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本を読むこと。  ~ 人類学とは何か ~

学生時代、理学療法士の専門学科履修以外に学士取得のため専門過程以外の学科履修があったのですが、皆がやっつけ的に先輩のレポートを写している中、私は文化人類学や西洋哲学、西洋文化と東洋文化の比較文化学などの履修の教科書を楽しんでいました。

思えばこの頃から「文化人類学者」たる存在に興味を持って、こうも多様な文化がどのようにして出来上がったのか、自分と異なる世界を生きている人はどんな人たちなのだろうか、心の奥底で「人類学」への関心が芽生えていたと思います。

そのときは、この人文社会科学の分野が理学療法士という専門職になぜ必要なのかは全然理解しておらず、単に単位取得のための教養ぐらいにしか思っていませんでした。

その後、理学療法士になり、科学や生物としてのヒトを中心に学んでいくことになりますが、臨床に出て多くの患者さんに触れるたび、同じ疾患名であってもその身体に出る症状は一様ではなく、その人の生活習慣や生き方、考え方、環境にの違いによる多様性があることに気づきます。

そして、そこに触れずして、真に患者を診ること、治すことができないのではないかと考え始めました。

そして、それを学ぶための学問として人類学があり、人類学は他者を理解するための学問であるということに気づいてからは、進化生物学者、生物地理学者であるジュレド・ダイヤモンドの著書や世界のアート関連の著書、コミュニケーションに関する著書や冒険記などを通して人類学にまた少しづつ触れる機会が増えてきました。

そして、今年「人類学とは何か」という長年、私の心の奥底で芽生え、育ってきた疑問、関心に1つの答えを提示する図書に出会うことになります。

人類学とは何か

ティム・インゴルド『人類学とは何か 他者と“ともに”学ぶこと』は社会人類学者であるインゴルドが、人類学者としての経験や、これまでの人類学の辿ってきた歴史、そこから未来に向けて人類学が歩むべき道を指し示す、人類学の入門書となっています。

本書の冒頭、いきなり核心に迫るメッセージが示されています。
ちょっと長いですが、要約・引用します。

私たちはどのように生きるべきか? 間違えなく人間はその問いを考え続けてきた。おそらくその問いを考えることこそが、私たちを人間にする
生きることとは、どのように生きるのかを決めることであり、どの瞬間にもいくつもの異なる方向へと枝を伸ばすような潜在的な力を持っているのだが、どの方向も、他よりもふつうでも自然でもない。
私たちは前を行く人たちの足跡を追いつつ、それを壊すようにして歩みながら、生き方を即興的につくりだして行かねばならない。
しかも独りではなく、他の人たちとともに、そうする。
いくつもの生が絡み合い、重なり合う。
いくつもの生は、伸びては結ばれる交互のサイクルをともに繰り返しながら、互いに応じあう。
かくして人間の生とは社会的なものとなる。
それは、どのように生きるのかを理解することについての、けっして終わることのない、集合的なプロセスなのである。

『人類学とは何か』より

そして、この「どのように生きるべきか」という問いかけに対して、世界中に住まう人の知恵と経験を注ぎ込むのが「人類学」であり、人類学とは「世界に入っていき、人々とともにする哲学」であるとインゴルドは定義しています。

今まで私の中の「人類学」のイメージは世界の辺境の地へ赴き、そこに住む人々や文化を研究、紹介する学問であり、異文化に対する知識と理解を促すもの、ひいてはそれが世界が多様であり、他者を理解することにつながるものだと考えていましたが、本書では明確にそれを否定しています。

世界は情報や知識で溢れかえっており、デジタル技術の発達により情報は洪水となった。
しかし、私の人類学の流儀は知識生産という仕事の中には全くない。
私たちは客観的な知識を求めているのではない。私たちが探し求め、得ることを望んでいるのは知恵である。
知識はモノを固定して説明したり、ある程度予測可能にしたりするために、概念や思考のカテゴリーの内部にモノを固定しようとする。
知識が与えてくれるのは力、統制力および攻撃に抵抗する、免疫力である。しかし知識の要塞に立てこもれば立てこもるほど、周りで何が起きているかに対して私たちは注意を払わない。
逆に知恵があるとは、思い切って世界の中に飛び込み、そこに起きていることにさらされる危険を冒すことである。知識は私たちの心を安定させ、不安を振り払ってくれる。
知識は武装し、統制する。
知恵は武装解除し、降参する。
知識には挑戦があり、知恵には道がある。
知識の挑戦が解を絞り込んでいくその場で、知恵の道は生のプロセスに対して開かれていく。
だから、私たちには知識に劣らず、知恵が必要なのである。

『人類学とは何かより』

人類史において、この人類学がもたらそうとしている「知恵」が今ほど必要な時期はないとインゴルドは言います。

世界の推定人口は76億人であり、今世紀末には100億人に膨れ上がると推定されています。

平均寿命は伸び、世界人口の半分は都市部に住んで、食料確保のために森は荒廃させられ、耕作可能な地帯は大豆およびアブラヤシ生産に転用され、鉱業が大地を掘り起こしています。

これらの人間の産業、とりわけ大規模な化石燃料の燃焼は世界の気候に影響を及ぼし、災害を引き起こしています。

世界は生産、分配、消費のシステムに牛耳られおり、そのシステムは異様なまでに少数のものに富をもたらす一方で、多くの人々を窮乏状態にして、慢性的な不安状態、貧困、疾病をもたらしています。

このような崖っぷちの世界がいま私たちが手にしている唯一の世界であり、この世界で「今」生きている結果が未来の世界の条件を作り出すのです。

次の世代、また次の世代に私たちと同様の「生」がありうるためには「今」私たちはどのように生きるべきでしょうか?

つまりは、この重要な問いに答えるための学問が「人類学」であり、積極的に「他者」を受け入れ、「他者」とともに学び、知識に、経験と想像力の溶け合った知恵を調和させ、万人が生を持続可能にすること、それが「人類学」の使命であるということになります。

インゴルドが定義する「人類学」はあまりにスケールが大きく、はるかに私の想像を超えていますが、インゴルドが示す、人類学のアプローチ方法は、社会を生きる生物である私たちの身近な生活にも応用することができると思います。

凄まじいペースで変化していく社会で、自分たちがどのように生きるべきか、そしてどのように他者と共存していくべきか、積極的に他者の生き方を取り入れて、その知恵を自分の生活にどのように生かしていけるのか、こうやって一人一人が他者と共存してく社会の中での「幸福」を追求していくことが、結果的には社会全体を良いものにしていくのかもしれません。

まとめ

人類学とは世界中の知恵と経験を基にヒトがどのように生きるべきかを考えうための学問である。

他者とともに学び、持続可能な社会とヒトの生を創り出すことが人類学の使命である。

ヒトが過去や他者の知恵から学び、社会で幸福を追求していくことが結果的に社会全体を良いものにする。

人間は、生物社会的な存在《バイオソーシャル・ビーイングス》なのである。それは人間が、遺伝子と社会の産物であるからではなく、生きていて息をする生き物として、自らやお互いをつくるからである。彼らは二つのものではなく、一つなのである。
ティム・インゴルド(人類学者)


最後までお読みいただきありがとうございました。

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