コロボックルシリーズを読んだ

コロボックルシリーズを読んだ。面白かった。自分の周りにもコロボックルがいるかもしれないと思ったが、今の自分には絶対に見えないだろうなと思った。

コロボックルシリーズは本編が全5巻で、番外編とかがちょこちょことある。今回は本編の全5巻を読んだ感想を書く。

このシリーズを読んで、コロポックルに会いたい!と思ったが、それは不可能であることが5作目で明らかとなった。
「俺はこの本を読んだことによりコロボックルと共生できる」という驕りをへし折られた。(これは読めばわかる。ぜひ折られてほしい。)

この本は、本自体がファンタジーである。
普通、ファンタジーを読んだり、見たりする時、自分は作品と現実を分けて触れると思う。俺はよく物語に没頭しようと思うが、せいぜい混同するのは主人公の人格だけ。
だから作品に触れてない時はやれあの曲がいいだの、あの台詞が好きだのといった感想が出る。
まあ正直これが普通のファンタジーへの接し方だと思う。

でもこの本は、本を読むこと自体が物語へ入り込む装置となる。なぜなら、物語の中でこの本自体が登場するし、読者も登場するからだ。
つまり、本を読むだけで物語の参加者となれるのだ。こんなに嬉しいことはない。読者でもあるが一参加者としてコロボックルの世界に入り込み、興奮することができるのだから、寝ても覚めてもコロボックルのことを考えるほどに没入感がある。いつか自分もコロボックルに会えるのではないかと思うようになる。

しかし、自分はあくまで参加者なのである。本当にコロポックルに会える人たちはそれ相応の能力や、資質、思想がある。凡百の中の1人である自分は到底コロボックルに会える人物ではない。

とてもとても悲しいことだけれど、でもそれがこのシリーズのいいところだと思う。この悲しいまでの現実味がより、ファンタジーとリアリティの境界を曖昧にしてくれる。
この境界が曖昧であるからこそ、現実にもコロボックルがいるのではと考えることができるのである。

後本当にコロボックルが実在したとしても、俺は絶対出会えないなあと思う。なぜなら俺はクソだから。
先述したようにコロボックルに会える人には、それ相応の資質や思想がある。端的に言えば、コロポックルに協力的で、芯があって、秘密を守れる人だ。その点俺はコロボックルに協力的な気持ちがあってもコロボックル国が発展するような知識はないし、他人に流されるし自分の個人情報をペラペラと話してしまう。全然出会える人物像ではない。

でも正直みんなそうだと思う。みんなそうだから、
コロボックルに出会える人は限られていて、今の今までリアルとファンタジーの間を彷徨っているのだと思う。

今更コロボックルに会えるとは思ってはいないが、コロボックルが俺に会ってもいいかな〜と思ってもらえるような誠実な人間になりたいと思った。

コロボックルシリーズを読んだ。リアルとファンタジーがうまく織り交ぜられていて、とても没入感があり、本当にコロボックルは存在して、出会っている人がいるのではないのかと思った。だけどまだ、自分は会えないので、せめてコロボックルに認知されるような人になって見たいと思った。

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