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春の星に生まれたBIRD

ROSSOの1stEPは春にリリースされている。ヘッダ画像をお借りしています。

つまりあのめちゃくちゃ重い惑星にエスカレータとか爽やか極まりないシャロンを、季節が新しくなり人流も入れ替わり、これまで使っていた場所とかが合法的に使えなくなった頃とかに聴くことになったわけです。

合法的に使えなくなる場所とは、つまり学校なりそれに準ずるところだ。転職する人なら今までいたオフィスとか事務所もそうだろう。

今の季節がそれということもあり、ぼくはどうしても新しい環境に無理やり入れ替えられてしまう人々を思わずにはいられなかった。

冬季の活動について。冬という季節が本来、生物にとって休息を意味する時期である。特に、人間が冬に活発に活動することの不自然さ、社会の構造的な問題として時間に縛られる現代の生活スタイルが無茶

↑ の文は

  • 冬の活動性についての疑問: 冬に活動的であることの合理性に疑問を投げかけ、冬は生物学的に休息すべき時期である

  • 東洋医学の視点: 冬における生殖活動の自制を含む、東洋医学の教えが冬の休息を支持する根拠

  • 社会的圧力と時間至上主義の批判: 現代社会が時間を重視しすぎることで、人々が無理なスケジュールに追われる。特に満員電車での通勤や過密スケジュールは、人々の健康や福祉を脅かす

  • 冬の行動に対する提案: より実行可能な解決策としてリモートワークやベーシックインカムの導入がある、これにより冬の休息が現実的に実現可能

最終的な考察

私たちが受け入れている社会規範に疑問を持つべき。季節に合わせた生活リズムの重要性を訴えることで、より健康で持続可能な社会構造へ転換する。この視点から、働き方改革や福祉政策に新たなアプローチができる

だから斯様な文を書いたわけでしょう。季節が変わるだけで、といいますか3月が終わるだけで……なぜこんなにも何かを変えなければならない?どうやらぼくは極端なホメオスタシス感染者らしい。極端で濃厚な。

でもそれまでの自分のルーティンが無理やり変えさせられて、着たくもないフォーマルを着せられて、やりたくもない眼の前の(雇用契約をしたとはいえ一方的に与えられた)雑務に生きがいを見いださねばならなくなり、さらにその延長としてその雑務を休みなく(大学が終わるだけで夏休みとか冬休みがなくなるのはなぜだ?)続けたところに夫なり妻を見つけ、その間に生まれた新しい命を大人になるまで20年ぐらい見守る生きざまが義務付けられることになる。

そんな中で今まで好きだったテレビ・ラジオ・実況・漫画でもなんでもいいのだが、それらを懸命に追い続けられなくなるんじゃないだろうか。それまでの自分の価値観、自分そのものを形成していたそれら文化ともう触れ合うどころか一方的に聴取するぐらいすらできなくなるほどずたぼろになって家に帰ってくる。

企業と雇用契約を結び、社会にコミットしたからといってそのような人生に生きがいを見い出せというのなら、いくらなんでも虫が良すぎる話なのではないだろうか?

自分がいなくても当該メディアは盛り上がりに盛り上がっている。そりゃそうですね。当該メディアだって新卒を迎えたり、その新卒のために社内のエコシステムレベルでフル交換するぐらいの体制を既存社員も強いられて、じゃあってんでもう半ばやけくそ的にサービス内キャンペーンとかも始めまくって、別に変化を伴わない大学2年生だの高校2年生だの……(以下続刊)は大いに盛り上がることでしょう。

シャロンはそんな時期にリリースされた。つまり……すべてが新しくなった世界に突然現れた冬の星である。冬の星の歌を春にリリースするのか、とかいう向きがあるかもしれないが、いくらなんでもレコーディングにかかる時間を考えて欲しい。

少なく見積もっても一年ぐらい前からROSSOがスタートしていたはずである。なんていったって照井にとってその一年前は丸ごとBLANKEY JET CITYではなかったのだから。続く

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