IZZZO 何が見えても終わり
it それが見えたら終わり(映画) を見ました。正確にはまだ見ていますが諸事情で一旦停止しています。今回、サイト内からヘッダ画像をお借りしています。
簡単に説明するのであれば眠さが勝った。映画を中途するみたいなことをもともとぼくはしない傾向にあります(一気に120分見続ける事も含めて映画メディアが媒体として成立している理由であるという捉え方ができなくもないため)が、そんな制約と健康状態を天秤にかけるのであればどちらに傾くかは明白……とは言わないまでも我々は健全な判断をしなければならない。なぜなら今は木曜日であり、さらに今では金曜日になったため。
ぼくは政治宗教野球とかには触れないようにしていますが、itを見たいと思ったのは映画ジョーカーが見られなくなるみたいな文化的喪失についてのニュースを見たため。
いわゆるごく個人的な、小規模なカウンター・カルチャーみたいなものだと思います。ある権力が「これはだめだ。やってはいけない」とでも言うのであればまさに当該それをやってやるという機運です。
不謹慎ですが亡くなった人の本を買う、CDが売れるみたいな現象に近いと言えるのでしょうか。もうその人の造った何かしらを得る機会は永久に失われた。そんな機会損失など破壊してやる、という衝動というカウンター・カルチャーです。
しかしながら故・瀬戸内寂聴氏は林真理子に「死んだ人の本なんて一年経てば店から消える」と話したそうです。それが皮肉なのか謙遜なのかいまではうかがい知る術を持ちませんが、無常を感じます。
IZZZO
it ですが画面が暗いです。暗いところに忍び寄る恐怖を表現するためには致し方ないことであると思い、仕方なくブルーライトを享受するに至るのではありますがそれでも暗い。
そして急に明るくなるのであればこれは副交感神経の破壊に繋がりかねないため、今にして思えばこちらも途中で見るのを中止した(もちろん最後まで見るつもりです)理由でしょう。
あまりに(画面が)暗すぎて、冒頭の紙の船は病気の兄貴が弟にプレゼントしたものだという描写がぼくに伝わっていなかった。映画自体の雰囲気はそこまで暗くはないです。
紙の船を豪雨の中で水たまりに浮かべて遊んでいる子供がその船を失いかける時に、なくしたら兄貴に殺される的な旨を話します。ぼくはこれを見てよっぽどアメリカ人といいますかデリー人が集団的衝動殺人病にでも冒されているのかと思った。
画面がほぼほぼ暗くせざるを得なくなってしまう理由としては、アメリカのホラーが(あるいはスティーブン・キングのホラーが)「忍び寄る恐怖」を表現したいからであるとぼくは思います。
たぶん昔っから語られてはいることなのでしょうが、日本のホラーはホラーと言うよりかは単なる脅かしです。つまり誰もいないはずであると認識している場所からいきなり自分に危害が及ぼされたら反射神経が飛びます。
ジャンル:ホラーというよりかはジャンル:反射神経妨害とでも表現したほうが正しい。どちらが優れているかみたいなことはジャンルそのものが違うため議論しないほうが良いようにも思います。また続きを書きます。お読みくださりありがとうございました。