滑空
ヘッダ写真をお借りしています。
ぼくはアートにさっぱり詳しくないのですが、どれぐらい詳しくない……といいますか門外漢かと言えばそのアートを指す作ひ……さ、さく……作…ひ………んという単語を口に出すのが恥ずかしい程度に門外漢です。
単に語感が気持ち悪いというのもありますが、薄っぺらすぎる単語であると思っている。だって文も歌も絵もなんでもまるごとそう言いかえられてしまうから。あまりに都合が良すぎる単語である。だからせめてリザルトとか成果物とか言いたい。便宜上アートとか言う他なさそうですね。
だから日頃から能動的にアートになんて触れないんですが、観ている番組としてTHE ART HOUSE~そのアートは100年後に残せるか~があります。
【アーティスト:吉野もも 前半】今の時代を生きる我々には、100年後の文化を作っていく使命がある…。アート作品を買うことは、その作家の暮らしを支え、新たな作品を生み、その作家の作品を未来に残すことにつながる。それは、未来の文化を作る行為。アート界の5人のスペシャリストの目線、コレクターの目線を通して、アーティストの個性や内面にあるもの、その作品の意味をみつめる!世界が注目する“現代アート”の魅力・真髄とは?▽折り紙を描く錯視画
今回対象となったのは吉野ももさんという人(以下敬称略)。なぜ観ているかといえばぼくはドキュメンタリーが何故か好きであり、その一片をこの番組から感じ取ったためでした。このため番組内のマネーの虎部分は別になくてもいいと思う。
対象、という表現をしましたがこのおテレビでは何かしらのリザルトを創っている人にスポットを当てるわけではないためでした。何度か観た結果、何らかの芸を能する人を中心にするんじゃなくて、その何らかの芸を能する人が造った成果物を買おうかな♥どうしよかな♥みたいに悩んでいる人がいて、その道のプロフェッショナルたちに意見を乞うという番組構成になっている。今言ったマネーの虎部分ですね。
ぼくはアートに詳しくないためアートを買おうなんてなれば恐ろしい額の動きがあると思っています。このため上記買おうかな♥と悩んでいる人はおそらく相当数の金を有していなければならないはず。だから素人にして相当お金持ってまっせ、な人が主役となる、リスクたっぷりの番組です。顔隠してあげれば良いのにと思うけど、前衛芸術を買う自分を観て!的な承認欲とかも満たすためにこの番組は存在しているのかも知れない。
でアートに詳しくないながらも書こうと思ったのはぼくが決して吉野のリザルトに悪い気持ちを抱かなかったためでもある。やっていることは浅学なぼくの身からすればトリックアートとか目の錯覚を利用した成果物をリリースすることであるように見える。しかしながら流石にトリックアートとか言われたくはない感じがするな、と思っていたら本人も確かにそう言われることはあるけど、自分ではその位置には置いていないという話し方をしていた。ここってすごい好感を抱くべき部分であるとぼくは思います。
だってこういうの造ってる人って、第三者からの「思われ方」も含めて成果物の成果物性に影響を及ぼすと考え、いわば自分が造った成果物のプロデューサー的立場から「これはトリックアートみたいな低俗(トリックアートが低俗かどうかが言いたいわけではなく、そういう人はそういうことを言うんじゃないか、の比喩のために書いています)なものではない、そのように呼称することは俺の名義において許さん」とか言ったっておかしくはないし、そのへんのシステムはよくわかりませんが多分本人がそう言えば周りは合わせるしかないでしょう。つまりトリックアートと呼ばれたくないと本人が要求すれば、絶対にそうは言われなくなる。強権を奮った言論弾圧といえばそうかも知れませんね。
吉野にはそれがなかった。そんな「世の中との対話性」を持ち得た人がこういうものを創っているという印象をぼくはあまりにも持っていなかったのかも知れない。つまりぼくがステレオタイプ過ぎたということです。
番組が前後編に分かれているのでこの文も前後編に分けましょう。現段階で番組の前半はまだ見れます。