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特別な日、特別なもの、特別な人(一時創作)

 カランコロン。
 可愛らしいドアベルの音とともに店内に入ると、ふわっと甘い匂いに包まれた。午後五時半。ショーケースにはまだ十分な量のケーキが残っていて安心した。残業もせず、一直線に来た甲斐がある。そのまま引き寄せられるようにショーケースに近づき、少し身をかがめた。圭以外に人はおらず、ゆっくりと選ぶことができそうだ。
 三の倍数月の十一日は特別な日であり、こうして「次郎丸工房」でケーキを買う。それが圭と美紀のささやかな楽しみであった。付き合った当初は記念日と言っていたものの、年月が経ち、暗黙の了解のようになっていた。
 付き合って間もない頃のデート中に見つけた店だ。店名を見て「ラーメン屋さんかと思った」とはにかんだ彼女の顔を今でも覚えている。その後、食べてみたいとつぶやいていたのもしっかりと聞こえていた。なんでもない日に急にケーキを持っていくような勇気はなく、三か月記念とかこつけてショートケーキを二つ買って彼女の家に行った。それを彼女はすごく、本当に大げさなくらい喜んでくれたのだ。そこから、ずっと。一緒に住むようになって、会社からの帰り道が少し遠回りになっても、「次郎丸工房」でケーキを買った。彼女は昔ほどはしゃぐことはなくなったが、今でも帰ってきた圭がケーキの箱を持っていると、嬉しそうな顔をする。
 寒い季節のためか、生クリームを使ったものが多い。圭は真剣なまなざしでショーケースとにらめっこをする。
 季節限定というポップが貼られたケーキが目に付いた。イチゴのタルトだ。白イチゴが使われており、見た目にも可愛らしい。しかし、デザインは多少違うものの、白イチゴのタルトは一昨年にも食べたので却下だ。
 ワクワクした顔で箱を開ける美紀の顔を見るのが好きで、いつだって驚かせたくて、圭は毎回買ったことのないケーキを買って帰った。レギュラー商品を買いつくした後は季節限定のものを買った。食べたことのないケーキを買うのは、今ではただの意地のようになっていた。「次郎丸工房」はいかにも街の小さなケーキ屋さんらしく、こじんまりとした店で品数もあまり多くない。もうショーケースに並ぶケーキはどれも買いつくしてしまった。
 他のケーキ屋に行こうか、と腕時計を見る。まだ時間はそんなに遅くない。つい最近会社の近くに新しいケーキ屋ができたと女性社員が話しているのを耳にしたばかりだ。しかし、特別な日のケーキは「次郎丸工房」でなくてはだめだ、と思い直す。理由を問われても言葉にすることができない。明確な理由なんてないのかもしれない。それでも二人にとって「次郎丸工房」のケーキは特別な存在であってほしかった。特別な日だからケーキを食べるのではなく、特別なケーキを食べるから特別な日になるのだ。
 悩んだ末に、ショートケーキを二つ注文した。五十円で付けられるプレートを勧められたがそれは丁重に断る。
 店員が丁寧にケーキを箱に詰めるのを眺めながら、美紀のことを考えた。ショートケーキを見た美紀はどんな反応をするだろうか。食べたことがある、と不満を言うだろうか。それとも気が付かないふりをするだろうか。会計を済ませた後になって、本当にこれでよかったのか、少し不安になった。
 帰り道は、いつもより長く感じた。暖かい家に早く帰りたいはずなのに、どうにも足が進まない。
 アパートの前でちらりと腕時計を見たが、長く感じたのは気のせいで、いつもと変わらぬ時間だった。ふう、とため息とも深呼吸ともとれるような息を吐き、ドアに手を伸ばす。
「ただいま。」
物音がするキッチンに向かって言いながら、もう一度小さく息を吐いた。「おかえりなさい。」
夕飯を作っていたであろう美紀が顔を出す。圭が持っているケーキの箱に気が付くと、パッと一段と晴れやかになる。その顔を直視できなかった。 

 「ケーキ、買ってきてくれてありがとう。食べようよ。」
食後、のんびりしていると美紀が嬉しそうに言ってきた。圭の返事を待たずに、コーヒー淹れるよ、とパタパタとキッチンに向かう。
 テーブルの上に出されたケーキの箱を見る。いつもと同じ、二切れのケーキがぴったりと収まる小さな箱だ。緊張感になんとなく、初めてケーキを美紀の家に持って行ったときのことを思い出した。あの日は、あまり口数の多くない自分とケーキというギャップに恥ずかしさがあった。喜んでくれるのかという不安もあった。今思うとその頃の自分が大変懐かしく、可愛さすらも感じる。
 彼女がコーヒーをテーブルに置き、きらきらと目を輝かせながらケーキの箱を開けた。
「ごめん。」
彼女の反応を見る前に、咄嗟に言葉が出ていた。
美紀は、すごく不思議増な顔で圭のことを見て、「なんで?」と聞いた。圭が謝った理由を理解していないようだった。
「その…ショートケーキは前も買ったことがあったから。」
圭は素直に理由を言った。美紀はしばらく黙ったあと、
「そうね。」
と優しく言った。続けて、
「初めてケーキを買ってきてくれた時も、ショートケーキだったね。」
と、懐かしそうに笑った。
 二人で向かい合って座る。美紀はケーキを大きく頬張った。その顔は、圭が見る限り、とても幸せそうだった。
「食べたことのないケーキを食べるのももちろん嬉しいけれど…。」
コーヒーを一口飲み、まっすぐと圭を見る。
「こうして二人でケーキを食べられるのが一番嬉しいんだよ。」
圭も一口、ケーキを食べた。王道なだけあって、ショートケーキはいつだっておいしい。
それに、と、フォークを置いて彼女はまっすぐ圭を見た。
「こういう小さなところで、私たちが一緒にいる時間の長さを感じられて嬉しいの。」
 自分の心配していたことはどれも杞憂だったのだと安堵した。それと同時に、目の前にいる恋人の太陽のようなやさしいあたたかさに惚れていたんだ、と再確認した。
 「そういえば、会社の近くに新しいケーキ屋ができたんだ。今度はそこで買ってこようか。」
返事は分かっていたが、あえて聞いた。美紀は少し考えた後、
「やっぱり次郎丸工房のケーキは特別なんだよね。」
と言い、笑った。
 三か月後、きっとまた「次郎丸工房」でケーキを買うのだろう。何を買うか迷うだろうが、その時間も幸せなものになるだろうと、圭は確信した。


※作品は、同じ作者名で某小説投稿サイトに投稿しています(noteにて加筆修正済み)。
※みんなのフォトギャラリーより、イラストをお借りしました。ありがとうございます。


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