ジョージア州について語る時にぼくが思うこと
それはPlaying For Changeの歌です。ヘッダ画像をお借りしています。
Playing For Change
Playing For Changeとはなにか。ぼくもよく解っていませんが巨大なチャリティ的イベだと推察できる。欧米にはそのようなプロジェクトが多いし、Playing for CHANGEの面子を見ても世界中の人々が参画してるから世界規模のプロジェクトなのだろうと推察できる。
(Sittin' on) The Dock of the Bay
Playing for CHANGEには(Sittin' on) The Dock of the Bayという歌があります。
この歌は単純にいい歌で、ぼくがこの歌を知ったのはCMでした。そしてボーカルとして大柄な牧場主みたいなおっちゃんがゴスペルの効いた声で歌っているのがやたら似合うと思ってました。
するとのちにYouTubeとかで(Sittin' on) The Dock of the BayのPVをたまたま見つけ、ボーカルは1人ではなかったと分かる。上記PVの止め絵でも使われていますがアコギ持って一人で唄う黒人がまずいる。
この歌が使われていたCMは、実は2番だけを、それも尺の都合で2番の冒頭だけ使っており、なんとなく(Sittin' on) The Dock of the Bayは昔の歌だったと知る。
RCサクセションが雨上がりの夜空にを歌い、それが忘れられた世代が登場した後年に忌野清志郎の歌だと思われるようなものかもしれない。ぼくも実際、忌野清志郎の逝去に伴う2009年頃までそう思っていた。
Roger Ridley
果たしてツインボーカルだった(Sittin' on) The Dock of the Bayを聴いていると、前述のように序盤は1人の黒人が歌っていることがわかる。Roger Ridleyという人だった。既に逝去している。
今日私達のヒーローであり、魂の兄弟ともなっているロジャーリドレーとグランパ・エリオットが、世界を巡る新曲、私達の新しい「PFC2アルバム」の目玉である「港の桟橋に腰掛けて」のために戻って来てくれました!私はかつてロジャーに、なぜ彼のような力強い歌声を持ちながら路上で歌っているのか尋ねてみたことがあります。彼は「自分は楽しい仕事をしている。人々と一緒にいるために路上に来るのさ。」と答えました。ロジャーとグランパ・エリオットは百万の人々から人生の喜びを得ていたのです。そして今日、我々はまた、彼らの再会という光栄に浴することができます。私達を喜びに輝かせるロジャーの光は、太陽のように眩しく光っています。(公式PV概要より引用)
彼が元々この歌を唄う人であり、PVに出ているということはplaying for changeにも参画しているんだろうなという雰囲気を当然感じ取れる。と思ったら元歌はさらに違う人だった。
ロジャーはストリートパフォーマー(演奏者)であり、その卓越したボーカルが見初められ、Playing for Changeを象徴する第一のボーカリストに選ばれた。
ぼくは歌にジャンルという足枷を与えることについてアホらしく思っており、大体の歌はロックなりポップスの文脈で語れるだろうと見栄を切っています。
つまり(Sittin' on) The Dock of the Bayもそう。フォークとかカントリーとかに区別するとかはどうでも良く、ボーカルの声を聴いていれば恐ろしいまでに鍛え抜かれたロックであることが見て取れる。
そこで彼は「かつて俺はジョージアに住んでたけど、思い切って別のところに行ったんだ」みたいなことを歌う。ここではっきりとジョージアという言葉が聴こえて、ああ(Sittin' on) The Dock of the Bayはジョージアについて歌われているのだ、とこの歌を知ったばかりの頃のぼくの心には刻まれることとなった。
ロジャーの実力
実際はジョージアから(外に)出た歌なので、主眼はジョージアじゃないと言えるかもしれない。
けど「ジョージアにいた」ということが繰り返し歌われるので、ジョージアについてかなり視聴者の心には残るはずだと、翻訳機能が充実した頃に改めて(Sittin' on) The Dock of the BayのPVを見返したぼくは思う。
ボーカルの収録は、このヴィデオの通りに世界各国でされたのだと思える。みんな外で演奏して直撮りしている。まだ楽器が入らないワンフレーズ目を歌う時、もしかしたらこの演奏がplaying for changeの企画であるみたいな周知が現地でされていたのかも知れない。あらかじめ人だかりがあるからです。もちろんロジャーの知名度がぼくなんかの想像を軽く超えているだけかも知れないし、そうであって欲しい。あのロジャーが唄うなら用事に行く足を止めて俺は見るよ、と。
そして、ロジャーが歌っていると小さな子供や大人がお布施を入れに来る。多分バックとかにあなたのお布施が寄付金になるよ、みたいなことが書かれていたのだろう。
するとボーカルの主旋律をきちんとなぞりギターを的確に演奏しながら、そのお布施した人々に対してロジャーから「thank you」と声がかかる。
ボーカルの本人が言っているわけです。つまり歌のフレーズの切れ目を狙って、息継ぎのように上手く「Thank you」と言っているわけです。それがそのまま収録されている。
だからPVを見ないでこの歌の音源を聞いたら、ネイティブ・アメリカンはなんのこっちゃと思うのかもしれない。ところどころ言っているThank youとは一体なんだろう?と。
結局はなにもない
(Sittin' on) The Dock of the Bayは桟橋に腰掛けるという和訳があります。ジョージアから出てきたけど、結局座ってるしか俺には脳がないと言っていると捉えることもできる(もちろん他の捉え方もできるだろう)。
ロジャーが歌っているのはサンタモニカです。西側のカリフォルニア州だから、極東のジョージアとめちゃくちゃ離れてますね。どっちかというと(Sittin' on) The Dock of the Bayで目指したフリスコ(サンフランシスコ)に近い。
つまり「俺は憧れのサンフランシスコに着いた」けど、結局何もしないで港に座って一日を過ごしているだけなんだ、折角ジョージアから来たんだけど、なんたって俺の故郷はジョージアなんだぜと繰り返しこちら側に伝えてくるだけの歌なわけです。こんな素晴らしいことはない。
生きがいなんてなにもない男が憧れの土地に着いた、けど思い出すのは(思い出すとは歌われてないけど)自分の故郷がジョージアであるということばかりだった。だから(Sittin' on) The Dock of the Bayを聴いたリスナーにはジョージアが相当きらきら輝いて見えるんじゃないだろうか?
ぼくには愛国心みたいなもののかけらもないのであまりこういうことは言いたくないんだけど、このロジャーとエリオットが主旋律を歌っている完璧な歌のバックグラウンド演奏に日本人が関わっていることを微笑ましく思う。誇りに思う、と言ってしまうと大げさだからこの形にしたい。
ぼくは歌の歌詞なんて、恋愛についてさえ歌われていなければなんだっていい。詩よりも歌、つまり旋律を造るほうが大変だからです。詩はあとから、歌のメロディが呼ぶ言葉を当てはめればいいだけであって実際ぼくはそのように歌を創って来ました。
そう思っている者が素晴らしいと思えるジョージアについての歌なわけでして、知らない土地について憧れを抱く時の動機なんてこの程度で良いように思う。