【本の感想】『苦海浄土 わが水俣病』石牟礼道子
人生でこんな本に出会うとは思っていなかった。
友人に勧められていなかったら、きっと読んではいなかったであろう。
水俣病患者の壮絶かつ清冽な記録。
読みながらドキュメンタリーを観ているような感覚に陥った。
ノンフィクションや小説などの書き物を読んでいるのとは全く違う。
情景描写がただの情景描写ではなく、そこに入り込んだ魂が伝わってくるような、そんな文章だった。
私には馴染みのない方言による語りの部分は、慣れない言葉使いと、語られる内容・感情の読み取りを同時にしなくてはならず、何度も苦しい気持ちがした。
しかし、水俣病による被害を受けた人々のこと、その地に生まれ、それを伝えようと心血を注いだ石牟礼さんの気持ちを思うと、読み進めなくてはという義務感にも近い気持ちで少しずつ、頁をめくった。
自分を苦しめる事になった海が、かつては自分に栄光や生を与えていた。
その海に出ることが出来なくなった時、それまでの輝きに思いを馳せ、そこが浄土となる。
なんとも悲しく切ない。
この地に生まれた石牟礼さんだからこそ書けた1冊。
そして石牟礼さん以外の人には書けなかった1冊。
この土地の風土や暮らし、人柄を知らないでは決して書くことができない。
かといって、その土地に暮らしている人だから書けるもの、では無い。
人は生まれてくる土地を自ら選ぶことはできない。
その土地に生まれたと言うだけで、その土地で暮らしたと言うだけで、何故これほどの不幸を背負わなければならないのだろう。
その苦難と貧困と先の見えない生活への不安。
更に、周囲の目を気にして、受けられる保証さえも受けようとせず、隠そうとする人々がいた事に愕然とした。
そして、驚くべきは新日本窒素株式会社と県や国の保証や賠償に対する対応の遅さとその値段。
憤り以外の何をも感じない。
第三章 ゆき女きき書
第四章 天の魚
が、どのようにして書かれたのか。
私は読みながら、溢れてくるその言葉に圧倒されながらも少し疑問に思っていた。そして、渡辺京二さんの解説を読んで、殴られたような衝撃を受けた。
あゝーー そう言う事だったのか。
では、この本は何なのだろう。
私はノンフィクションだとばかり思い込んでいた。
それが覆され、どう処理していいのか分からなくなった。
解説を読み終えた今、私はもう一度この本を読み直さねばならぬと言う気持ちになっている。
そして、何度読んでも、この本を読み終えたと思えることはできないだろう。
それは水俣病が終わらないことと同じなのかもしれない。
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