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【DAY8】仕事のストレスについて(前編として)

【DAY3】の記事の最後でちょっとだけ予告した仕事のストレスについて、今日は少し書いておきたいと思います。
妻は妻で、仕事はもちろん、いろいろなストレスとは闘ってきたと思いますが(主には人間関係ですかね)それはおいおい妻が開示してくれるかもしれません。

1年365日中360日勤務

最初の紹介記事にこんなことを書きました。

冗談抜きに、1年365日中360日くらい働いてた時期もありました。一応土日休みってことになってる会社でしたが、土日もお構いなしに出社…、というか泊まり仕事で帰らない日もたびたび(笑)。もちろん若い頃の話ですが…。

もちろん、ずっと…とか、何年も続けて…、というわけではありませんが(若いとはいえ死んでしまいますんで)こんな時期があったことは事実です。家族(母親)から受けるストレスがあったため、「あんまし家に帰りたくない」という思いもありましたが…。

若い頃に勤めてた会社のこと

その会社は、東京の水道橋というところにありました。
広告制作などもやってましたが、基本的には販売促進の会社でした。こんなもんやりません? と、企画を出して、通ったらいろいろな制作物をつくったりイベントやったりして儲ける的な仕事ですね。
小さい会社でひとりひとりのやることが多く、就職した最初のうちは、のんびりとはやってましたが、次第にどんどん忙しくなっていきました。

就職する前、通ってた大学は、2浪して入ったところでしたが、2年でやめました。
在学中はバイトに明けくれてまして、その頃、注目があたりはじめたコピーライターの仕事に興味を持ち、宣伝会議という出版社が運営してた「コピーライター養成講座」や、マドラ出版というところが運営してた「広告学校」を出て、宣伝会議にあった求人票を見て就職しました。
コピーライターの学校を出たくらいなので、当然コピーライターとして就職したわけですが、次第にデザイナーもやるようになり、ディレクターやったり、しまいにはプロデューサー仕事もやってました。

やることが多くなったら、当然忙しくはなりますね。今から思えば、ひどい労働環境というか、残業残業でいったい何時間残業してるのか、という感じ。残業手当とか休日出勤手当とか、そんなもんもありませんでした。
バブル期に入ってましたから、給与は割とよかったと思いますが、普段の残業手当、休日出勤手当が出ない代わりに、賞与で相応に還元してもらうという感じだったと記憶してます。

稼いだものは、ストレス解消のための食べ物、外食なんかにどんどん変わっていった気がしますね(笑)。

サウナに住み着いてた時期もありますね

家に帰らず、どこにいたのか?
会社で徹夜仕事をしてたこともたびたびでしたが、それ以外はだいたい近所のサウナにいました。
カプセルホテルと一緒になってるサウナでしたが、時間があるときはカプセルに泊まり、ないときはサウナで仮眠。そこでもいろんなもんを食べてました。私はお酒にほとんど関心がないし、飲まないので、もっぱら食べてました。

サウナと言っても、サウナそのものはそんなに好きじゃないので、主に風呂に入ってましたが、風呂入って、メシ食って、ちょっと寝て、また風呂入って、またメシ食って、またちょっと寝て、で、起きて出社。そんなパターンが多かったですね。ろくなもんじゃない‼️ 太るはずですね(笑)。

で、バブル崩壊へ…

バブル崩壊で、仕事はどんどんなくなりました。けど、忙しいのはあまり変わりませんでしたね。仕事を作るための仕事ですね。
そのうちボーナスはなくなり、給与は激減。同僚は給与が半分以下になった人もいました。辞めろ、と言わんばかりの扱い。そんな会社で仕事を続ける意味はまったくないので、さっさとやめました。

取引のあった外注先の会社の代表から「あんたがやめたら、あの会社、すぐ潰れるよ(笑)」と冗談半分で言われましたが、その言葉通り、ほどなく潰れました。

その後のことは、明日にでも書きたいと思います。

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