昨日、いやこれを書いている今となっては一昨日、私は家から一歩も出なかった。もともと出不精で、田舎に住んでることもありフットワークはかなり重い自信がある。一昨日は特段予定もなく、なんとなくだるいような気もして、一日中だらだらとベッドの上にいた。毎日のもはや健康的ではないほどの十分すぎる睡眠時間のおかげで寝ることもできず、いつもは無限に時間を溶かしてしまうYouTubeのショート動画も見る気にならず、ただ目をつぶるだけ。そして時々まどろみ、夢と現実の狭間をふわふわとしていた。と
皆さんは、家の中でスリッパを履きますか?かつては家の外まで裸足で走り回るわんぱくガキンチョだった自分は、ここ数年で大人になり、スリッパを履いて生活するのが当たり前になりました。 そこで気になるのが、どこまでスリッパを履いて歩くか問題。自分の中では、「スリッパを履かなくていい=綺麗(実際の綺麗さとの相関性はない、気持ちの問題)」という式が成り立っています。正しいかどうかは知りません。ちなみにトイレでは専用のスリッパに履き替えます。それ以外、例えば畳、絨毯、など、どのタイミング
生きる意味を考えることほど不毛なことはない。そう思うのだが、考えることをやめられない。 生きる意味を見出せず、死んだように生きている人は山ほどいて、無力感に苛まれ、自分の価値のなさに絶望して死んでいく人も山ほどいるだろう。 ヒトは大きな脳を持ち、文明を築き発展してきた。その一方、ただ息をするだけでは許されなくなってしまった。 生きるとは、なんだろうか。そんなことを考えても明確な答えなんてないと分かっていても、やはり考えることをやめられない。 これが、人間を
親が嫌いだというと、親不孝者だと思うかもしれないし、実際そうなのかもしれない。しかしはっきり言おう、私は親が嫌いだ。 この事実を自分の中に落とし込むまで相当な時間がかかった。「親を好きでいないといけない」という考えがずっと私を苦しめてきた。私を産み、食事を作り、たくさんのお金をかけて育ててくれたのは間違いなく親であるし、感謝している。 私の家は、いわゆる「機能不全家族」だった。父はモラハラ気質で、キレると手が付けられなかった。兄は文武両道が具現化したような人だったが
箱を持っていた。 箱は綺麗な青色で、小さな鍵穴がついていた。 母は、その箱を大事にしろと言った。なにがあっても手放すなと優しく、しかし強く言い聞かせてきた。そういう母もまた、箱を持っていた。 「箱の中にはなにが入っているの?」 私は母に尋ねた。母はただ、 「大切なもの。いつか分かるわ。」 と言った。母の言っていることはよく理解できなかったが、私は箱を大事に持った。 周りを見ると皆、大きかったり小さかったり、それぞれ自分の箱を持って歩いていた。 私もみ
「自分を大事にしてほしい」 私がよく言われる言葉だ。 中学校の卒業時、養護教諭の先生がひとりひとりにメッセージを書いてくれた。自分のところに書かれていたのが、その言葉だった。 20歳の時、アルバイト先の主婦のパートさんに「らいま、ちゃんとご飯食べてる?自分のこと、大事にするんだよ」と、紫蘇のふりかけとともに声をかけられた。普通にスーパーで売ってるようなふりかけだったが、そのふりかけで食べるご飯は格別に感じられた。 そして最近、パートナーに同じようなことを言われたのだ。
ガタンゴトン、と心地よい揺れに身を任せ、ぼんやりと外を眺めていた。外を一面に色付けているのは、アネモネだろうか。電車の中は暖かいが、窓の外で風に揺れる青を見ると、外はまだ少し肌寒そうだ。青い絨毯を切るように電車は真っ直ぐ走り続ける。 ガガ、という雑音の後に、車掌の声が次の駅の名を告げる。いつから握りしめているか分からない切符を確認し、自分が降りる駅ではないことを確かめた。隣の彼が、静かに身を固くしたのを気配で感じる。 「次で、降りなきゃだ。」 彼の声はいつもと変わらない
