小ぎたない恋のはなしEx06「完膚なきまでに潰れたこの満開エステは」
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(今回はヘッダ画像をお借りしています)
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新聞などの情報発信機関としての報道メディアは権力の監視者である。だから常に要人とされる高齢者(持って回った言い方だ)の行動を逐一把握しているし、問題行動を起こせば書き記す。
書き記すとはどこに?まさに自己の出版物上にである。つまり紙面に権力者の間違い、世間からの許容範囲を越えた越権行為があった場合に報道することでそのイベントを後世に渡り残すことになる。
為政者は失脚し、俳優は役を与えられなくなる。これは下卑た週刊誌でもその機能を果たすだろうため、活字メディアの切り札、特権のようなものなのかもしれない。大貧民では2に3が勝つみたいに。
余談ではあるが殊不倫に関してコメディアンだけはイメージが崩れない場合が多いどころか、適当な謹慎して終わりみたいな扱いが許されていることが多い。
別に僕は彼らに不倫したら確実に謹慎しろとか問い詰めるつもりはないが、コメディアンという職業だけは不倫したら「不倫が確実に遂行できるほどのコミュニケーション能力」、「その胆力の深さがあるからここ一番の勝負に勝てる」、場合によっては「潔い」とか評価してくる世論を不思議に思う。
形としては子供番組にも出演する俳優が金銭を伴い異性から接待を受ける店でセクハラや暴力の限りを尽くしあらゆる媒体から降板させられたものの、あるドラマだけは別にイメージ損なわないレベルのひどい悪役だったから一切降板しなかったし、なんなら事件化してからも撮り続けたみたいな話と同じだ。
これを聞いた時は笑ってしまった。女を物扱いするようなくず野郎だけど、役柄のイメージにぴったりな上にドラマの世界観を損なわないから出演し続けていいよ、そのろくでもなさしか売りがない俳優業で金銭を稼いでいいよ、と世間が許容したのは本人が初めて自分の気質で職業を全うしたとすら言える状況だったのではないだろうか。残念なのは僕がそのドラマにも本人にも何の興味を抱かないことである。
話が明後日の方向へ進んでしまったが、これこそが監視機構としての役割が果たされている部分であり、社会の自浄作用といえる。
権力の側に対して肩を持ちたい場合、活字メディアは単なる糾弾の的でしかなくなるのだろうが、それもまた活字メディアの腐敗を防ぐための自浄作用であると言えるのかもしれない。
だから僕は別にアナログタトゥを否定したいわけじゃないのだが、世間が忘れないようにと思って、つまり良かれと思って活字メディアがアナログタトゥを乱発してしまうことを僕は良しとしない。その理由は今から話すように、しつこすぎて食傷するからである。