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ぷれすて高すぎワローティングオンマイマイン

あら、皆様ごきげんよう!今日わたくしがお話するのは、あのPlayStation5 Proがなんと12万円もの価格で新発売されるという驚きのニュースですわ!オーッホッホッホ!ゲームというメディアが、これほどまでに高額な初期投資を求めるなんて、もはや一部の富裕層の道楽と化しているのではなくて?


まずはじめに、12万円という金額について少し考えてみましょう。これ普通の家庭にとっては一体どれほどの負担になるのかしら?

そもそもゲームというのは老若男女問わず楽しめる文化の一部であり、社会的にも重要なエンターテインメントの一つですのよ。なのに、このPlayStation5 Proとやらの価格設定、完全に庶民を置き去りにしているではなくて?

PlayStation5 Proと「富裕層の道楽化」

まず価格の問題ですけれど、12万円という金額は一般家庭にとって決して軽いものではございませんわ。

これちょっと計算してみましたけれど、例えば一般的なサラリーマンの月収を30万円としますわね(いやそれでも高杉晋作wwwwwwwwww)。

そこから生活費を差し引けば、自由に使えるお金なんてほんのわずかですの。にもかかわらず、12万円を一度にポンと出せる人って、一体どれほどいるのかしら?

まるで資産運用のように、もはや「投資」扱いされているのがこの高額なゲーム機ですわ。お金持ちの方々は良いですわよ、ええ、ポンと出しても痛くも痒くもないでしょうけれど。

ですがこれでは庶民は楽しめないではなくて?お金があるかないかで、ゲームという世界への扉が閉ざされるというのは、本来のゲームのあり方に反するのではなくて?あぁ^~んもう

ここで思い出すのは、歴史的に高級嗜好品が富裕層のステータスとして機能してきた事例ですわ。

例えば高級車や宝石、あるいは高価な絵画などがございますが、それらは一部の富裕層だけが楽しめるものでしょ。

しかしゲームというメディアは違いますわ。ゲームというのは、もっと誰もが楽しめるものであり、経済的な制約を超えて、創造力や楽しみを広げるための手段であるべきですわね。オーッホッホッホ!

ゲーム文化なんて富裕層向けの「投資商品」になるのかしら?

ここでわたくしの最も気になる点、それはゲームというものが「楽しみのためのもの」から「投資商品」へと変わりつつあるのではないか、ということですわよ。

確かに近年はゲームがeスポーツやプロ大会で多額の賞金を稼ぐ手段として見られることも増えましたわね。それにゲーム内のアイテムやキャラクターがNFT(非代替性トークン)として取引されるなど、まさに「資産」としてのゲームが注目されておりますのよ。

それに加え、このPlayStation5 Proのような高価なゲーム機を購入することは一種の「資産運用」としても見なされるかもしれませんわね。

オーディオマニアやカメラ愛好家が高額な機材にお金をかけるように、ゲーマーたちもより高性能なハードウェアに投資することで、その「体験の質」を向上させようとしているのですわ。

これは一部の人々にとっては大いなる楽しみでしょうけれど、でも、誰もがその高みを目指す必要はないのではなくて?現代のマーケティングでもてはやされすぎて手垢がヤバすぎるLTVに全振りしてるだけなのではなくて?金持ってるところから搾り取るというものよ。

ここで重要なのは、あくまでゲームは「皆のためのもの」であるべきという原則ですわよ。

わたくしは決して、ゲームが高品質なものであることを否定するつもりはありません。むしろ、テクノロジーが進化し、グラフィックスや操作性が向上することは素晴らしいことですわ!

でも誰もがアクセスできない価格帯にしてしまうことで、ゲームというメディアの民主性を奪うのは問題ではなくて?オーッホッホッホ!

明日がもしあったら需要と供給についてお考えしましょうね^~


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