書を捨てること ~ ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた ~
誰かが言った。
「書を捨てよ、街へ出よ」
この言葉は私の座右の銘として心に刻まれている。
普段病院で働く私。
私の治療は多くの先人の研究や遺した書物の上に成り立っている。
今でも多くの仲間が日夜研究に勤しみ、日進月歩で医療の世界は変わっていく。
こうしたメディカルの研究者たちの目線からしたら私たちの働いている病院が「街」である。
研究者が病院の現場をしらなければ、その研究がどのように役に立ち、使われているのか、それらを知らなければ研究はおかしな方向に進んでしまうだろう。
私たちが働いている病院が書だとしたら、患者さんが生活している場やスポーツをしている場が「街」になる。
患者さんの生活やスポーツの場を知らなければ治療は絶対にうまくいかない。ただの自己満足になってしまうのである。
なので私は現場活動として実際のグラウンドへ足を運ぶ。
このフィールドワークでの仕事に大いに役立っていると感じている。
そう思うと「書を捨てよ、街へ出よ」はとても示唆に富んだ言葉である。
先日手にした、社会学者、斎藤幸平氏の著書「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」は「書を捨てよ、街へ出よ」をまさに体現したそんな一冊である。
社会が抱える問題は多岐にわたる。
貧困、ジェンダー、食料危機、温暖化、公害と資本主義・・・etc
これらははっきりと数字やデータで可視化できるが、実際にその現場に生きる人達の声は紙面やPCからは聞こえない。
データ上の数字を変化させる方法や理論があったとしても、その現場に生きる人が幸せになるとは限らないのである。
学問はなんのためにあるのか。
それはやはり人々の幸福に寄与するためであると私は思う。
というか、そこに繋がらないのであれば学問なんて意味がないとすら思う。
本書の前書きにはこうあった。
「理論の重要性を信じ、理論と実践とは対立しないと考えるからこそ、私の方がもっと実践から学ばなければいけない」
こんな学者や政治家、ワーカーが増えたらもっと社会は良くなるんじゃないかと思う。
新聞を読んでいるだけで満足してはいけない。
そう本書を読んでいて感じた。
そして無性に旅がしたくなった。