サイとカイバの図像考
図像考の記念すべき1回目は、サイとカイバについてです。
のっけからよくわからないものの話、どうぞお付き合いください。
知る人ぞ知る、社寺彫刻の「サイなのカイバなのどっちなの問題」に意気揚々と斬り込んで参ります。
TOP画像の不思議生物お二人が、どんな風に日本で混同されてきたのか、その経緯を独断と偏見で辿りながら、私なりの彼らの定義をご紹介します。
画像は葛飾北斎漫画より、海馬と水犀にご登場頂きました。
それでは早速。
1.そもそもサイって
サイと聞いてまず思い浮かべるのはこちらの動物。
Wikipedia「インドサイ」
哺乳綱奇蹄目サイ科の皆さまです。
社寺彫刻にも「サイ」と呼ばれる生き物がおりまして、それがこちら。
できあがりはこちら!のギャップにたじろがれるかもですが、この日光東照宮のサイが社寺彫刻でいうところの「サイ」で、今回の主役の1人です。
かっこいい名前では「水犀」や「通天犀」とも呼ばれます。
このサイさん、社寺彫刻で見分ける時の特徴として知られているポイントが4つあります。
①1角のツノ
②背中にコウラ
③ヒヅメのある脚
③波の上を走る
これらを押さえているものが「サイ」と呼ばれているわけで、日光以外のサイさんはこんな感じ。
上が石清水八幡宮、下は大徳寺唐門です
デザインのテイストはやや異なりますが、皆さん4つのポイントは押さえています。イラストにするとこんな感じがサイのイメージです。
2.それではカイバって
お次は今回のもう1人の主役「カイバ」です。
この方が少々ややこしい。誤解を恐れずに言えば、サイとカイバのどっちやねん問題はカイバ側に要因があるのではないかなどと、ついついカイバに辛くあたってしまいそうになります。
ちなみに「海馬」はタツノオトシゴやアシカ、ジュゴンなどといった実在する海の生物の異称でもあります。
そもそも社寺彫刻におけるTHE・カイバを提示するのが難なのですが、有名どころはこちらでしょうか。
宮崎県三ヶ所神社(「寺社の装飾彫刻」/若林純より)
この波を走っている馬こそが「カイバ」と呼ばれるものです。
少々わかりづらいですが、ただの馬ではなく炎をまとっており、甲羅はありません。ここ重要。
サイと同様にイメージ図をば。
わかりやすいように色をつけてみましたが、元気よく走っていらっしゃいますね。
こうした甲羅なしのTHE・カイバはあまり数が多くありませんが、宮崎の三ヶ所神社さん以外では、こんな子たちがおります。
いずれも「寺社の装飾彫刻」シリーズよりご登場いただいてます。
宮城県高千穂市_黒口神社本殿
福井県永平寺町_永平寺
群馬県_吾妻大国魂神社東宮
「波の上を疾駆する炎をまとった馬」、わかりやすい図像をなぜに私が「ややこしいやっちゃ!」と思っているのか。おいおいご説明致します。
そもそもカイバに関しては、サイほどの「謂われ」が知られていません。炎をまとっている、この1点で「霊獣」「聖獣」と認識されています。
ただ、日本のみに生息する霊獣ではなく、中国の屋根の装飾「脊獣」や、武官の朝礼服に採用されるなど、認知度の高い霊獣であったようです。
炎は社寺彫刻のみならず霊獣を東洋で描く場合の1種のお約束表現。
「火炎をまとう=ただの動物ではないよ」の合図です。
もともと翼であったものが、火炎にとってかわったらしく、
「不思議な力をもった生き物が空を飛んでいるのに翼を描くのは野暮ったいなぁ→炎にしよう」のノリではないかという説があります。
自分なりにあまり調べられていないので、この話はまた後日。
「中国歴代装飾模様大典」 引用:「図説社寺建築の彫刻」/高藤晴俊
⑤が海馬、⑥が天馬とされ、翼のあるなしで明確に区別されている
3.サイなの?カイバなの?
ここまで読んで頂いた方は「サイとカイバ、区別できるじゃない。むしろベツモンじゃない」と思っていらっしゃるでしょう。
本題はここからです。
お察しの通り、サイとカイバの見分けポイントはツノと甲羅です。
この2つのポイントが大手を振って歩いています。
ツノと甲羅があればサイ、ツノも甲羅もない火炎の馬がカイバ。
それでは、この子はサイでしょうか?カイバでしょうか?
馬っぽいけどツノも甲羅もあるからサイでしょ!
