趣味を持つこと。
野球、サーフィン、読書、お酒、グルメ、自転車、健康、note、これらは日常にある私の好きな事であり、好きな時間の過ごしかたの一部になります。
このようなことを人に話をすると多趣味ですねと言われることが多いのですが、これらは本当に趣味なのか、どこまでが趣味で趣味じゃないのか自分でもよくわかりません。
好きなことと趣味は似て非なるものであり、イコールではありません。
今日はそんな趣味について少し考えてみたいと思います。
趣味とは?
さて、まずはやはり定義の確認からしたいと思いますが、趣味(しゅみ)は、以下の3つの意味を持つものをいうそうです。
これらの①や③意味を考えたときには私が上に挙げたことは「趣味」といえそうですが、問題は②の意味、趣味の漢字の意味そのものである「趣(おもむき)を味わう」これができているかどうかが趣味と趣味以外を分ける要素になりそうです。
趣を味わうこと
そのものを味わうためにはまずは基本となるルールや方法などの基礎的な知識から、そのものをより上手くやる方法や応用について知ることが必要になると思います。
本や雑誌、ネットで調べたりして知識の幅を広げたり、練習したり、その細部まで詳細に知識として持つこと、そして、インプットのみならず、そこからその趣味が自分に対して持つ意義や自分なりの楽しみかた(新たな方法の創造)などについて解説できるぐらい、アウトプットもできることが「趣を味わう」ことに昇華する術だと思います。
例えばお酒(日本酒)が趣味だとしたら、その米の産地や精米歩合、醸造方法、酒蔵などの基本的な知識からさらに器やお酒に合う料理やつまみまで幅広い知識もって、自分にとってお酒とはどんな意味があるのか、なぜそのお酒が好きなのか、そのお酒を最大限楽しむための自分なりのこだわりについて講釈垂れるぐらいになれば、それは「趣味」と言えそうです。
※実際に講釈垂れると結構うざいですので、趣味はあくまで自分だけのものとして、他者に押し付けないようにしましょう。
このように考えると私の趣味といえるものは「野球」と「健康」ぐらいしか残りませんでした。
そして悲しい(うれしい?)ことに、これらは仕事にも大いに関係しており、趣味が仕事、仕事が趣味みたいなのが成り立ってしまうため、仕事も趣味として味わうことができます。
趣味を持つこと
シカゴ大学の研究チームは、70~80代の成人294名が幼少期、成人期、高齢期に行った情報収集活動の量から、彼らの認知能力を調査しました。
研究チームは約6年間にわたって被験者と定期的に会い、被験者の死亡後は、脳の検死解剖によって一般的な脳病変や認知症の兆候を調べ、生涯を通してクリエイティブまたは知的な娯楽に多く興じた人は、脳を使う活動に参加する機会が少なかった人に比べて、高齢期での認知機能低下率が32%低かったと報告しています。
頭を使う趣味、例えばブログなどの書物やボードゲーム、読書などは脳の加齢に伴う神経の老化を予防し、効率的に働くことを維持します。
また、脳がワクワクするような好奇心や刺激は脳の萎縮速度を遅め、認識脳を維持することも複数の疫学研究で証明されています。
私もこれまで多くの患者さんに接してきましたが、高齢になっても趣味を楽しんでいる方は、治療に対しても非常に前向きであり、認知機能も高く、リハビリも早くに終了することが多いように思います。
趣味活動は日常的なストレスの緩和にも有効であり、趣味を持つことは人生に彩りを与え、自分自身の健康を保つことにも効果的であると言えます。
何かをすることだけが趣味じゃない
以前はよく趣味の押しつけのような発言をしたりしていました。
「趣味ないの?」「それで人生楽しいの?」「なんか趣味持てば?」
何か趣味を持つこと、そうした時間を持っていることが当然であり、ステータスでもあるような発言ですが、そのような私の発言に対し、妻は、
「無趣味が趣味だからいいの」
と何やら悟ったことを言い出し、当時の私にはその意味が全くわかりませんでした。
何かをすればそれに時間がかかります。
お金もかかるかもしれません。
道具の管理やメンテナンスも必要になるかもしれません。
妻は別にしたくもない何かをすることによって「自分の時間」がなくなるのが嫌だったのです。
つまり、「そのときにしたいことを自由にすること」が趣味であり、無趣味が趣味なのです。
ボォーとすること、寝ること、コーヒーを飲むこと、なんでもいいですが、そのときに「したい」と思うことが制約なくできることがとても幸せであり、そのような時間を作ることが彼女の生き方であり、そしてその時間をゆっくりと味わうことが彼女にとっては何より大切であり、まさに趣味の定義をみたした時間の過ごし方だったのです。
何かをすることだけが「趣味」ではありません。
趣味の定義に当てはめれば、その行為を味わう時間を持つことこそが「趣味」であり、日常のあらゆること、その行為、動作に対して集中できる環境があれば、すべてのことが趣味になりえるということです。
日常には私たちの「注意」を奪うものがたくさんあります。
あらゆるSNSは私たちの「注意」を惹き付けることで、経済を成り立たせており、それらから逃れるのは容易ではありません。
そのような現代では本当の意味で「趣味」を持つことは難しいのかもしれません。
何かに「集中できる」、「没頭できる」時間を持つこと、それこそが人生を豊かにし、私たちの脳を健康に保つための「趣味」なのだと思います。
まとめ
趣味は「趣を味わう」ことであり、行為に対し「集中」「没頭」する時間のことである。
趣味を持つことは脳の認知機能を維持するとともに、ストレスの緩和にも効果的であり、心身の健康のためにも必要となる。
アテンション・エコノミーは私たちの「注意」と「時間」を奪うことで成立しており、「集中」や「没頭」を必要とする「趣味」の時間を奪ってしまう。
今朝は早起きして、洗車をしていました。
誰も起きていない時間、携帯を家において、太陽を浴びながら、ただひたすらに車を磨くことに集中できた「趣味」の時間であり、とても幸せな時間でした。
世間は今日からGW。
趣味の時間も大切にしながら、よいお時間をお過ごしください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
趣味について考えるための読書
#趣味 #ライフスタイル #集中 #アテンション・エコノミー
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