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私は鬱になりたかった

昨夜からエアコンの調子が悪く、キィーキィー音が鳴るので消して寝ました。
明け方にめちゃくちゃ寒くて目が覚め、エアコンをつけたらリモコンの隣にあったお湯をこぼし、拭かずに布団に戻ったら、朝起きた夫が水を踏んで叫んでいました。

ごめんよ夫…ズボラ嫁は寒かったんだよ…

どうも、ふわちゃんです。

先日Twitterで見かけた話題。

これ、今のうちの夫がこの状態です。
昨日は朝7時に出勤して21時に帰ってきました

残業代も出ません。
ボーナスの査定も上がりません。

※教員を評価してボーナスに反映させる制度があるのですが、管理職によっては反発が来ないように『年功序列で』とか『持ち回りで』と言って正当に評価しないケースがあります。

毎朝「しんどい」「辛い」と言っています。

私にできるのは「辞めていい」「休んでいい」「あなたが大切」と言い続けることだけ。

私も同じ思考だった

夫のことを偉そうに書きましたが、私も数年前に同じ思考になっていました。

何もないと休めない。
このまま車で突っ込んだら休める。
重大な病気になったら休める。
もう私にできることなんてない。

追い詰められていたのでしょう。
今は自分を客観視できるようになったので、その思考がどれだけ危険かわかります。
でも、当時はそれが精一杯でした。

私は鬱になってでも休みたかった。
その結果として、うつを選んでしまったのだと思います。

アドラー心理学の『結果論』との出会い

去年『嫌われる勇気』を読みました。その時の感想はこちら⬇️

アドラーはトラウマを否定します。
そして原因ではなく結果をみます。

幼児期に虐待を受けていたからといって、全員が引きこもりになるわけではない。
その経験から何を学習し、どう行動するかの結果がライフスタイルを決めるのだ。
                                 (意訳)

鬱になってしまった原因を考えることはできる。
でも、同じようにしんどい経験をしても鬱になる人とならない人がいる。
これは私にとって衝撃でした。

そして、大体の場合、行動のモデルが存在するのだと思います。

行動のモデル

私の場合は妹だったと思います。
妹は職場でのパワハラから職場に行けなくなり、重度の鬱になって療養していました。

私は妹が羨ましかったのです。

歪んでいる醜い私です。
母の愛情を受け、食事の世話もしてもらい、仕事を休んで寝ている。
辛いのは妹自身だっただろうけれど、私はそれすら羨ましかった。

私も休みたかった。
母に優しくしてもらいたかった。
「休みたい」「優しくしてほしい」そんな願いが形を変えて表出したのです。

そして今、夫を見ていると、夫にとってのモデルは私です。
診断書をもらって病気休暇をとっている。
「休みたい。でも休めない」の思考に陥っている夫にとって、休んでいる私はモデルです。

多分、今まで一人で生活してきた夫の中に病気休暇を使って休むという選択肢はなかったのです。でも、身近に取得している人がいると取れることがわかる

夫の中で葛藤があるのが近くにいてよくわかります。

「休みたい。でも休めない」
「鬱になんてなるタイプじゃない」
「趣味に行けなくなるのは嫌だ」
「仕事を辞めて給料が低くなったら遊べない」 など。

どれもわかります。

どう生きたいか、自分の声を聞こう

去年のnoteでも自分の葛藤を書いていましたが、去年と今年で大きく変わったのはやはりコーチングを学んだこと。

たけちゃんのツイートにものすごく共感。

自分の中のサブパーソナリティが対話していて、それを俯瞰しているセルフがいる。
自分一人では解決できそうにないとき、相談できるコーチがいる。

なんと心強いことでしょう。

自分自身の対話と、コーチとのセッションを通して、自分が行きたい方向を目指すことができた気がするのです。

…うーん、目指して行動したのは私だから、願いに気づけるようになった、というのがしっくりくるかな。

そう、一人一人心の中には願いがあるんだけれど、その願いのほとんどは無意識だったりする。(夢の中で見た景色とかも、私は割と多い)

今の私は鬱になりたいとは願っていない。

仕事がしっくりきていなかったんだ、という自分自身の願いに気づいた時、私の中のうつの要素は急速に小さくなっていった(ただ、薬を急にやめると離脱症状が辛すぎるので徐々に減薬していくしかない)。

じゃあ次にどんな景色を見る?
これはこれからのセッションで見つけていく。
どんな自分と出会えるのか、ワクワクしている。

持続可能な働き方に

コーチングと出会って、私は自由を取り戻した。
でも、夫はどうだろう?
コーチングを受け入れる余裕もないし、自分と向き合う余裕もない。
体を休められる余白もない。

Twitterで繋がっている多くの先生たちが悲鳴を上げている。
私は元・教員の立場になっても、発信していこうと思っている。
そして、多くの人に教員の働き方が多くの犠牲の上で成り立っていることも知ってほしい。

SDGsって言われているけれど、国内の働き方を持続可能なものにする方が先じゃないのかなぁ。教育こそ国の未来だって思うよ。
働き方が持続可能なものになったら、いつでも教員戻りたいって思うもん。

私にできることがあったら、声かけてほしいです。

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