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桜が悲しい時

まるで何の価値もないような咲き方をしている桜がある。ヘッダ画像をお借りしています。

#桜前線レポート

お借りした写真のように花は床に落ちても価値があると思うんだけど、その桜は高い鉄道の脇に生えていて一般人は鑑賞不可能です。

周りは国道になんとしても出てやろうという39-ナンバーの大型特殊が公然と信号無視をして突き進む。30-もそうだろうか。仮に高所へ桜が咲いていなかったとしても、平地に植えられていたとしても刑法が守れない連中が闊歩する場所に咲いた花にどんな価値があるだろうか?

そして、果たして恐ろしい高所にある花は地上へ降り落ちてくる。すなわち人々が住む縁側だったり畑だったりするだろう。

宅地の人からすればもはや風流なのかも知れないけど、畑の持ち主からするとどうでしょう。一生懸命町の人々のために野菜を植えては水やって出荷してんのに、上空から一方的に花弁が捨てられてくる。

花弁も肥料になるんなら別にいいかも知れないし、花弁混じりの土にすら風流が見い出せるならもはやぼくが話していることが越権行為なのかも知れないけど、自然から廃棄物を落とされた畑、刑法も守れない連中が吹き付ける排気ガスにさらされた畑を所有する人の気持ちはどんなんだろう。

そしてもはや桜とは人間のエンターテインメント目的でのみ存在し、群生させられる植物として代表的なため自らの意思でそこに咲いているとは言い難い。つまりそんな高所に置かれた桜は当時鉄道を完成させた電鉄会社の取締役によるエゴを満たすためだけの存在であり、現在に生きる誰もがそこに桜が咲いている恩恵を受けていないことがわかる。

桜の色も周りのコンクリートや金属構造に捕らわれて、黒ずんだ白に見える。その色で咲いている意味はそこにあるんだろうか?曇天であれば雨により多くの花弁が撒き散らされ、また真っ茶色の木に戻り1年を過ごすだけだ。

そんな人生(桜にだって人生がある)は、実在の有名人などの名前をそのままハンドルネームとして盗用する一般人のような人生とどう違うのだろうか。

ぼくらは1年に一度だけ限定された期間しか閲覧されない植物を介して、自分の生きざまを見直さないといけないのだろうか。

自分の楽しみのためだけに植生を一方的にコントロールして、悦に入る行為に救いはあるのだろうか。そしてまた一方的に植生を憐れむこの心自体がエゴまみれなのではないだろうか?今日も散っていった花は何も答えてはくれない。

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中村風景
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