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太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第39.7話 早すぎるPDCAは身を滅ぼす

高校デビューとか大学デビューみたいな言葉と俺は縁がない。デビューしようとする舞台が別にそこにはないからだ。

デビューしたことで形成される新しいコミュニティもどこにもないからだ。

だが、別に女も男も問わずにそのような馴れ合いはあるだろうと俺は思う。俺が運良くそういう乗りに巡り合わなかっただけで、きちんとそこかしこにあるはずだ。

俺がいる新聞部崩れみたいなクラブがまともに進行する部だったら、浅荷みたいにバレー部だったら。そこにはいわゆる謎の「舐められないように感」みたいなものがあったんじゃないだろうか。俺は周りが勝手に舐めてくればいい。

高校デビューも大学デビューも───俺が大学などという学府に足を踏み入れたことすらないからなおさら──どのようにすべきかなんてわかりゃしない。だってその時たまたまその場に居合わせた「自分の群れ候補」となる連中から、一緒にいるべきだと思われるような振る舞いをそのデビュー時とやらにしないといけないわけだろう?

高校だったら3年間、大学だったらもっと長い間のデビュー時の面持ちを保たねばならない。となると自分のナチュラルに則さない生き方をしてしまったらアウトだ。自然体じゃなければぼろが出るっていうか、自分じゃない何かを演じてしまったら、あるいはなんらかの虚勢を張って生きてしまえば、無理がたたってストレスで死んでしまうんじゃないだろうか。

デビューという単語は俺には重く感じられる。デビューということはつまり極端なスタートダッシュを切らなければならない。つまりすべてをリードしていく。リーダーになるのだ。

リーダーシップを得ることはおそらく社会の人になるために必要なのだろう。俺にはまっったく必要ないのだが。

「リーダーシップを得るための性格」とはおそらく相当の付け焼き刃に……ならざるを得ないだろう。自分じゃない自分を駆る能力が問われるわけだ。止まっている場合じゃない。自分というじゃじゃ馬を乗りこなす……

多分どんな貪欲な女でも男でも、見せかけだけは威勢よくても内心止まってしまうだろう。いちいち立ち止まってしまうだろう。おそらくそうなんだろうな、という人々を俺は目にして来、その都度見て見ぬ振りをしてきた気がする。

今のあたし、今の俺本当に正しいことしてるのか?と。おそらく正しいと思えないのだ。あまりに通常の自分とかけ離れたことをしているから。

自分の個性を自由にそのまま解放してやれてる自信がない。だからさっさと立ち止まってしまっているのだろう。立ち止まるとは考え直すことだ。デビューの方法を変える。リードの仕方を変える。自分という馬の手綱の握り方を考え直す。でも……

「なんであたしもあんたがこんなとこにいるなんて思えたんだろうなぁ」

浅荷を見てると、いちいち止まってないで進んでる内に自分に合う空気のかたちがわかってくるような気がしてくる。


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中村風景
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