と思った方、私もそう思っていました。
しかしながら同じ建物にはTHE・サイがいるのです。
それがこちら。
すっごくサイなんです。
この子がTHE・サイなんです。
違う建物・違う時期の彫刻ならば表現の違いと考えられるのですが、明らかに同時期の彫り物でこれだけ明確に区別されて彫られているとなると…別の生き物なんだろうなぁって思いませんか…?私は思います。
このお二方は、埼玉県箭弓稲荷神社さんの「カイバ」と「サイ」で、わかりいいように白描起こしてみました。
馬っぽいけどツノと甲羅のある子は「カイバ」、だそうです。
さぁ、どんどん沼化していく気配。まだまだこれからです。
箭弓稲荷さんがレアケースで、他には無いんじゃないかしら?と思いますよね。私も思いました。
千葉県成田市_成田山新勝寺 「寺社の装飾彫刻」より
どうしようかなぁという感じです。
ツノと甲羅がなければカイバではなかったのか…
そして2021年大船鉾の板飾りが新調されたとのニュースでは、白いサイと白いカイバが波を走り…。
あらためてサイとはなんなのか、カイバとはなんなのか。
4.余談、じつは混同してました
実は私、社寺建築の修復に携わっていた折には「サイ」と「カイバ」の区別がついておりませんでした。
といいますか、「カイバ」=「サイ」と思っていた節があります。
初めて「カイバ」というものを認識したのがいつなのか覚えていませんが、ツノと甲羅があって波の上を走る霊獣は、私の中では「カイバ」でした。
冒頭の大徳寺唐門の「サイ」。あれを私は「カイバ」と呼んでいました。
周りの人とも齟齬がなかったので、4年くらいは「サイ」=「カイバ」だったかと思います。
退職直前に関わっていた大きな工事で調査を担っていた時に、私はようやく「サイとカイバってもしかして違う?」に気付きました。
調査工事ではこの彫刻ってなんの生き物なん?みたいな話を文化財修理を監督する行政の方と話したりするのですが、その時の調査対象に「ツノと甲羅をもった波の上を走る霊獣」がいまして。
「カイバですね」って。
その時点ではまだ「サイ=カイバ」の頭でした。しかもなんとなく。
その上、完全に私的な感情で恐縮ですが、私は「カイバ」という3音の響きの方が好きだったので、嬉しがって「カイバカイバ」言ってたのです。
ただ、調査対象ともなると色々調べていくので、そうこうしていくうちに「ん?これ、サイって言ったほうが良いのかも」と思い、行政の方に「カイバじゃなくてこれからサイって言います。この子サイです」と修正しました。最終的に報告書も見取図も「サイ」と表記でき、事なきを得ています。
ただあんまりの忙しさにかまけて、私自身が何故に「カイバ」と「サイ」を混同していたのかは追及しないまま。なんやかんやで退職し、時間的に余裕ができた今になって考察している次第です。
いや、あの時「カイバ」を手放して良かったとしみじみ思います。
5.混同の理由① カイバと河図洛書
閑話休題。
なぜ混同してしまうのか。
問題はやはり甲羅を背負い、なおかつツノを生やした馬がいることじゃないか、なんならサイとは別に甲羅を背負った馬がいるんじゃないかと睨んだ私は、背中に甲羅がある馬について調べてみました。
あんまり出ないんですねー。もうなんなら馬具を甲羅に見立てたんじゃないかとか色々思いました。
「馬の背中」でクサイなと思ったのが「河図洛書」という中国の伝承で、馬の背に「八卦」のもととなる図像をみた話が出てきます。
「黄河から現れた龍馬の背中の奇妙な毛の模様から発見され」八卦のヒントになったという河図。
このイメージ図がまさに馬の背中に図を描いていたり、なんせ馬が火炎まとってたり、というか洛書は亀さんでニアピン状態。
「易経来註図解」(「宇宙を叩く」/杉浦康平より)
これ、たまたま読み返していて見つけて狂喜乱舞でした
ニアピンではなくもっともっとドンピシャが欲しいそんなある時「おおお!」という図像にあたりまして!
それがこちらです。
葛飾北斎 万物絵本大全図/大英博物館蔵
葛飾北斎の万物絵本大全図より「河図洛書」。
背中に甲羅のような毛!甲羅ではありませんが蓑のような毛!
