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【本の感想】『薬指の標本』小川洋子

薬指の標本

婚約指輪や結婚指輪は、通常、左手の薬指に嵌める。
だから、私は薬指に好きな人との繋がりを連想し、特別な意味合い感じてしまう。

そんな薬指の先を失ってしまった主人公が、偶然見つけた標本室で働くところから物語は動き出す。

無かったことにはしたくはないけれど、心の奥にそっとしまっておきたい出来事や思い出。少なからず、人は1つくらいはそう言うものを抱えていると思う。
辛い出来事、懐かしい思い出、かつて愛していたものや人。
良い思い出も、悪い思い出も、今を生きるのには少し遠ざけておきたい、ということがある。
それらを標本にしてくれる標本室。標本にすることで、永遠に保存される。

一方で自分のお気に入りのものを、わざわざ標本にして永遠にそばに置いておきたい欲求が生まれることもある。

標本技術士の弟子丸氏に、誘導されるように心を奪われ、主人公がする決断。それは、主人公の前に標本室に勤めていた人達や火傷した少女の行方を考えると、暗に明示されている。

人は愛おしい何かを見つけた時、それを自分の手元に置いておきたいと思うことがある。
人は愛する人のためなら、命を捧げてもいいと思うこともある。

大事なものは心の中にあればいい、と言うのは簡単だ。でも、それにまつわる品物や音や景色に、心が大きく揺さぶられ、気持ちが左右されてしまうこともある。

心と五感と形あるもの。それは密接に関係している。


六角形の小部屋

なんだかモヤモヤするのにその原因が分からない。
好きなのに嫌い。嫌いなのに離れられない。
自分ではどうすることもできない感情が時に湧いてくることがある。

スポーツクラブで偶然見かけたミドリさんに惹かれ、社宅管理事務所に辿り着いた主人公。そこにあったのは六角柱のカタリコベヤだった。

自分に都合の悪いこと、自分に非があることが解っているとき、なんとなく素直に認められないことがある。それが相手に知れていないとなれば尚更のこと。

でもそれは、ゆっくりと自分の中に影を落とす。
自分と向き合うのが怖いから、人のせいにする。そして自分の非を、なかった事にする。すると、益々その影は大きくなり、やがて自分を苦しめる。

六角柱のカタリコベヤは教会の告解のようだ。聴いてくれる牧師さんは、そこに居ないけれど、声に出して自分の気持ちを話す。最初は何を話していいかも分からないのに、次第に言葉が溢れてくる。
そうして見つかった答え、モヤモヤの原因。
もっと話したい。そう思った時にカタリコベヤは消え去っていく。

でも、原因が分かれば、自ずと解決の道は開けてくる。
あとは自力で立ち直るしかない。

私が六角柱の小部屋に入ったなら、何を語るのだろう。


印象に残った一文

あの時の感触ははっきり覚えているのに、感情はよみがえってこない

薬指の標本『六角形の小部屋』117頁

あの時の顔や表情はありありと思い浮かぶのに、感情は全く思い出せない。
なんてことがある。

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