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進撃の巨人とつながる物語 part.1


『進撃の巨人』が大好きで、よく進撃の物語にふれながら、ふと他の物語を思い出したり、逆に他の物語にふれているときに、ふと進撃を思い出したりします。

ずっとまとめてみたかった、個人的に進撃の巨人と通ずるものを感じた作品について書きました。

何日もかけてぽちぽち書いていたら、本当に引くほど長くなってしまったので笑、気になるところだけでも覗いてもらえると嬉しいです💐

ネットの海に投げ入れる、メッセージボトルのようなイメージで書きました。どなたかの目に留まり、共有できる何かがありますように。


《進撃以外の物語のネタバレは「🌼」
進撃のアニメ未公開部分のネタバレは「🕊」を目印にしています。ご注意ください。》



全体的なトーンや世界観


ゲーム・オブ・スローンズ


登場人物の多さと豊かさ、ストーリーの複雑さはもちろんのこと、両作品とも「壁」が象徴的だったり、「調査兵団」と「ナイツウォッチ」に通ずるものを感じたり。「三つ目の鴉」の能力は、どこか進撃の巨人の能力を彷彿とさせます。それに伴う宿命論的な考え方も。

世界があまりに残酷で絶望的なので、人と人との心が通い合う瞬間にとても感動するところも似ています。確固とした〈悪役〉の不在も。すべてがグレーの世界。立場によって見え方が 180度変わってしまう。一人の中に善も悪も存在して、誰の心にも悪魔がいる。正義と悪の揺らぎは、共通のテーマだと思います。話の通じない圧倒的な敵の存在(巨人とホワイトウォーカー)も。

あと、どちらも!?!!!?!?って心が追いつかなくなる衝撃エピソードがありますね…!😭

両作品とも、マクロの世界では争いが絶えないけれど、ミクロ(あなたと私、一対一)の世界でならなんとか分かり合えるのではないか。そこからすべてを始めていけばいいのではないか、という希望を感じさせてくれるところが大好きです。諫山先生のGOTブログも楽しい!笑


🌼🕊 以下、ちょっぴりネタバレです







〈物語の持つ力〉がキーになってくるところも似ているように思いました。たとえばヒストリアの戴冠とブランの即位。どちらもストーリーの力によって民衆を納得させる流れです。また、進撃の巨人最終話のアルミンの台詞と、GOT最終話のティリオンの台詞は、どちらも〈物語〉には良くも悪くも人の心を動かし、人と人とを繋ぐ強い力があることを示唆しています(ちなみにこれはユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』の主題でもありますね)。どちらの物語も、結末付近で〈物語の力〉について触れられるところがとても好きでした。

あと、残酷さは共通しますが、進撃の巨人が「世界は残酷だ」なら、GOTは「人はみな残酷だ」かもしれないなあと思いました。GOTを観ながらふと、進撃のキャラクターたちは結局〈信念や思いの方向が違っていた〉だけで、すごく性善説的な世界観かもしれないと思ったのです。一方、GOTからはより人間の持つ本能的野蛮さのようなものを感じて、割と性悪説寄りだと思ったのですが、どうでしょうか…🤔


-------------- ネタバレここまで --------------



ウォーキング・デッド


こちらも、わざわざご紹介するまでもないビッグタイトル…!笑   私はシーズン 6 か 7 で止まってしまっているので、さらっと書きます。

言わずもがな、圧倒的で話の通じない敵の存在。ウォーカーと巨人。一話を観たら、続きが気になって眠れなくなってしまうところも同じ…!笑

シリーズを重ねるごとに、ウォーカーや巨人が敵だったはずが、次第に人間対人間の泥沼になっていくところも共通します。残酷な世界の中、人の善い面や温かさがより尊く感じられるところ、対話の重要性とその難しさ。これらは進撃だけでなく、GOTとも重なりますね。あとは報復の連鎖が生む悲劇とかも通じるテーマです。



ダレン・シャン


ファンタジー小説の名作。ひとつ下の〈運命論と自由意志〉のテーマに入れようかとも思ったのですが、このダークな世界観には進撃と似たものを感じるので。

序盤の何気ない描写が後半伏線として生きてくるところも似ています。主人公ダレンに降りかかる運命が残酷なところも。ダレンもまた、エレンのように宿命的な大きな流れに呑まれていくのですが、その姿にエレンと通ずるものを感じつつ、けれどエレンとはまた違った運命への立ち向かい方を見られる気がしています。ダレンシャンで描かれる運命論は、下のテネットやメッセージ、進撃とはまた少し違うアプローチではないかと思います。個人的には、この物語からは、より人間の意志が持つ底力のようなものを感じました。

