもらっていた
本当にありがたかった、私と関わるだけで嫌われるかもしれないのに。

なのに歪んだ人間な自分は、どうにかやり返したくて
同じ思いを持った人間を探して仲間にしようとしてたね
「わたしもきらーい」って言ってくれた人、ごめんね、ほんとにごめんね

11歳 引っ越しもした

このころ、夏とかかな、家を建てた、引っ越した
新居は最高。自分の部屋がある。ベッドがある。
自由だ!ってウキウキしていた
今までばあちゃんの部屋で一緒に寝ていたので
一人がワクワクしていた

色々悩んでいた時は常にパソコンをして現実逃避
インターネットの世界へ潜り込み、閉じこもり、ひきこもり。
好きな事だけの情報であふれていて幸せだった
ホームページやブログの作成
画像作成、小説、ポエム、動画収集と編集、MP3収集
CSS、HTML、ふみコミュニティ(懐かしい)
AVI-BANというアバターのチャットの世界
様々な文化やコミュニティに溢れていてとても楽しかった
パソコンのしすぎって怒られてたけど。

12歳 楽しい

12歳が一番楽しく生きていたかもしれない
11歳の最後の方では、省かれていたグループのリーダー格に
何事もなかったかのように急に話しかけられるようになって
関係が元に戻った なんだったんや今までのは・・・

もう恐れるものは無いし、テンション高めで毎日過ごそうと振り切った
毎日楽しかった!!すごく楽しかった
ある人と喧嘩したりもあったけれど、楽しかった

だけど、世界を甘くみすぎていたね もう小学生という甘い蜜は吸っていられなくなんよ、中学生になるんよ
わたしの大の苦手な年上たちと校舎を共にするんだよ、浮かれていたね
現実を見なかったね
態度が悪かったんだと思う。

12歳 先生に人格を問われる

毎日楽しくはいたけど、私はそのテンションの高さに疲れる事が多々あった。波が激しかった。
小6の時自分では気づいてないけどメンタルが死んでいたかも
夜泣き、すごいしてた、夢からさめて号泣みたいな

1日だれとも口を聞けない時もあった。ずっと突っ伏せて寝ていたこともあった。
そんな姿を見かねた担任から呼び出された。ちょっと来いと。話があると。

めっちゃ覚えてる、相談室に先生一人

具合が悪いのか?だるいの?態度悪くないか?そんなんじゃこの先大人になったときやっていけないぞ?
なんでそんな性格なんだ?おまえは虐待でも受けているのか?家庭環境が良くないのか?なんでそんなに無愛想なんだ?
っていうのをダーーーーーって言われてパニックになって号泣したんよね
先生はティッシュを持ってきて、なんか言えない悩みでもあるんなら言ってみ?とか言われたけど ねぇよ はやく開放してくれよ うざい
とは口には出さないけど、すごくイライラした覚えがある
先生は私を正すために行ってくれたんだけど、
当時の私にはひびかなかった
むしろ、親の事言われてムカついてた、そんな風に見えてるの?先生は本当に私の事知らないのにそんな事いうの?って感じだったなぁ
むしろ先生に対しての不信感が増大したね この圧迫的な感じはやったらアカンわ
なんか俺は皆から好かれてる良いキャラした担任なんだよぉーっていうのが全面に押し出されてる嫌味な先生って当時は思っていた。すみません。
みんなは好きだったかもね!明るい面白い先生だったからね!

続く

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