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日の名残りと8 Mileを連続して観るとこうなれ

映画『8 Mile』を観たとき、その登場人物たちの中途半端さに苛立ちを覚えた。ヘッダ画像をお有りしています。


彼らは何かを成し遂げたいという願望を持ちながらも行動が伴わず、目標に向かって突き進むことができない。物語は勧善懲悪の構図が明確でなく、結末も発展性に欠けるように感じられた。

しかし、この映画を通じて自分自身の在り方を見つめ直す機会を得たことも事実である。特に、これまでラッパーでありながらエミネムの曲をまともに聴いたことがなかった自分が、テーマ曲である「Lose Yourself」を覚えて歌えるようになりたいと思ったのは大きな変化だった。Eminemといえばこの歌しか聴いたことがなかったし、題名も知らなかったし、いつ頃の歌なのか知らなかったので、まさか映画デビューした歌で使われていたとは知らなかった。見る前も見終わってからも一切Eminemに対する印象は変わらなかったので、このあと相当天狗になったんじゃないだろうか?と思うのみだった。

登場人物たちの中途半端さと観る者の苛立ち

『8 Mile』の舞台はデトロイトの貧困地区であり、主人公ジミー・"B-Rabbit"・スミス・ジュニアは成功を夢見るラッパーである。しかし、彼を取り巻く友人や家族、恋人たちは皆、何かしらの問題を抱え、自己実現への道を妨げている。

彼女たちの行動は一貫性に欠け、時に自己破壊的でさえある。直前に見た日の名残りに出てきたケントンさんを思い起こさせるような絵に書いたような「ヒステリー女像」みたいなものが男女問わず発揮され、なぜケントンさんにさえステレオタイプな女の人の"ダメ像"を押し付けるのだろうか。完璧な使用人であるアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンの安っぽい対比に終始してしまうんだろうか?いくら1995年ぐらいの映画だからってそんな男尊女卑を助長するようなテーマにしちゃうかな?とか思った。いしぐろかずおがそのような人だったとは思わないので、ぼくがテーマを読み取れていないのだろう。このようなキャラクターたちに対し、観客としてはフラストレーションを感じざるを得ない。

心理学の視点から見ると、これはセルフ・ハンディキャッピングの典型例である。人は失敗の可能性があるとき、自ら障害を作り出すことで失敗の責任を外部に転嫁しようとする。この行動は一時的な安心感をもたらすが、長期的には自己成長を阻害する。

勧善懲悪の不在と物語の曖昧さ

物語の中で明確な善悪の対立が描かれていない点も、観客を混乱させる要因となっている。

主人公であるジミー自身も完璧なヒーローではなく、欠点や弱さを持つ等身大の人間として描かれている。これは現実の複雑さを反映しているが、物語としてのカタルシスを求める者にとっては物足りなさを感じる。

文学の観点から言えばこのような手法はリアリズムの一種であり、理想化された世界ではなく現実の厳しさを伝えることを目的としている。しかしエンターテインメント性を重視する観客にとっては、その意図が伝わりにくい。

発展性のない結末と人生の停滞感

映画の結末はジミーがラップで勝利つものの、その先の未来が明確に示されないまま終わる。このオープンエンドな結末は、彼の人生がまだ道半ばであることを示唆している。しかし、観客としては達成感や希望を感じにくく、むしろ停滞感が残る。

社会学的には構造的な貧困社会的流動性の欠如を表していると理解できる。個人の努力だけでは越えられない壁が存在し、それが人々の希望を奪っている現実が浮き彫りにされている。

「Lose Yourself」と自己認識の変化

この映画を観たことで、ぼくは自分自身がラッパーでありながらエミネムの曲を真剣に聴いてこなかったことに気づいた。特に「Lose Yourself」は、彼の代表であり、多くの人々に影響を与えている。のだろう。それすらよく知らない。そこで、この歌を覚えて歌えるようになろうと思った。

自分自身の認識や行動を客観的に見つめ直し、改善点を見つけようとしたのだろうか。映画を通じて自分の欠点や未熟さを認識し、それを克服しようとする意欲が芽生えたのだろうか。

心理学的動機づけと自己効力感

ジミーの物語は、自己効力感の形成とそれに伴う動機づけの変化を描いている。バンデューラの自己効力感理論によれば、人は自分が成功できると信じることで困難に立ち向かう意欲を持つ。ジミーはラップバトルでの成功を通じて自己効力感を高めていくが、その過程は順風満帆ではない。

社会学的階層と機会の不平等

映画は、経済的困難や人種間の緊張が渦巻くデトロイトの社会状況を背景にしている。これは社会的排除機会の不平等といった問題を浮き彫りにしている。ジミーの苦悩は個人の問題だけでなく、社会構造の問題でもある。

文化人類学的ヒップホップ文化の意義

ヒップホップは、社会的・経済的に疎外された人々の自己表現の手段として発展してきた。映画はその文化的背景を描き出し、音楽が持つ力を示している。エミネム自身も、その文化の中から世界的なアーティストへと成長した人物である。

映画から得た教訓と自己変革の可能性

『8 Mile』は一見すると発展性のない物語に見えるかもしれない。しかし、その中には現代社会が抱える問題や、個人が乗り越えるべき壁が描かれている。登場人物たちの中途半端さや葛藤は、ぼくら自身の姿を映し出しているのかもしれない。

この映画をきっかけに自分自身を見つめ直し、新たな挑戦を始めることができた。それは「Lose Yourself」を通じて具体化された行動だった。

哲学的視点で言えば、これは実存主義のテーマと通じる。自分の存在意義を問い、行動を通じてそれを見出すプロセスである。

映画が示唆するのは、どんなに環境が厳しくても自分自身の可能性を信じて行動することの大切さらしい。それは中途半端な状態から抜け出し、自己実現へと向かう力となる。

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