あと、私自身がそうなのですが、小学生の頃にダレンシャンが好きだった子どもは成長してから必然的に進撃の巨人にハマる気がします…☺️笑



運命論と自由意志


TENET テネット

未来の人々との第三次世界大戦をくいとめようとする物語。〈時間を逆行すること〉がこの映画の大きな特徴ですが、この〈未来ありきの現在〉という考え方、全ては最初から決まっているのではないかという運命論的な世界観が、進撃の世界ととてもリンクします。

時間は過去から未来へ一方向に流れるものではなく、すべては同時に存在し、起こることは起こるということ。物理学(量子力学にあたるのかな)に明るければもっともっと面白いだろうなと思います。勉強したい…! この映画を観ながら、エレンから見た世界に思いを馳せていました。

また、テネット部隊を見守りながら、もしも全てが最初から決まっているのなら、どうしてそんなに一生懸命になれるのだろう。何がかれらを突き動かすのだろう。戦いや生きるということを放棄せずにいられるのだろう…… と考え、心揺さぶられたのですが、それはエレンに対しても同じかもしれません。



メッセージ / あなたの人生の物語

エレンから見た世界」といえば、こちらも。映画と原作それぞれのタイトルです。

突如現れた謎の飛行物体。かれらは地球人である私たちに何を伝えようとしているのか ——— ?

物語の主人公、言語学者であるルイーズがエレンと重なります。宇宙人との対話を通し、彼女はある世界観を獲得していくのです。


🌼🕊 以下がっつりネタバレ。ご注意ください!







どちらも、未来が見える者としての生き方について考えさせられます。言い換えれば、自由意志と運命論について。テネットとも通じますが、もしも全てが最初から決まっているのなら、人はどう生きていけばいいのか。あるいは未来が見える、知っている状態で人はどう振る舞うものなのか。エレンもルイーズも、たとえその未来が避けたいものであったとしても、まるで意志など存在しないかのように決められた未来に自ら突き進んでいくところが印象的でした。そして両者ともに、最終的には運命を受容する。痛みも歓びもすべて引き受けて、それでも生を肯定する、という選択に行き着くところが素敵でした。すばらしい人生讃歌に思えます。

以下、少し長いですが原作からの引用です。私は完全に理解できたわけではないのですが笑、エレンから見た世界がどんな感じなのか、自由意志と運命論の違いとは何なのか、なんだかとても腑に落ちたので。

※ ヘプタポッド(= “それら”)とは、過去や未来という概念の存在しない世界観を生きる宇宙人のことです。

自由および束縛という話の概念に関するわたしたちの理解によれば、ヘプタポッドたちは自由でもなければ束縛されてもいない。“それら”は意志に従って行動するわけでもなければ、救いがたい自動機械でもない。ヘプタポッドたちの認識様式を特徴づけるものは、“それら”の行動が歴史の事象と一致するということのみではない。“それら”の動機もまた、歴史の目的と一致するのだ。“それら”は未来を創出するため、年代記を実演するために、行動する。
 自由は幻想ではない。逐次的意識という文脈において、それは完璧な現実だ。同時的意識という文脈においては、自由は意味をなさないが、強制もまた意味をなさない。文脈が異なっているにすぎず、一方の妥当性が他方より優れているとか劣っているとかではない。錯覚を説明する有名な例に、鑑賞者から顔をそむけている優雅な若い女にも見えれば、あごが胸につくほどうつむいた団子鼻の老婆にも見えるという絵があるが、それに似たようなものだ。“正しい”という解釈というものはなく、どちらも等しく妥当といえる。けれども、同時に両方を見ることはだれにもできない。同様に、未来を知ることは自由意志を持つことと両立しない。選択の自由を行使することをわたしに可能とするものは、未来を知ることをわたしに不可能とするものである。逆に、未来を知っているいま、その未来に反する行動は、自分の知っていることを他者に語ることも含めて、わたしはけっしてしないだろう。

