ようやく出会えたあなたは(小説)#夏の香りに思いを馳せて
出会いは図書館の自習室への階段だった。受験勉強の帰りに毎回何かしらの本を借りていたのがみおりで、そのみおりを目で追っていたのが図書館で土日だけバイトをしている大学生のせなだった。
みおりはどうやら恋愛小説が好きらしく、作家の中でも恋愛ものを選んで借りていく。それはカウンター業務をしていればおのずとわかってくることだった。そしてせなは今日も目の前のみおりに無愛想に対応してしまう自分自身に嫌気がさしていた。
この図書館はカウンター業務があるものの、基本的には接客業とは違うために利用者に対して笑顔を向けることはあまりない。対応をするのは本の場所を聞かれた時くらいで、その場合も特にサービスはしない。
…はずだったのだけど。
「すみません」
「はい?」
そう声を掛けられ振り返ったせなは思わず声が裏返った。目の前にいたのがあのみおりだったからだ。
「あの、いつもこの図書館を利用しているんですけど大体目当ての小説を読み終えてしまって。何かおすすめがありましたら教えて下さい」
「ええと…そういった業務は請け負っていないので」
「そうなんですか」
せなは脚立を下りてみおりに対応した。他のところはどうか知らないが、ここの図書館のバイトはマニュアルで動くと決められている。余計な仕事は断るようにとも。だけどみおりと話せる機会はこれが最初で最後のチャンスかもしれないとせなは思った。
「今なら時間あるんで案内します。けどこのことは内緒にして下さいね」
「は、はい…」
ひっそりと周りに響かないようにそう伝えると、みおりはほんのりと頬を赤く染めたように見えた。できるだけゆっくりとせなは歩みを進めていく。
辿りついたのは一番奥の棚だった。せなは足を止めると、近くにあった大き目の脚立を持ってきた。一番上の本棚から分厚い本を手にして戻ってくると、その少し古ぼけた本をみおりに渡す。
「どうぞ」
それは夏目漱石の全集だった。みおりはきょとんとして、せなのことを上目遣いで見ては首を傾げた。きっとこんな有名なものを渡してと思っているのだろう。せなは後ろ髪を触りながら苦笑した。
「俺、図書館で働いているくせにあんまり小説って知らないんですよ。新書とか専門的な内容の方が好きで」
「そうなんですか」
「けどこれ、おすすめなんでぜひ読んでみて下さい」
カウンターに向かって貸出作業をしている途中、そっとみおりの様子を窺ってみると軽くため息をついていた。期待外れなことをしてしまったのかとせなはがっかりしかけるが、勝負はここからだ。
「来週の金曜日までにお返し下さい」
「はい。ありがとうございました」
「気をつけて帰って下さいね」
そう言ってせなはみおりに悪戯っぽく微笑みかける。運よく周りに他の人がいなかったためにバレなかったが、その行動だけでも周りから見れば十分特別だと伝わるものだっただろう。
「どうしよう…」
家に帰ってみおりは激しく動揺していた。渡された夏目漱石の全集には手紙が挟んであったのだ。そこには「図書館で日曜日に七夕イベントやるんですが、その日18時上がりなのでよかったら話しませんか」と手書きでメッセージがあった。実はみおりもせなが気になっていたが、受験生なので気持ちを抑えようと思っていた。それでも何か接点を持てないかと考えた結果、あのような少し不自然な行動になってしまった。それまでは顔を見られるだけでもいいと思っていたのに。
だけど今日のあの去り際の笑顔。
「もしかして…とか期待してもいいのかな」
ふと呟いて赤面してしまい、クッションを抱きしめるみおりだった。
そして訪れた七夕イベントの日。夕方を選んで来館したところ、図書館には大きな笹が飾られて地域の子供たちが集まっていた。一週間前にみおりも叶うかどうかはわからない願い事を書いた。本棚の整理をしているせなを遠くから見ていると気付いて会釈してくれた。時間はまだあと30分ある。
