女の嫌なところ2(終わらない週末)
終わらない週末という映画を見たが期待値アゲすぎてそぐわなかったお話の続きです。ヘッダ画像をお借りしています。
事前にジョーカー、ドラゴン・タトゥーの女、サブウェイ123激突とかすげーいい映画を見てしまってたのも良くなかったのかもしれない。
イーサンといえばトレーニングデイだと述べましたが、これも事前期待値爆上げに一役買っている。あの狂気じみたデンゼル・ワシントンに振り回されるだけ振り回される若き日のイーサンの困り眉が印象的だったが、その困り眉は演技とかじゃなくて地のものなのかよ!!と言ってしまうほどに終わらない週末のイーサンは困り眉しっぱなしである。
またイーサンの大学教授?准教授?という役柄(つまり、異様に知識は持っているよという舞台装置の役割について。あとあとマハーシャラ・アリのほうがクリティカルな知識を持っていることが明らかになり、なんかもう……なんだよ)も何らかのこの人たちの行動に対する説得性といいますか裏付けのために存在するだけであり、途中の道にいた謎の言語を話しているエブリシングエブリウェアオールアットワンスの主役みてえな女の人とうまく対話することができずまんまと見殺しにするぐらいしか見せ場がない。言ってて驚く。
たまたまエブリシングエブリウェアオールアットワンスがでてきたのでついでに言うとなんかこの「終わらない週末」が何故終わらないのか、どこが異変で変なことなのか、みたいなことをいちいち教えてくれようとしているのか、「Day1:異変」みたいに映画が段落で区切られている。エブリシングエブリウェア~と似てますね。でもそれだけ。その異変が何を意味しているのかとか、どのように異変なのかは教えてくれない……
そして話を戻してイーサンについて、こんな「いい人」という舞台装置だけでほっといてやりゃいいのに、さらに!!!マハーシャラ・アリの娘がジュリアのヒステリックをより効果的に引き出すための舞台装置となっており、それだけに飽き足らずこのイーサンをして「あたしとやりたがってるキモ男」という判定を下しさえする。
つまりこの映画に出てくる「性別:女」とは見事に非常事態下の状況をさらに面倒にする役割を持つ生き物、として徹底的に描写されているのだ。
つまりこの映画には、いずれ「女の人上位の世界」が来た時に、こういうことも起こり得まっせ?無事でっか?ほれほれ~~~???という注意喚起を男社会側に甘んじている何らかの存在が喚起している、という役回りが先程の「どんな映画にも教訓がある」という考えに基づけばあるのかもしれない。
もちろんこれはぼくが普段からこのようなことを考えているとかではなく、この無為な映画からなんらかの「学び」があるとしたらなんだろう、と半ば強迫的に考えた結果想像された答えであるため、なんか怒らないでいただきたい。
明日はこの映画からいいところを探したりしましょう。