がんじがらめがほどける時はいつだって
前回はいじめられる方にも原因があるって言うけれどという記事を書きました。
いじめも人と人との関係性の中で起こる1つの現象です。
ですが、いじめを許容出来る気にはなりません。
距離感を考えて欲しいです。
(いじめで苦しんでいる方がいたら、思い切って関係性を断つ(距離を遠くする)のも1つの手です)
それでは本日の記事です。
大事であると悩んで苦しんでいたことが、急に小さく見えることがあります。
僕の場合は大抵が、誰かに話を聴いてもらってそれに対しての意見や考え、アドバイスをもらった時でした。
学校に行ってなかった時は臨床心理士の先生が、
何度もそのきっかけを僕につくってくれました。
どんな話をしたか、どんなアドバイスをもらったか、はもう覚えていませんが、
不登校という事実、
人の顔もまともに見れず話も出来ない現状で、
僕の全てが終わっている、
人生そのものが苦痛だと、
いま思えばかなり拡大解釈して捉えていたものが、先生と話した後は1つの悩みとして考えることが出来たりしました。
(波があって捉われに沈む時もありましたが笑)
やっぱりきっかけは自分ではない視点なんだと思います。
受け入れる余白があるかどうかは自分次第のところもありますが、
がんじがらめに視野狭窄に陥っている時ほど金言のようにみえることが多々あります。
この人にならって人に話をしてみたり、
身近にいなかったら、話は出来ないにしても、
本や(それこそnoteも)YouTubeなどで話をされている方もたくさんいるので探してみるのも良いかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?