見出し画像

ルーガルー人狼を探せのかんそう3

本来なら、世代間の価値観の違いっていうのはもっと複雑で多層的なもののはずだ。

若い世代が持っている価値観は単なる「新しいもの」ではないし古い世代の価値観がすべて無意味になったわけでもない。Z世代が人前で褒められるのを嫌がるのは出世を望んでないからではなく、SNSと同じく公開やっかみの恐ろしさを知っているからだ。だから人前で無神経に褒め倒す、叱り散らす上司とはそれだけで無価値だ。

それぞれの世代が異なる社会的背景や経験から価値観を持っている以上、単純に「新しい」か「古い」かで割り切れるものではない。にもかかわらず、この映画は「古い」対「新しい」という単純な対立構造にしてしまっているから、結局どのキャラクターも薄っぺらく、無味乾燥な存在に見えてしまうのだろう。

そもそもこれ系のテーマを真正面から扱うには、もっとキャラクターの内面を掘り下げる必要がある。どの登場人も、もっと複雑な感情を抱えているはずで、世代間の違いに対しても単なる対立ではない様々な視点があるだろう。

例えばジャン・レノが演じる痴呆の男が、家族の間でどういう存在であるのか、彼の過去の生き方や家族との関係がどのように形作られてきたのかをもっと見せてくれれば、ただの「古い世代」の象徴ではなくなるはずだ。そうすれば「世代間ギャップ」も単なる価値観の衝突ではなく、もっと人間的なドラマとして浮かび上がってくるのではないか?

この映画の大きな問題は、物語の展開に対してもキャラクターの行動に対しても、すべてが「わかりやすく」作られすぎているところだ。観客が何かを考える余地がないままに、ただ「世代間の断絶」や「フェミニズム」を演出として強調されると、どうしても安っぽさが際立つ。結果、映画のメッセージ性は失われ、ただの「よくある題材」に落ち着いてしまう。

この映画がテーマに掲げる「世代間ギャップ」や「価値観の対立」は、あまりに表層的な処理によって、観客に対する説得力を失っている。もっと深いところで人間の感情や経験を掘り下げることができれば、世代の違いが単なる衝突ではなく「受け入れることの難しさ」や「それでも共存しようとする葛藤」として描かれただろう。しかしこの映画は、その複雑さを一切描こうとせず、ステレオタイプや象徴的なシーンに依存し、結果として何も響かない作品になっている。

残りの半分見終わってないから全部覆されるのかも知れないけど。

いいなと思ったら応援しよう!

中村風景
このサイト内ではいかなる場合でも返信行為をしていません。

この記事が参加している募集