みおりは新作コーナーに行って狙っている恋愛小説を探してみたが、見つからなかった。自分で買うしかないかもしれないと思いつつ、カウンターを見てみる。せなはちょうどお年寄りを相手に説明をしているようだった。何となく温かい気持ちになる。その後館内を適当にぶらぶらとして時間をつぶした。
残り5分。入り口近くにある笹をふと見上げ、みおりは自分の書いた短冊を探してみた。たくさんの飾りの間に子供たちがたどたどしく書いた願いの短冊が垂れ下がっている。飾った場所を大体覚えていたので見てみると「素敵な恋ができますように」とピンク色の紙に赤いペンで書いた自分の字が見つかった。その隣につるされた青い短冊には見たことのある筆跡で「好きな人の願いが叶いますように」とあった。
何とか七夕祭りの人込みを抜け、駅の近くの喫茶店に辿りついた二人はアイスコーヒーとオレンジジュースを飲みつつ向かい合っていた。
「彦野星南さん…ていうんですね」
「え、もしかしてあれ見ちゃいました?すみません…」
ばつが悪そうにせなは言い、みおりは軽く頷いた。あの本に挟まれていた手紙にも名札にも苗字しか書いていなかった。だからみおりは短冊を見るまでせなのフルネームを知らなかった。その一方でせながみおりの名前を知っている理由はカウンター業務の際にどうしても目に入るからだ。
「わかりますよ。私も図書委員なので」
「そういう恋愛したことあります?」
「はい…叶いませんでしたけど」
「そうですか」
そこで二人は同時にため息をついた。せなは今にも氷のなくなりそうなアイスコーヒーを口にする。しばしの沈黙の後、ストローでオレンジジュースをかき回しながらみおりはくすっと笑った。
「耳をすませばみたいなのに憧れてたんです」
「俺もです」
「…だからあの手紙を?」
「そうですね」
せなは観念したかのように肩をすくめている。点が線に繋がるとはこういうことだ。本に挟まれた手紙。あの日の笑顔。隣同士の短冊。そして耳をすませば。みおりは頬が熱くなってくるのを感じながら、何とかそれを言葉にしていくことにした。
「私の願いはもう叶ったみたいです」
「それは恋が叶ったという意味ですか?」
「はい。今、なんですけど…」
そう言ってみおりがちらりとせなの表情を窺う。せなは一瞬驚いた顔をした後、ふっと苦笑したようだった。
「俺から言うつもりだったのにな」
「え…?」
「まさか先に言われるとは思いませんでした」
みおりは反射的に謝っていた。
「すみません…」
「けどそんな君もかわいいと思うんで、いいです」
みおりは思わず言葉をなくして俯いた。そんなことは今まで誰からも言われたことがなかったからだ。そっと視線を戻すと、せなが柔らかく笑って自分を見つめていたので心臓が跳ねたような心地になる。
「姫川美織さん。俺と付き合ってくれませんか?」
「…はい」
優しい声色に、気が付くとみおりはそう答えていた。厳密に言うとまだ七夕の夜ではないが、閉店間際の喫茶店から手をつないで帰ったこの日の星空は二人を歓迎するかのようにキラキラと輝いていた。
自習を終え、階段で一階へと降りてきたみおりはカウンターをちらりと見た。せなは見当たらなかった。この前案内してもらった奥の本棚へと向かっていく。あの時はせっかく借りたのだからと読んでみたのだが、思った以上に面白くて古典文学もいいなと思った。全集は本棚の一番上にあるものだから手が届かない。そして近くに脚立もない。途方に暮れていると、みおりのそばに影が立った。
「取りましょうか」
「お願いします」
「どれがいいですか?」
「夏目漱石の全集二巻で」
「もう手紙は挟んでありませんけど、いいですか?」
「ふふっ、大丈夫です」
そうして本棚の影でこそっと笑いあったふたりだった。七夕の日はもう過ぎてしまったが、ふたりの恋は今も続いている。
xuさん、riraさんの企画「夏の香りに思いを馳せて」に参加させて頂きました。前回のエッセイが夏祭りだったので、今回は「七夕」と「青春」を選ばせて頂きました。少し長めになってしまいましたが、素敵な企画をありがとうございました。