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小ぎたない恋のはなしEx07成果主義アドトラック

前回

今回もヘッダ画像をお借りしています。

なぜ人はアナログタトゥを残すのか。

僕の根源的な偏見に拠れば、アナログタトゥを残すのは先にも言ったように活字メディアだ。

活字メディアは監視期間だとも言った。つまり強権力への抑止力であり、抑止力が発揮されると自浄作用が起きる。とても良いことだと思う。

上記であげた強権力がどんな失態を犯したか、どれだけ自己の権限を勘違いしたか、いつまでも後世に残し続けて晒し上げる。

こういうのって別にただの記録だから、今までは(おそらく)いちいちタトゥなんてネガティブな単語は遣われなかった。いま述べたように、晒し上げみたいな言い方がかつてそれに該当しただろうか。

そう人々の活動媒体が仮想空間つまりWEB媒体へ移遷(拡大)したことにより、WEB媒体が先天的に持ちうる特質(黎明期こそ特質だったのだろうが、当該仮想空間としてのWEBを構成する物品が成り立てばそれは単なる事実でしかない。つまりWEBという仮装媒体がサーバと呼ばれるデカ目のコンピュータで繋がれてるからあたかも存在しているように見えるのであれば、コンピュータは元来記録機能が備わっているからこそ全体が機能しているのであり、そのような物品に囲まれた仮想空間で起こした行動とはすべからく記録されてしまうものである。望むと望まざるに関わらず)である記録性を享受することになった。

これにより過去に発信した重要なことがいつでも見返せるようになり、ビジネス的には功を奏す。逆に過去に何かしら人を傷つけたりなにかに迷惑をかけたのであれば、多分その記録はどうやっても消えなくなる。後者のこれがデジタルタトゥと言える。

どうやっても消えなくなるのはなぜか。記録は自分のコンピュータ上だけに残るわけではないからである。だけというか、なにかしでかした場合それは当該サービスを提供する企業の自社サーバなり、当該企業が間借りしているレンタルサーバ内に残っているから、こっちが消せと言ったところで「そのサーバに何かしらの記録を残す行為」こそが当該サービスを利用し始めるときに約款なんかに書いてあるサービス内容であるため、多分それに同意してしまったのであれば消す権利など持てぬ。

ただ、いくらなんでも自分の行動記録を一度書いたら絶対に消せなくしてしまうようなダークパターンマーケティングはすべきじゃないし、そういった非ユーザライクなサービスは求められない、淘汰されて然るべき社会へと変遷していっているから、世間で多く利用されているSNSは自分の投稿が消せるし、何なら一度書いたものを書き換えたりできるようになりつつすらある。

でも何を書いて消しても第三者が記録していたら終わりだ。


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中村風景
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