キタなぁと思い小躍り状態。
TOP画像の海馬もそうですが、北斎は火炎を描かずに毛の表現に変えており、なおかつ河図に関しては奇妙な毛の模様を蓑のようにしています。
ここにきて、背中に甲羅のある馬が現れる環境がそろって参りました。
おそらく甲羅のある馬という思想には、河図洛書との関わりがあります。
そしてストレートに甲羅をのっけた馬が、満を持して社寺彫刻に駆け寄ってきます。
6.混同の理由② サイという霊獣
そもそもが想像上のサイという霊獣ですが、コンセプトがしっかりしてみんなに好かれていたならば、カイバがぐいぐい甲羅を背負ってきても混同されたりはしなかったでしょう。
混同される要因はサイにもあり、それは「実在のサイという動物が中国・日本に生息していない」ことだと推測します。
古くは広い地域で繁栄していたサイですが、現在は限られた地域に5種が生息し、人の乱獲等で衰退している状況です。
そのツノは装飾品や薬として高値で取引される一方、実物は見たことがない。
「見たことないけど霊験あらたかな水際の霊獣がいるってよ」
そんな中で描かれるサイの図像は想像を多分に孕んだ魅力的なものです。
アルブレヒト・デューラーの木版画「犀」
これは実際にサイを見た人のスケッチを参考に描いたものだそうです。
正倉院 復元:犀連珠文錦 /龍村美術織物
鳥獣戯画
涅槃図/狩野松栄
雄総山護国之寺 涅槃図
なかなかにストライクゾーンが広がっていくサイの世界。
ちなみにTOP画像の北斎漫画からの水犀さんはヒヅメじゃなくて、水掻き系の獣脚にもなっており、絵画表現では水牛や海の動物ニュアンスも混じってきてますね。
こうした中で、社寺彫刻においてもサイの図像はどんどん揺れ動き、もう「ツノと甲羅とヒヅメがあって波の上走っていたらOK!」状態になっていったのではないか。実際、鹿みたいだったり恐竜みたいだったり亀っぽかったり、馬じゃなくても色々要素が混じっている御仁です。
サイの懐が広く深くなっていき、そこにパカパカ甲羅を背負ったカイバがやってくる。そらもう混同されますよ。
7.結論
①誰も見たことがないサイをもとに霊獣が生まれる
②馬は馬で翼生えたり、ツノが生えたり、火炎まとったりの霊獣が生まれる
※馬信仰は根強い
③河図洛書の図像から、馬の背中に何らかの細工がされる
④サイの図像コンセプトが揺れ動き、懐広くなる
⑤甲羅ありのカイバが社寺彫刻に誕生!
※社寺彫刻で甲羅あり馬は1674~1888竣工のもの
⑥もはやサイなのかカイバなのかよくわからなくなる
ではここで、あらためてサイとカイバの見分け方について。
サイ:ツノと甲羅とヒヅメがあり、顔が馬ではない
カイバ:波の上を走る馬
こんなに考えた結果が、馬か馬じゃないか。
自分でもどうかと思います。
それでもカイバは海馬であり、日本においては馬でないものをカイバにはできないというのがまず第一。
「火炎をまとっているのか、甲羅やツノがついているのか、はたまた翼が生えているのかは、馬に端を発する霊獣の中の問題であってサイには関係がない」としようかと思うわけです。
何より甲羅を背負った馬が河図洛書に深く関わる図像であるならば、これは龍馬と呼んだ方が良いのではないかと。
でも龍馬ってまたそれはそれで揺らぎのある図像…と、だんだん方向性がサイから逸れていきます。
龍馬/三才図会
そんな考えに至りながら、そもそも私が「カイバ」を覚えたのは敬愛する故・近藤豊先生の名著「古建築の細部文様」(光村推古書院)ではないかと思い出す。
社寺建築の細部を研究した第一人者の近藤先生ですが、この本の中で「サイ」の彫刻写真を「カイバ」として紹介されているのです。
おそらくこれを見て私は「カイバ」=「サイ」状態に陥ったのではないか。
近藤先生がそうして載せられた以上、何かしらの物証があったのでしょう。それ以前にサイとカイバは混同されていたのだと思います。
注:この部分の誤りについては既に指摘があり、単純に私の勉強不足です。
そして近藤先生の著作内のごくごく僅かな誤りは、その愛情溢れる豊かな研究を全く損なうものではなく、本当に素晴らしい研究をされてます。
まぁとりあえず自分の中では一応の納まりを得た…そんな気分で「古建築の細部文様」をめくってみて、またしても沼にはまりました。
カイバの頁にサイが載っているんですが、そのうちの一体がこちらです。
月鉾虹梁妻上彫刻/古建築の細部文様
これ、河図洛書からの龍馬じゃないでしょうか。
どっと目眩。
次は馬関係の霊獣について調べないとなぁ。天禄もいるのと、
実は今回の考察中にこんなのも見つけてしまいまして。
天馬だそうです。
「敦煌装飾図案」/関友惠 より作成
以上、サイとカイバの図像考でした。
沼に次ぐ沼。
新しい沼の中で、何か今回に関する発見や気づきがありましたら誠心誠意で補記致します。
長々とお読みいただきありがとうございます。
それではまた次の投稿で。