キャプテン・フィリップスとハドソン川の奇跡のトムハン
昨日に引き続きキャプテン・フィリップスについて。別に昨日を読んでないと意味不明みたいなことはないですが、無理に読む必要なんてない。ヘッダ画像をお借りしています。
これは演劇だから実際には相手が襲ってこないというのは織り込み済みだからトムハンだってあのような果敢な演技ができるのだろうし、これは内容ばれを絶対に知らないようにしようとしているぼくが受けてしまったばれなんだけど、最後の10分間に論点があると。
論点と言いますか、評価すべきポイントがあるらしいということを事前に知っちまっていた。ウィキペかなんかでその字が目に入っちゃったんですね。クライマックスの10分間が~~~的な
そこを抽出してばれないように気を使って話すと、同じ危機的状況映画でもハドソン川の奇跡……?でしたっけ?あれとはなにかこう違うんだなあと。でも同時にトムハンにいま求められてるのってああいうピンチに直面する大人っていう役割なんだなっていうのが伝わってきます。タンカーの船長として原住民みたいな人たちが襲いかかってくる。タンカー内の人々を助ける。飛行機の車掌として堕ち始めた飛行機をコントロールして人々を助ける。
えぎいのは前者タンカーでは自分だけが犠牲になることで大勢から感謝される「羽目」になったこと、後者では選りすぐりの起点を効かせて自分含め大多数の命を掬ったのに何だか知らねえがクソ見てえな権威組織からやり玉に挙げられそうになったこと、という違いがある部分ですね。
ここを切り取ると、似てんなと思って挙げた2つの映画でありながら、180° ……いや120°ぐらい違う内容、つまりまるっきり温度感が違う映画だったんじゃないかこれはと思わされる。ハドソン川の奇跡では犯罪者になるところだった。あまりにも現実はクソですね。
タンカーではトムハンが恐ろしくひどい目にあってるから許される。といいますか……これも実際にあった話だってことで、やれ軍隊に迎撃を頼んだのにハイハイ厳戒態勢ね、みたいな流され方をされてたっぽかったところ。もう少し軍隊を罰する内容でも良かったんじゃないか。だって人の金で造った軍を擁してる国の映画なんでしょ。
それをして現実のフィリップスは別にできた人じゃなかったみたいな言い分が後の船員からのインタビューとかであったそうだが、そりゃそうでしょう。トムハンがやってんのは演劇であり、相手が実際に俺を殺さないから最低保証どころか最大限の演劇ができるわけであり、その最後の10分間が映画史に残る劇的な印象だったとしてもそれは……トムハンの地(じ)である。いや、褒めてますよトムハンのことは
同じ飛行機でもフライトではデンゼルが歴史に名を刻むべきクソ野郎だった(もちろんデンゼル・ワシントンをぼくは好きだということを過去の当ページの文献から読み取っていただければ幸いだ)。求められるものが違うとこうまで違う映画になるのか……いや、そうじゃなければ映画なんて何の面白みもないと言われてしまえばそれまでなんだけど。