夏といえば海。海といえば夏。 とは言っても、海なんてもう数年行っていない。本当に、最後に行ったのがいつなのか思い出せないレベルだ。泳ぐのは得意ではないし、そもそも公衆の面前で半裸になるのが恥ずかしい。プールや温泉もめったに行かない。 しかし、私と海は切っても切れない関係にある。私が望んでなった関係ではない。もちろん多分海も望んでいなかったはずだ。 私の本名は、あるビーチの名前が元になっている。どこのビーチかは伏せさせていただく。プライバシーの保護というやつだ。 ち
暑中お見舞い申し上げます。暑い日が続いていますが、いかがお過ごしですか。 自分は、新たなバイトを始め、ようやく少し慣れてきた。 引っ越すことを決め、内見に行きまくり、いい部屋を見つけた。 noteを始め、文章を書くのが楽しくて、読んでもらえるのが嬉しくて、たくさん書いた。 毎日のようにクライミングをし、仲間と切磋琢磨し、少しずつ強くなっている。 最近、すごく充実した日々を送っている。毎日やりたいこと、やるべきことが山ほどあって、活気に溢れている。同時に、全てをこ
隣人が、気になる。 ドキドキと胸が高鳴る恋的なものではなく、どちらかというとハラハラするような、心配だという意味での気になる、だ。 隣人は、3ヶ月ほど前に引っ越してきた。休日で家にいた私には、引っ越し作業の音がよく聞こえてきたから覚えている。そもそも壁が薄いのだ、このアパートは。家賃3万なだけある。 引っ越しの挨拶はなかった。今のご時世、挨拶をする方が危ないと言われるし、別に気にならなかった。まだ、私は隣人の顔を見たことがない。強いて言うなら、女性であるということだけ
季節外れの小説を投稿してしまった。書いたときは寒かったんよ…
カランコロン。 可愛らしいドアベルの音とともに店内に入ると、ふわっと甘い匂いに包まれた。午後五時半。ショーケースにはまだ十分な量のケーキが残っていて安心した。残業もせず、一直線に来た甲斐がある。そのまま引き寄せられるようにショーケースに近づき、少し身をかがめた。圭以外に人はおらず、ゆっくりと選ぶことができそうだ。 三の倍数月の十一日は特別な日であり、こうして「次郎丸工房」でケーキを買う。それが圭と美紀のささやかな楽しみであった。付き合った当初は記念日と言っていたものの、
突然だが、noteに存在する「ふわらいま」は、本当の私ではない。ここでは偉そうにぺちゃくちゃしているが、現実世界に自分の思いを饒舌に話す私はいない。私のリアルは黙々とうどんを茹で、インパクトドライバーを握る日々で、同級生たちのようにキャンパスライフを楽しんだり、日付をまたいで飲み会をしたり、なんてことは一切ない。noteを書くくらいなのだから、よっぽど喋るのが好きだと思うかもしれないが、自分はできることなら言葉を発さずに生活していたい。身内や友達では飽き足らず、noteとい
「道ゆく人差なきや」 幹線道路の隅に、ぽつりとあった石碑のようなものに刻まれていた言葉だ。よく見ていたわけではないので、それがなんのために設置されていたのかは分からない。そもそもあの石碑の正式名称は何なのだろうか。もっと言うと、本当にふと目にしただけなので、全然違う言葉だったかもしれない。 それでもとにかく、茹だるような暑さの中で、視界の隅で捉えたその言葉にひどく衝撃を受けたのは事実である。 私は、夢を追い、結果の出ない日々に焦っているところだった。正確に言えば今も焦って
昔から、考えることが多かった。哲学が好きというわけではなく、実際高校時代の倫理の授業内容などほとんど覚えていないのだが、おそらく人より考える時間の長い人生だったように思う。人生といってもまだたったの21年なのだけど。 生きる理由、幸せとは何か、自分の居場所はどこにあるのか。答えの出ない問題は常にまとわりつき、私を苦しめた。そしてそれらを振り払うように勉学に励むーーことができたらよかったのだが、気が付いたら大学を退学していた。中学受験をし、地元ではそこそこいい高校を卒業し、こ