テッド・チャン著、浅倉久志訳
『あなたの人生の物語』262頁


-------------- ネタバレここまで --------------



報復と憎しみの連鎖


未来を生きる君たちへ

ここから少し、報復の連鎖についての物語が続きます。まずはこの映画。原題は「復讐」、英題は「より良い世界で」。邦題含め、どのタイトルも素敵だと思います。

進撃といえば、私はまっさきに〈報復の連鎖〉を思い浮かべます。象徴的なのはやっぱりサシャ、ガビ、カヤの物語。この映画でも、復讐による憎しみの連鎖とそれを断ち切ろうとする赦しについて真正面から描かれます。

また、進撃の〈過去の人々が犯した過ちは、同じ民族である現在の人々によって償われるべきなのか〉という問いは、実際に日本人が周辺国に対して犯した過ちについて考えさせられました。この映画で垣間見られるデンマークとスウェーデンの確執も、どこか通ずるものを感じます。どんな地域でも、地理的に隣り合う国同士には切っても切れない関係があり、長い歴史の中で積み重ねてきた複雑な思いがあるのだと改めて。

人間は、戦場でも、紛争地でも、社会でも、学校でも、公園のブランコでも、争い続ける生き物なのだと思います。どうしたって暴力の溢れる世界で、どのように生きるべきなのか。確かな答えはないと知りながら、それでも考え続けたいと思わせてくれる作品です。



ブラザー・ベア


ディズニー映画です。こちらも報復についての物語。主人公のキナイは、亡くなった兄の仇を打つためクマを殺しますが、その行いが「グレイト・スピリット」の怒りにふれ、クマの姿に変えられてしまいます。そうして母を殺された子クマと出会い、友情を育んでいくのですが ———

やっぱりこちらも、サシャ、ガビ、カヤ、そしてブラウス一家の物語と重なります。何より、ガビたちがそうであったように、復讐や憎しみの連鎖を止めることができるのは(広い意味での)愛だけなんだなあ、としみじみ。心温まる、とっても素敵な作品です。



チリンのすず

あんぱんまんの、やなせたかしさんの絵本です。こちらも報復と仇討ちがテーマの物語。短くてシンプルなストーリーですが、大人にも響く、ずっしりとした重みがあります。

進撃の巨人やブラザーベアとは、また少し違う結末、アプローチの仕方に出会えました。

物語ではありませんが、同じくやなせたかしさんの『わたしが正義について語るなら』という本もとてもよかったです。

ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです。

15頁

正義のための戦いなんてどこにもないのです。正義はある日突然逆転する。逆転しない正義は献身と愛です。それは言葉としては難しいかもしれないけれど、例えばもしも目の前で餓えている人がいれば一切れのパンを差し出すこと。それは戦争から戻った後、ぼくの基本的な考えの中心になりました。

21頁



SKIN 短編


ほんの短い時間にこれだけのものが込められた作品ってそう出会えない気がします。長編バージョンもありますが、短編があまりに完璧だったので私は未見です……

報復の連鎖が生み出すもの。それを断ち切れなかった人々の末路。この作品を観ながら、教育のもつ力をつくづく感じました。生まれ育った環境、そこで植えつけられた数々の思い込み。信念。前提。固定観念。世界の見方…… 幼い頃のガビやライナー、ジークの姿がそこに重なります。

上に並べた作品たちとはまた違う、衝撃的な結末でした。たった数十分ですが本当に濃い作品なので、未見の方はぜひ。



部分的なリンクを感じる物語


オルガ

報復の連鎖についてのテーマから少し離れて。こちらは、読みながらエレンを想うミカサの気持ちってこんなだったのかなとふと思った作品です。

北の果てに消えた恋人へ、あなたは誰のためにそこに行くのか。女は手が届く確かな幸せを願い、男は国家の繁栄を求めて旅に出た。貧富の差や数々の苦難を乗り越え、激動の20世紀ドイツを生きた女性オルガ。彼女が言えなかった秘密、そして人生の最期にとった途方もない選択の意味が、最果ての町に眠る手紙で解き明かされる——。ひとりの女性の毅然とした生き方を描いて話題となった最新長篇。

出版社あらすじ

物語も雰囲気も進撃とは全く関係ありませんが、主人公オルガが恋人ヘルベルト(ベルトルトではありません🤭)を想う気持ちに、ミカサを重ねました。また、このヘルベルトという恋人が、エレンとどこか似ているのです。


🌼 以下、ネタバレ注意です







ヘルベルトは「いたるところに人間がいる」「人間のせいでここには果てしない広さはないんだ」と考え、北へ向かいます。人間が到達したことのない土地を求めて。これは自由を求め続けたエレンや、物語の終盤に明かされたエレンの本心とリンクします。

「アルミンの本で見た世界と… 違ってた… 壁の外で人類が生きてると知って… オレはガッカリした」

第131話『地鳴らし』より

個人的に、エレンが地鳴らしを発動した動機が、〈壁の内側を守るため〉〈ミカサやアルミンや仲間を守るため〉〈自由を追い求めるため〉という大義だけでなく、ただ前人未到の地を見たいという幼い欲求もあった、という描写に心打たれました。なんというか、とても正直で、人間のありのままを描いているようで、進撃の巨人という物語の凄みを改めて感じたのです。エレンのこの無邪気さは、ヘルベルトのそれに重なります。

また、オルガがヘルベルトへ宛てた手紙は、まさにミカサの心情のようでした。

あなたは長いあいだ、他の人よりは立派な夢を見ていました。あなたは空っぽの土地を愛していました。空っぽの砂漠、そして —— 当時はまだ知らなかったけれど引きつけられていました —— 空っぽの北極に。

ベルンハルト・シュリンク著、松永美穂訳
『オルガ』185頁

あなたは偉大なものへの献身について書いていますが、それはただ空虚さのなか、無のなかへ、力を発散することでしかないのです。あなたが力を流しこもうとする無は、わたしを不安にさせます。無は、あなたに不幸が起こったのではないかという不安よりも大きいのです。わたしは当時、あなたが書いたものを真剣に捉えていませんでした。わたしにとって異質なものでしたが、あなたが近くにいてくれたから気にならなかったんです。いま、あなたは遠く隔たったところにいます。あなたの手記を読むと、あなたが知らない人に思えてきます。そしてわたしは、あなたが当時からすでに知らない人だったことに気づいたのです。絶望しつつ、あなたをしっかりと心に留めます。 あなたのオルガより

同上

誰もがエレンは変わったと言う。私もそう思った。でもそれは違うのかもしれない。エレンは最初から何も変わっていない。あれがエレン本来の姿だとしたら、私は… エレンの何を見ていたのだろう。

第123話「島の悪魔」より

ただそばに居られればそれで幸せだった女と、虚しい大夢に人生を賭けた男。オルガやミカサが、それでも最後は恋人を愛し抜くという決断をくだすところも、両者ともになんて切なくて美しい物語なんだろうと思います。


-------------- ネタバレここまで --------------



クラウド アトラス

輪廻転生や永劫回帰のようなテーマを絡めつつ、人間の本質や生きるということについて考えさせられる作品です。

観る人をかなり選ぶ作品だとは思うのですが、進撃の巨人の、複雑で難解なところ、多様なキャラクターたちの視点から物語が進み、最終的にはすべてが一つに繋がるところ、どこか歴史的・神話的なストーリーの長大さ、人は争わずにはいられない生き物なのか…… と考えさせられるところが好きな方には、深く刺さる気がします。

また、この映画の主要キャラクター、ソンミ451 は始祖ユミルとどこか重なるのです。どちらも奴隷として生まれ、運命に翻弄されながら一生を終え、やがては神のような存在になります。求めたものも同じですが、その点においてソンミとユミルは正反対の人生を歩みます。そう思うと、ユミルの人生により悲哀を感じました。

原作もものすごい熱量の作品ですが、個人的に進撃とのリンクをより感じるのは映画の方かもしれません。それを別にしても、大好きな作品です。



ミスト


後味の悪さで有名な作品だと思いますが、あのラストであるがゆえに、強く心に残るのだと思います。突如、濃い霧とともに現れた謎の生物たちから逃げ惑う人々を描いたパニック映画です。もう何を言ってもネタバレになってしまいそうで怖いので、リヴァイ兵長を思い出した、とだけ書いておきます!笑

未見の方は、これ以上前情報は入れずにぜひ。

俺にはわからない。ずっとそうだ… 自分の力を信じても… 信頼に足る仲間の選択を信じても… 結果は誰にもわからなかった。だから… まぁせいぜい… 悔いが残らない方を自分で選べ。

第28話「選択と結果」より


* * *


こんなにも長くなってしまったのに、まだまだ書きたいことの半分くらいなので、ここで一旦終わりにします…!笑

とても限られた物語体験のなかから、好きなように好きなだけ語った文章ですが、もしもここまで読んでくださった方がいたのなら、本当に嬉しいです。ありがとうございました😭🤝🏻

part.2は〈生きる意味について〉〈戦争〉〈番外編〉のテーマでまとめている途中です。またよければ覗いてみてください。




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